35.裏宇宙航法―13『遷移―2』
『遷移開始一〇分前』
艦内各所の
「うわ、マズい」
後藤中尉の口から士官にあるまじき素の呻き声がぽろりとこぼれる。
難波副長の通達に、反射的にコンソール上のスピーカーと時計の間に目を往復させ、あたら貴重な時間をムダにしてしまったと気づいたのだ。
「ほらほら中尉殿、急がないと」
「あなたのせいでしょう! あなたがくだらない茶々をいれたりするから!」
しゃあしゃあと言う御宅曹長をクッと睨みつけ、それから気を取りなおすように深々と息を吸うと、
「〈連帯機〉起動用意」と言いながら、コンソール上に手をすべらせた。
「各員、座席を耐Gモードに」
つとめて事務的な口調で指示を出した。
これは訓練の時にもやった事だ。深雪にも迷うところはない。
「インターフェイスチェック」
しかし、後藤中尉の次の指示には首をかしげた。
「座席のアームレストに小型のディスプレイがあるでしょ? 今は〈連帯機〉って表示されてる筈だから、メニューの中かから『セットアップ』を選択して」
御宅曹長からアドバイスがくる。
「あ、はい」
頷いた深雪はその言葉に従うと、次の瞬間、「うひゃッ?!」と悲鳴をあげていた。
『セットアップ』→『インターフェイスチェック』と項目を進めて指示した途端、ぞよぞよぞよ……ッと全身を虫が
けして不快ではないが気色わるい。
この感じには覚えがあった。先の緊急遷移訓練の際に味わった
今日これまでと、つい今し方この部屋で教えてもらったことを考え
知らなかった。――やられた。
「深雪ちゃん、何かあった?」
「い、いえ。なんでもありません」
上官の問いにブンブンと首を振りながら、深雪は恨めしそうな目で御宅曹長を睨む。
緊急遷移の訓練時には、不慣れな深雪にかわって準備のほとんどを御宅曹長がやってくれていた。親切とその時は思ったものだが、今こうしてみると、後日を期してのイタズラの仕込みであったのだ。声を殺して、ひーひー笑っているその様子からして間違いなかった。
そんな二人の様子に後藤中尉はピンときたようだ。
「……どうやら勤務査定にマイナス
冷たい声で宣告した。
「うわ?! そりゃないッスよ!」
「抗弁無用。あなた、訓練の際、深雪ちゃんにきちんとレクチャーしなかったんでしょう。職務怠慢に対する当然の罰」
ウダウダ言ってこれ以上時間をムダにさせるんじゃないと、御宅曹長の悲鳴を切って捨て、自分と部下ふたりの状況を確認すると、後藤中尉は、「次、ヘルメット装着」と言った。
項目を選ぶと機械がガポンと上からヘルメットをかぶせてくる。同時に、その
「気密状態確認。酸素供給開始確認」
まだ外光の完全遮断状態にはなっていないヘルメット――そのシールド越しにアームレストの小型ディスプレイとHMDの表示を半々に見ながら深雪は自身の状態を報告した。
『遷移開始五分前』
難波副長の声がふたたび響く。
「シールド
後藤中尉の指示にしたがいセットアップの項目を最後まで進めた。
訓練の時と同様、視界が暗黒に閉ざされ、そして、今回はすぐに自分の隣に誰かが出現した、その存在感を肌身で感じた。
誰か――後藤中尉だ。
「深雪ちゃん、聞こえる? 私がわかる?」
後藤中尉がインカム越しに呼びかけてきた。
「はい。感度良好です。いま、中尉殿をすぐ隣に感じてます」
深雪が間髪入れずに応答すると、フッと口許をゆるめて微笑う気配。
「よろしい。では、遷移にはいる前にひとつだけ言っておくわね?」
「はい」
深雪はゴクリと唾を飲み込んだ。
「心細いでしょうけど、まだ裏宇宙航法を経験したことの無いあなたに、その体験談や危険を言葉で伝えても、実際のところはわからないと思う。
「『怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になる事のないように気をつけなくてはならない。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ』――裏宇宙航法を語る際、よく用いられる引用句だけれど、いきなりそう言われても何が何だかサッパリ、でしょう? こればかりは百万言を費やすよりも、とにかく自分自身で体験してみないことには理解できないものだから……」
「でもね」と言葉を継いで、
「でもね、いつ、どんな時だってあなたは決して一人きりじゃない。――そのことだけは憶えておいて。絶対に忘れないで。そしてフネが遷移にはいったら、すぐに私の名前を呼びなさい。いいわね?」
「は、はい」
思わず返事の末尾に『?』を付けそうになりながらも深雪は頷く。しかし、中尉が口にした言葉の意味を考える余裕はなかった。
「あらまぁ、エロス♡」
後藤中尉とは反対側に御宅曹長の
「そういうことなら、アタシの名前もお忘れなく~~ッ!」
そう言いながら、訓練の時と同様、深雪にムギュッと抱きついてきた。
「そうすりゃ深雪が自分の
「なにより、そうでもしないと深雪、アンタ、見るも無惨なオバケになっちゃうかもしれないよン?」
「わ?! は……、え……ッ?!」
前回同様、肌と肌とをくっつけられて反射的に御宅曹長をふりほどきかけた深雪の動作が中途でとまる。ふざけた言葉の羅列の中に大事な
「これからアタシらが渡る裏宇宙ってのはマジやばい所で、一人きりだと
口調は冗談めかしていたが、深雪の指に一本ずつ絡めてくる手指が、何故だか
まるで怯えているみたい。――
一方、話しを振られた後藤中尉は溜息をついている。溜息をつきつつも、「そうね」とすこし不本意そうに同意した。
『遷移開始一分前』
続けて何かを言おうとしかけたのだが、その通達を聞くと伝えるべき内容を変える必要があると思ったのだろう。こちらも深雪の手をキュッと握ってきた。
「……〈連帯機〉という名称は、
時間をかけず頭の中をまとめて、少し早口で話しはじめた。
「強大な支配者に対して一般市民の権利を勝ち取るために結成された一種の組合組織だったらしいわ。――一人一人は弱くとも、一致団結して頑張ろうって互助精神を掲げた共闘組織。
「つまりは、私たちが今リンクしているこの機械もそういうことなの。さっきは御宅曹長が要らない茶々をいれたけど、我が国が誇る裏宇宙航法は、スペースワープ航法と較べてコスト面で優れる反面、知性体の心身双方に及ぼす影響がとても強いのよ。それこそ、遷移の度に重度の失調をきたす者が出てしまうくらい。
「理由は、これも御宅曹長が言ったわね。――光速限界を打ち破るため通路として利用している裏宇宙にはバケモノがいるからだって。その通りよ。あそこには……、この宇宙と違うあの世界には、私たちの想像を遙かに超えたなにかがいる。〈神〉と呼ぶのも間違いじゃない。その存在の息吹を感じただけで、ひ弱な私たちが異常をきたしてしまうほどの絶対者がね。
「それに抗しうるのは生命体が有する本能――
「フネが遷移にはいり、裏宇宙に突入したら、異なる法則との相克のためか一時的に感覚がブレて麻痺するわ。それはすぐに恢復するけど、その段階で知覚にかなりの混乱が生じている筈。〈連帯機〉のリンクが切れて、ひとりぽっちになってしまったように感じる筈よ。だから、意識がはっきりしたら即座に私の名前を呼びなさい。それが再接続の呼び水になる。もう一度、仲間と繋がるための目印になるから。
「いい? 遷移にはいったら――」と、なおも続けようとする後藤中尉の言葉に最後の秒読みがかぶさってくる。
『総員、本艦はこれより遷移にはいる。十、九、八、七……』
淡々と告げる難波副長の声が、ついにゼロ時を告知する。
『遷移開始』
大倭皇国連邦宇宙軍二等巡洋艦〈あやせ〉は裏宇宙に突入した。
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