20.巡洋艦〈あやせ〉―11『飛行科-2』

あぶらみ……と、もとい、かぶらき瀆尉とくい

 清涼であるべき航宙艦の中、しかし、空気中には濃く脂の微粒子がただよっているかのような異質な部屋ロビーに後藤中尉の声が淡々と響く。

 深雪に対し、彼女が初見となる人間たちを紹介しているのである。

 それこそが後藤中尉や御宅曹長が、深雪をつれて嫌々ながらここまで足を運んだ理由だったのだ。

 部屋の中には、後藤中尉以下三名の主計科員たちのほか、三個の肉塊……、いや三人の人間たちがいた。

――男、だ。

 そして、

 全員とんでもなく肥っている。

 トンでもなく、と思わず駄洒落をトバしてしまいたくなる程、それは無様な肥え方である。

 むくむくむっちりデブデブとして、体型はまるで球のよう。

 キログラムではなく、トンの単位で身体の重みを計られる国の住人であった。

 皆、ふぅふぅと、どこか生臭ささえただよわせる呼吸を激しい運動をした直後のように吐いている。

 光の加減と考えたいが、なんだかやたらにテカっているのは、もしや、ぺったり汗に濡れているのか。服からのぞく顔や手、素肌がつやつや赤ん坊のようなピンク色なのが、いっそ不気味でおぞましい。

 だから、だろう。その内の一人を紹介する際に、後藤中尉がいかにもわざとらしく相手の名前を間違えてみせたのは。

 鏑木瀆尉。

 服のサイズは、『S』とか『M』とか、『L』、『LL』だとかの範疇でなく、きっと『肥満』と記されたものであろうのに、それすらキツキツ――内側から空気を入れてパンパンに膨れた風船のようなデブである。

 体内に満タン一杯充填じゅうてんされた脂肪の量のあまりに皮膚が限界を超えて引き延ばされ、今にも弾けてしまいそうな感じで肥っている。

 違った意味でピチピチだった。

 紹介されて肥っちょは、「なんだよ、ひどいなぁ」とおうように笑いながら、これからよろしくと、深雪に向かって敬礼をよこす。

 ひどいなぁと、口にはしつつも、別段、機嫌を損ねた風でもない。根がデブのくせに、性格的にはポジティブであるらしい。

 自分の方が階級くらいが上でありながら、新兵の深雪に対してそうするあたり、物事にあまりこだわらないの人間らしかった。

「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」

 見よう見真似で敬礼を返しながらも、深雪は内心、安堵していた。

 室内に入って驚きのあまり、上級者に対して先に敬礼しなかった。

 そんな非礼をとがめられずに済んだことにではない。

 敬礼で済んでよかった。――そう思っていたのだ。

 あぶらみ瀆尉は、その名の通り(?)、全身がテラテラとあぶらギッシュにテカっていて、握手の手を差し出されても握りたくない。――そんな相手だからであった。

 うっかりさわってしまったら、掌に脂がべっとりつきそうだったからである。


 次に後藤中尉は、床の上に直接腰をおろしている男を紹介した。

 だる~んとたるんだ雰囲気の、これまたとんでもないデブである。

、垂水瀆尉」

 鏑木瀆尉に続いて紹介された男は、いかにも大儀そうに片手を少し上げ、口の中でもぐもぐと何か呟いた。

 察するに、敬礼と挨拶だったのだろう。

 ちゃんと椅子があるのに、何故、そこに座らず床の上に? と疑問に感じていた深雪は、相手のどうにもかったるそうなその態度から答がわかった。

 後藤中尉の紹介通り、このデブっちょは、外見同様、心身共にたるんでいるのだ。

 精神面は、彼がいま見せている態度から想像される通りだろうし、肉体面もまたしかり。

 先の鏑木瀆尉とは異なる肥り方をした外見通りであるのに違いない。

 パッツンパッツンにはちきれそうな鏑木瀆尉に対し、垂水瀆尉はどこまでもブヨブヨと柔らかそうに肥え、何段にも段のついた――ラードで作った鏡餅のような身体つきだったからである。

 心身共にゆるゆるでなければ、こうはなるまいという見本のような人間なのだった。

 おそらくは、食事以外の何もかにもが……、いや、もしかすると、その食事さえもが、『メンドくせぇ。息をするのもメンドくせぇ』行為であるのに違いない。

 だからか、先の鏑木瀆尉は、まだしも普通に会話できたが、垂水瀆尉はその動作の一々がスローで鈍い。

 仮にも軍の士官である以上、まさかに魯鈍ろどんなどではなかろうが、コミュニケーションを成立させるためには相当以上の根気と我慢強さがいりそうだった。

 その上、

(あ、あれって……、まさか、じゃあないよね?)

 不幸にも、後藤中尉の紹介に垂水瀆尉に視線を向けた深雪は、なにげにそれを見つけてしまった。

 垂水瀆尉がどでんと座る床の辺りにひろがる水溜まり。

 垂水瀆尉の手に飲料は無く、周囲に水気のものも無い。

 が、銀色にひかって、垂水瀆尉を中心に床を濡らしているのは、明らかに水。

 H2Oに何かが混じった液体だった。

 問題は、どういった成分が混入しているか?――液体の成分、由来が気にかかる。

 かすかに黄色味を帯びた水溜まりを可能な限りさりげなく、表情に出さないように気をつけながら見て、深雪は首をひねりつづける。

、だよ」

 いつの間にかすぐ傍に来ていた御宅曹長が、背中からそっと耳打ちをして教えてくれた。

(なるほど……)

 一瞬、身体をビクリとさせた深雪は、その一言に内心うなずき、納得をする。

 そう言われてみれば、垂水瀆尉は確かに頭からぬるぬる汁にまみれたように濡れている。

 それが身体をつたって床に落ち、周囲にひろがり水溜まりとなったに違いない。

 水面に油膜でも浮いて見えれば、これがホントの脂汗てなもんだろう。

 なんとも「うへぇ~」なオチではあるが、それでも深雪が疑った方の液体でないのは朗報だった。


 そして後藤中尉の紹介は三人目――最後のデブにさしかかる。

「おしまいが久坂瀆尉」

 これは最悪。単純にクサい。

 ヒゲはあたっているし、服装も不潔な感じはしないのだが、体臭が異様にキツくて目に刺さる。コンタクトを装着していてさえも、知らず涙目になってしまう。

 確信を持って間違いない。――この部屋に充満しているクサい臭いのもとは(すくなくともその大部分は)コイツだ。

 入室直前、装着を言われた除菌消臭成分含有のULPAフィルターを二重に着けているから、呼吸の方は何とか平気。

 多少(かなり?)、息苦しくはあるが、それでも、この室内にたちこめる臭気を直接吸引することを思えば我慢できる。

 だいたいフィルターを着けていてなお、濾過しきれなかったのか、それとも隙間から侵入してきたのか、臭いが伝わってくるのだから、正直、怖気おぞけをふるわざるを得ない。

 もはや兵器と呼んでも差し支えないようなレベルである。

 最兵器だ。

 こんなのが一般社会に放たれたなら、そこはたちどころに阿鼻叫喚の巷となるに相違ない。

 この部屋と艦内げかいを隔てる装甲扉に描かれていたバイオハザードのピクトグラムを思い出し、液体コンタクトと鼻栓とマスク――眼球保護具とフィルターを手渡された時、内心、ちらっと大袈裟だなと思ってしまった自分の浅慮を深雪は恥じた。

 もしも、そうした準備がなかったら……?

 そう思っただけでゾッとした。

 今となってはスッポリと全身を覆う防護服が欲しいと思っていたからだ。

 一刻も早くこの苦行が終わり、この汚物溜めから出ることを願いつつ、その後のことを思うと今から頭が痛かった。

 新品まっさら、おろしたての船内服は、さっそくクリーニングを徹底的にしないと着れたものではないだろう。いっそ捨てるしかないかも知れない。髪の毛や肌についても、必死に洗わなければ、脂の微粒子や臭みが抜けないだろう。なによりケアが大変である。

 年頃ではあるが、そんなに女の子女の子した事どもにさして興味関心のない深雪といえど、これを放っておくなど女性という以前、社会人という以前に、ヒトとしてダメダメだ。

 運動馬鹿と周囲から言われたことがあっても、トレーニングの後、自分の汗の匂いを他の人間が嫌がるのではないか?――そんなことを気にしたこともない程デリカシーに欠けていたわけではないのである。

 そんな深雪の内心を知ってか知らずか、

「よろしくな」

 気さくに声をかけてきながらも、何故だかそこで心配そうな表情になる久坂瀆尉。

「三人とも風邪か? って言うか、いつまでも治らないよな、その風邪。ここに来る時はいつもマスクをつけてるし……。新人さんもいきなりってしまうとか、主計科ってのは相当仕事がキツいんだなぁ」

 あんまり無理するなよ、と気遣ってくる。

 深雪たち三人が、ゴッツいマスクで顔の下半分を覆っているものだから、イコール風邪だと思ったらしい。

 誰しも自分自身の体臭には気がつきにくいとはいえ、体臭スメルを除けば、ちゃんと気配りもできるイイ奴っぽい言動だった。

 が、

 それはそれとして、「どれ、熱はないのか?」とか言いながら、身をズイと乗り出してくるから臭気が増して、そのあまりのキツさに深雪はクラッと目眩めまいがしそうになった。

「こ、こちらこそよろしくお願いします。大丈夫です」

 さわっちゃダメです。(臭いが)うつりますと久坂瀆尉を遮りながら、深雪は鼻声にならざるを得なかった。

 ありったけの意志の力を振り絞り、かろうじて本人の目の前で鼻をつまむ非礼ははたらかないよう耐えてこらえる。

『ガス人間第一号』――何の脈絡も無く、そんな言葉が深雪の脳裏を去来した。

 つい、そんなダジャレを連想するほど、眼前の久坂瀆尉を含む男三人は、三人ながらに尋常でない――まさしく怪人そのものだったからだった。

 どうしようもなく乙女心が悲惨な現実から逸れ、逃避しようとしてしまう。

 正直、とっととこの部屋から出て、二度とこのデブっちょどもとは関わりたくない。

 そう思っていたから、

「――以上が、本艦に乗り組んでいる艦載機の搭乗員よ」と、後藤中尉が紹介を締めくくっても、

「はぁ……」と、深雪は力なく返事をかえすだけだった。

 たった数分の間に気力を根こそぎ奪われたように、ゲッソリやつれてしまっていた。

 だから、

「そして、私たちが――お世話をする相手」

 つづく後藤中尉の宣告に、

「えぇ~ッ?!」と思わず悲鳴をあげる結果になったのだ。

「それがの業務のひとつなんだよ。飛行一科は男所帯だからサ、まかり間違ったってウ○がわいたりしないよう、誰かが管理しなきゃなンないの。

「でもって、(部屋清掃に機械を使うと壊れちまうから)掃除は手作業。(普通の食事は口に合わないって言うんで)料理は手料理。――フネに乗ってる間は、ず~~っと、持ち回りでそれをやってくの」

 さらに絶望的な説明を御宅曹長が、そこにかぶせてくる。

 すぐ目の前に人外漢とでも呼ぶしかない三匹がいるから、部分部分、声を潜めてそう言った。

(そ、そんな……!)

 愕然としつつも、深雪の中で、パチンパチンとパズルのピースがまってゆく。

 今わかった。

 このフネに着き、艦長のもとへ出頭した際、なぜ深雪が家畜の扱いに慣れていることを重要視している様子だったのか。

 何故、後藤中尉と御宅曹長が、この部屋に来たがらなかったのか。

 そして、主計科室を出る前に、なぜ御宅曹長が入浴をすませたか訊ねてきたのか。

――このためだったのだ。

『ろくなもんじゃない!』

 この部屋に入る直前に、後藤中尉が吐き捨てた言葉を今更ながらに実感させられる思いだった。

 明日から……、いや、もしかすると今日から、この家畜にも劣る男たちと顔をつきあわせていかなければならないのだろうか?

 異臭のたちこめる部屋の中、深雪は呆然と、ただ立ちつくすしかなかった。

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