18.巡洋艦〈あやせ〉―9『主計科-3』

「そうね」

 後藤中尉はうなずいた。

『中尉殿、そろそろ決めるべきところを決めてしまいましょうや』

 御宅曹長からの提案に、一瞬、目をすこし大きくしたものの、すんなり同意をしたのである。

 もっとも、同時に、うまく話をらしたわねと苦笑もしていたから、つまりはそういうことであるらしい。

 あらためて指摘をしなくとも、〈幌後〉宇宙港での一件を思えば、常の御宅曹長の勤務態度は自明ということだ。

 とまれ、

「本艦の主計科員は、今ここにいる三名ですべて。深雪ちゃんの頑張りのおかげで、勤務体制の再構築がかなったから、今後の課業の遂行について色々と決めておきましょう」

 後藤中尉は、そう切り出した。

「念のため、主計科の担当する業務についてもう一度言うと、それは、経理、衛生、司厨ということになるわ。

「つまり、補給と、医療と、給食ね。もちろん、仕事はそれだけではないけど、主なものについてはこの三つ。民間企業でいえば、総務や経理にあたる部署と理解してもらえば良いかしら。それで、これからこれら業務を私たち三人が互いに協力しあってこなしていく為の取り決めをやっておこうと思うのよ。

「つまり、今いった主要業務個別の担当責任者の決定をね」

 と、そこでいったん言葉を切った。

 そして、深雪に向かい、

「経理、衛生、司厨――つまり、補給、医療、そして給食のうち、どれを担当したい?」

 そう訊いてきたのだ。

「えぇ~ッ?!」

 問われて深雪は仰天した。

 軍隊経験が無いのは言うに及ばず、未だ社会で本格的に働いたこともない自分が、いきなり何かの責任者になるなど、とてもではないが荷が勝ちすぎる。

 主計科が後藤中尉、御宅曹長に、あとは自分の三人だけというのはわかったけれど、それでも、そんな自分はせいぜいお手伝い程度のことしか出来ないだろう。

 だいたい、このフネに乗って、まだ半日もすぎていないのだ。それがいきなり、この展開だとは、いくらなんでも無理筋すぎる。――そんな思いが頭の中で逆巻いた。

 なのに、

「ちなみに拒否権はないよ」

 横から御宅曹長が口をはさんできて、深雪はますます青くなった。

「コラ」

 後藤中尉は、よけいな差し出口をたたいた部下をかるく睨み、「いたいけな新人を脅さないの」と釘をさした後、深雪の方に向き直る。

「心配しなくていいわ。責任者といっても名目上のことだけで、一人で何もかもしょいこむわけじゃないから」

 すこし眉根を寄せて、慰め口調でそう言った。

「そうそう」

 御宅曹長も頷いてみせる。

「ま、軍隊も官僚組織だから、とかく形式を整えたがるってだけさ」

 自分であおっておきながら、ぬけぬけ言って、にんまり笑った。

 そして、真顔にもどると人差し指をピンと立て、

「ちなみに中尉殿は医師免許持ちだから船医ということで衛生を。アタシは一応、簿記、情報処理、秘書なんかの資格を持ってるんで経理をそれぞれ担当してる。

「だから、というわけじゃないけど、深雪が司厨業務の責任者を引き受けてくれるとありがたいんだけどな」

 などと、提案してきたのだ。

「えぇ~ッ?!」

 言われて、ふたたび深雪は叫んだ。

「ムリ! ムリムリムリ、ムリですぅ~!」

 悲鳴のように拒絶の言葉を連呼した。

 御宅曹長の言い分は、理屈が通っていて、もっともだったが、だからといって、はい、わかりましたと言えない事情が深雪にはあったのである。

「……どうして?」

 深雪のあまりの過剰反応ぶりに、目をまるくしていた後藤中尉が、やがて気を取りなおして訊いてくる。

「だって……」

 深雪は口ごもった。

 しかし、言わなければならない。

 深雪は歯を食いしばった。

「以前、学校の行事で全学そろってキャンプに行った時……、わたしが食事当番をまかされて……、それで、みんなを病院送りにしちゃったことがあるんです……」

 泣きだしそうな顔でそう言った。

 当時は地元でニュースにもなり、学校側の管理責任だとかイジメ問題だとかにまで話がひろがり問題化されたスキャンダル(?)である。

 その当事者と言うか犯人が、他ならぬ深雪であったのだ。

「みんなの体調がすぐれなかった、とか?」

「料理に使った食材が傷んでいた、とか?」

 眉をひそめて、後藤中尉に御宅曹長が、口々にそう訊いてくる。

 学校のキャンプだったら、つくった料理はカレーとかじゃないの? と思ったからだった。簡単で、かつ、およそ食中毒などとは縁がなさそうなメニューだった筈だ。

 深雪はかぶりを振った。

「いいえ。その時は全員……、みんなが同じものを食べたんですけど、わたしは……、《・》、平気でした。

「食材も、同じものを自分たちで調理した先生たちは何ともなくて……。でも、その先生たちも、わたしがつくった料理をためしに食べたら、みんな倒れて……。も、もちろん、わたし、普通にご飯をつくっただけなんですけど、何故だかそうなっちゃって……。

「それで……、それからというもの、わたし、みんなから『殺人シェフ』だなんて渾名あだなで呼ばれるようになったんです。とにかく、あいつには絶対、料理をさせるな。いつか、人死にを出すことになるって……」

 だから、このフネの料理担当だなんて絶対ムリです、と頭をさげた。

 それは深雪の黒歴史。

 思い出すのも忌まわしい過去なのであった。

 しかし、

「なぁ~んだ、そんなことか」

 深雪の涙ながらの告白を耳にしてなお、御宅曹長は、そう言い放ったのだ。

「そうね。そんなに気にすることはないわ」

 それどころか、後藤中尉までそう言うのである。

「え……?」

 逆に呆気にとられてポカンと深雪がふたりを見ると、

「紹介しよう」と、御宅曹長が立ち上がった。

 気取った態度で、自分の上官を指ししめし、

膳料理家の後藤郁美先生であらせられます」

 仰々ぎょうぎょうしく言って、深雪にウィンクしてみせる。

「ちょっと……!」

 妙な紹介をされて、後藤中尉がさすがに不快そうな表情になった。

「なんでしょう?」

 すました顔で、それにこたえる御宅曹長。

「いや、いい」

 憮然と言って、後藤中尉も立ち上がった。

 同じく気取った態度で御宅曹長を指し示す。

「そして、こっちが奉行の御宅やよい先生ね」

 深雪に向かって、そう紹介した。

 今度は御宅曹長の顔がこわばるが、後藤中尉は素知らぬ振りだ。

 後藤中尉と御宅曹長――ふたりの間に、なんとも言えない緊張感が充満した。

「あ、あの……」

 上役ふたりの視線がバチバチと火花を散らすのを見て、深雪がおろおろと声を発する。

 お互いがお互いを紹介するにあたって、どう考えてもネガティブな印象をしか与えない肩書き(?)を口にしたことから、二人ながらに料理のは、さんたんたるものであるのに違いない。

 と言うよりも、深雪のことまで考えあわせると、わざと料理がヘタな人間をに指名している気さえする。

 何故そうなのか、理由はわからないが、その推測に間違いないように思うのだ。

「ま、まぁ、司厨業務の責任者と言っても、主な仕事は補給の際に、どんな料理メニューをフネに積み込むかを決める選定作業よ。調理済みのレトルトパックを戦闘糧食レーションリスト覧の中から選ぶだけでいいの」

 やがて、部下との睨みあいを解き、コホンと咳払いしながら、後藤中尉が深雪に言った。

「パンを焼いたり、生鮮食材をメニューに添えることもあるけれど、基本、私たち主計科員が食事をつくって乗員に提供しているわけじゃない」

「……一部、例外はあるけどね」

 しかし、上官がそう言う影で、御宅曹長が、ぼそっと呟きを漏らしている。

「え……?」

 深雪が聞きかえすと、すこし慌てて後藤中尉は部下を睨み、それから、何でもないわと打ち消した。

「いえ、こっちのこと。……それで、どうかしら?」

 表情をあらためて深雪の意向を訊いてくる。

「……わかりました」

 いずれにしても、艦内で何らかの仕事はしなければならないのだ。司厨業務を担当しても、料理は別にしなくていいと言われて、深雪は折れた。

「お引き受けします」

 後藤中尉と御宅曹長の顔をそれぞれに見て、覚悟を決めて、それからコクリと頷いた。

「よっしゃ!」

 深雪の返事を聞いて、御宅曹長が手を叩く。

「そうと決まれば……」

 そこまで言って、後藤中尉の方を見た。

?」

 唐突に、妙な質問を口にする。

 堅苦しいはなしが終わって、だから、これから主計科のみんなで入浴しようとでもいうのだろうか。

 入浴が、新人の歓迎会を兼ねている……?

 自分が知らない宇宙軍ならではの慣習でもあるのかしらん、と深雪は頭をひねる。

 後藤中尉は首を振った。

「いいえ、まだよ。フネが出るまで時間もないし、二度手間はいやだから」

 みそぎも入浴も、まとめてしまった方が効率的でしょう? と、そう言った。

「ごもっともで」

 微妙な表情で、御宅曹長も同意する。

 そして、

 ひとり、事情をのみこめず、疑問符を頭の周囲に浮かべている深雪に向かって一言、「行こう」と言った。

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