26.裏宇宙航法―4『深雪の日々、或いは事の真相―1』

「それじゃ、その能田沙友理って方は、えと……飛行科のパイロットさんと一緒にフネから逃げちゃったんですか?」

 目をまるくして深雪は言った。

 自分に割り当てられた兵員室の中である。

 艦内時間で〇五三〇時。

 日の出、日没がない――昼も夜もない航宙船にあっても、早朝とされる時間であった。

 地上的な表現で言えば、午前五時三〇分である。

 〈あやせ〉乗員の中で一番したっぱの深雪にとって、朝六時からはじまり、床に就くのは夜一〇時という一日一六時間労働がはじまる直前の時間だ。

 ちなみに〈あやせ〉に限らず、大倭皇国連邦宇宙軍の艦船勤務者たちの勤務交代ローテーションは、八時間勤務の三直(交代)体制で運用されている。

 課業(勤務)→休憩(就寝)→自由(待機)→勤務の繰り返しである。

 基本的に残業は無い。

 疲れをのこし、或いは緊張感を欠いた課業などされては事故の元。ちょっとした油断や不注意が死に直結しかねないのが宇宙であるから当然ではある。

(起床後すぐに課業とならないのも同じ理由だ。起き抜けで心身ともにぼぅっとした状態で仕事など任せられないという理屈からだった)

 もちろん残業がないこととノルマをこなさないことは別物だから、上官による勤務査定が厳正であるのは当然として、もしも怠業が常習化した要員がいたりすると、同僚たちからそれ相応のしっぺ返しを食うこととなる。

 身体に痕跡は残らなくとも、心にけっこう深手を負いかねない種の制裁である。

 あえてイジメであるとか私刑リンチであるとかの表現は使わないが、まぁ、そういうことだ。

 一人の怠慢が全員の生命を危うくしかねないのが宇宙であるから、そうなる状況も、そうする心理も理解はできるが、実態を知ると思わずガクブルものな事例が散見されたりもする。女性上位(?)の大倭皇国連邦宇宙軍といえど、普通の人間たちの集団であるから、いろいろな意味で理想的な組織などではないということの一例ではあった。

 が、

 それはさておき、深雪の場合は、(幸いなことに)それに当てはまってはいなかった。

 まだ、とか、今のところはと、但し書きが枕につくにせよ、人の倍働かされているのは、決してイジメや制裁などではないということだ。

 深雪が置かれている現状を言い表すのに、もっともふさわしい言葉を探すとすれば、それは即ち『特訓』だったろう。とにかく短期間で一人前の宇宙空間作業者スペースマンに深雪を仕立て上げるべく、睡眠や食事、その他生活するのに必須の時間をのぞき、ぶっ通しで課業が科せられている。――〈あやせ〉に着いた当日、直属の上官である後藤中尉から言われた通りの状態だ。

 もっとも、主計科室に缶詰されてデスクワークの基礎をおぼえていた段階からは、もう卒業できている。

 基礎の履修が終わって、今はその先の応用編――艦船勤務者として知っておくと便利なノウハウやハウツーを叩き込まれている毎日だった。

 いずれにしても、目を覚ましている間は、軍人として、また宇宙空間作業者として、他の乗員たちより劣っている部分を徹底的にしごかれる。

 頭で理解しているだけではダメで、骨身に染みて身についているのを理想に、反復練習あるのみな訓練を課されているのだ。

 純粋に肉体労働的な、いわゆるキツい作業はほとんど無いが、知らないこと、慣れないこと、上手にできないことばかりで精神的にクタクタになる。それこそ、ベッドに入ると、夢さえ見ないで泥のように眠ってしまうほど。

 幸いなのは上司に恵まれ、教師役を務める後藤中尉も御宅曹長も、深雪が失敗をしても頭ごなしに叱ったりはせず、怒り顔もイヤミな言葉も向けてはこずに、我慢強く付き合ってくれることだった。そして、深雪が課題をこなし、ちゃんと出来るようになったら、キチンと褒めて、一緒に喜んでくれるのだ。

 情けは人のためならず。

 たとえ、深雪の上達が、最終的には我が身の生残性の向上や課業負担ノルマの軽減につながっているとはいえ、だから、感謝しなくても良いということになりはしない。

 自分の特訓に付き合うために、後藤中尉も御宅曹長も、本来ゆっくり過ごせる自由時間をわざわざ割いてくれるのだから、本当に申し訳ないし、ありがたい事だと深雪は思っている。

 それだけに一刻も早く、せめて半人前程度には練度レベルを上げて、二人の手をわずらわせることのないようにしないと、と気合いを入れている毎日だったのである。

 と、

 そんな生活を送りはじめてから、早くも十日以上が経過をし、

 実家が農家であった為だろう、異常にキツいこうしたスケジュールも、深雪は特に苦に感じてはいなかったが、(省力化、機械化が進んではいても、やはり農家の仕事は勤務時間に区切りなど無い肉体労働である事実は変わらない)ベッドから出て身だしなみを整え、朝食をとりに食堂へ行こうとしていた矢先、聞き捨てならない情報を耳にしたのだ。

 それが、つい今しがたのこと。

 冒頭で、

『それじゃ、その能田沙友理って方は、えと……飛行科のパイロットさんと一緒にフネから逃げちゃったんですか?』と深雪が目をまるくした一件というわけだった。

 ネタ元は同室の実村よし子曹長。

 長めの髪をざっくりとした三つ編みに編んだ深雪よりも少し歳上の女性である。

 そして、深雪が〈あやせ〉に初めてやって来た時、乗っていた短艇の収容作業を担当したドッキングオペレーターでもあった。

「ああ、うん。……もしかして、後藤中尉からも、やよいの奴からも聞いてなかった?」

 だとしたらマズったかな。余計なことを言っちゃったかも、と実村曹長は、あちゃ~という表情をする。

 一緒の部屋になって知ったのだが、彼女は御宅やよい曹長の同期で、何だかんだと言い合うことが多くても、その実、仲の良い友人であるらしかった。

 その実村曹長と朝の挨拶をかわして、タブレットを起動し、ToDoリストを深雪がチェックしていると、

「ゴメンねぇ」と彼女の方から話しかけてきたのである。

「〈幌筵星系に来る直前に、沙友理の奴が飛行科のデブと一緒に逃げちゃってさ。沙友理とは一緒の部屋で寝起きしてたのに、アタシ、全然、気がつかなくって……」

 ゴメンねぇ、と。

 どうやら実村曹長は、通常、一日二四時間を三交代勤務で過ごすところを一刻も早くフネの暮らしに慣らすため、特訓と称して毎日しごかれている深雪を可哀想に思っていたらしい。それで、ついついポロリと深雪が〈あやせ〉に乗ることになった原因を口にしたらしかった。

 半分(以上?)新兵も同然の人間が、最悪、戦闘がおきるかもしれない危険な場所へと向かうわけだから、通常の倍以上のノルマを課されて鍛えられるのは、長い目で見れば逆に深雪のためではあったとも言えるが、

 とまれ、

 初めて耳にする情報に、深雪は何のことかととまどった。

 そして、目をぱちくりとさせた後、どういうことなのか訊いたのだった。

 そこで初めて実村曹長も、深雪が何も知らずにいたことがわかったらしいが、もう遅い。

「別に隠さなければいけないことでもないからいいか」と、ため息まじりに、ことのてんまつを教えてくれた。

 それは……、

 深雪の前任者――能田沙友理という名の主計科員が、現在〈あやせ〉がそれに従って動いている命令が司令部より達せられたとき、出港直前のタイミングを狙って飛行科の男性パイロットと共に艦からトンズラしたというものだった。

 つまり、

 脱走である。

 それで、突然に主計科員の手がひとり足りなくなって、緊急の案件として充員召集がなされる運びとなったのだ。

 その犠牲者が他ならぬ深雪だったというわけである。

「なんとまぁ……」

 いまさら知った事実に、深雪はそうコメントするのがやっとだった。

「でも、一体なんだってそんな真似を……?」

 そう呟く。

 徴兵を拒否する兵役逃れだけでも公民権剥奪を問われかねないのに、脱走ともなれば、それが、もしも敵前逃亡と見なされれば、最悪、死刑である。少なくとも、ドラマ等ではそうなっていた。

 なんのためにそんなリスクを冒すのかがわからない。

 いや、戦争がいよいよ現実のものとなったので、死ぬのが怖くなったからというのであれば、まだ納得はできる。野の獣たちのように、自分の生き死にのみに正直に生きられたなら……、人間だけに特有な、理念や社会的責任などにこだわり、自ら生き方の幅を狭めたりするのでなければ、そうする方こそ自然なのだと深雪も思う。

 が、

 よりにもよってパイロットの……、

 およそ人間とも思えない男の……、

 人外漢としか言いようのない代物と一緒に逃げたというのがわからない。

 もちろん、その当の男の実際について知りはしないが、現在も艦内のNon-Man’sLandに棲息している手合いを思えば、一人だけマトモであったなどとは考えられない。

 なにより、ネタ元の実村曹長自身が、当該の搭乗員のことをデブだとハッキリ明言している。

 だから、わからないのだ。

 深雪は、〈あやせ〉に残った三匹……、あ、いや、自分が世話をするようになったパイロット三人の姿を順に思い浮かべてみながら首をひねった。

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