10.巡洋艦〈あやせ〉―1『乗艦-1』

「うわぁ……!」

 深雪は、思わずそんな声をあげていた。

 母艦のあまりの巨大さに、圧倒されたからだ。

 いま、深雪たちが乗る短艇は、その母艦たる巡洋艦〈あやせ〉に収容される直前の状態にある。

 お互いの相対速度は、ほぼゼロになるまで同調をされ、時折、微修正の噴射が短艇の艇体を微かに振動させる程度になっている。

 ドッキングから収容に至る作業そのものは、大して難しいわけではない。

 いっそ機械まかせにしても構わないのだが、やはり万が一ということもある。

 繋船作業を完全に母艦側に引き渡してしまえるまでは艇主を務める後藤中尉は手が離せないし、道中お喋りするだけだった御宅曹長も、中尉の補助や積み荷の最終チェックに余念がない。

 短艇の操縦室内ではただ一人、深雪だけがすることもなく、だからこそディスプレイ内に映し出されている短艇周囲の映像に食い入るように見入っていたのだった。

「すごい……」

 ふたたび深雪が呟いた。

 宇宙空間には空気がない。

 空気がないから遠近感が掴みにくい。

 空気によって遠くがかすむ――ぼやけて見えるという現象がおこらないから、自分が見ている物体のそもそものサイズを知っていないと、脳が距離の遠近をうまく把握できないのだ。

 いまの深雪がそうだった。

 大倭皇国連邦宇宙軍 二等巡洋艦〈あやせ〉。

 字面としてはわかっているが、さて、いざご対面となると、その二等巡洋艦というのは、一体どれくらいのモノなのか?

 ドラマに出てくるのは、たいていが戦艦や空母といった花形艦種で、それにしたところで艦隊の遠景、艦体の接写、そして艦内の映像がもっぱらだった。一隻のフネのみピックアップして艦体をじっくり捉えたショットというのはほとんど無い。

 なによりそうしたドラマを観るにあたっての深雪の興味は人間劇の方にあったから、巡洋艦というのは駆逐艦より大きく、戦艦や空母よりも小さいといった程度の認識しかない。

 有り体に言えば、そもそも巡洋艦という艦種が、どういう役割をあたえられて建造、運用されているのかさえ、よくはわかっていないのである。

 そんなサイズの大小さえ(意識的にも視覚的にも)はっきりしなかった〈あやせ〉の艦体が、接近していくにつれて巨大となり、視界に収まらなくなり、ついには、その一部しかカメラに捉えきれなくなって、今では短艇がそこに収容されることとなる格納庫の内部しか見えないまでになっている。

 短艇外殻のあちこちに装備されたカメラ。

 そのカメラが映す外部映像を分割表示しているディスプレイ――それらのどれに目を向けてみても、鋼鉄の構造物しかそこにはない。

 比較対象物のない宇宙空間に、ぽかりと浮いていた状態ではわからなかったのが、今ではその巨大さが、皮膚感覚として実感できるまでになっていた。

 旅客機ほどのサイズの短艇に乗り込む時も、かなり大きいと思った深雪だったが、間近に迫った〈あやせ〉は、真実、その比ではない。

 バケモノみたいに大きい。――はなはだに乏しいが、それが正直な感想である。

 なんだかのしかかってくるような、そのスケール感に圧倒されてしまって息を呑む。

 当然だった。

 短艇は〈あやせ〉の艦載機なのであり、〈あやせ〉は短艇の母艦なのだから。

 おそらく〈あやせ〉の全長は、ざっと一キロ以上はあるのだろう。

 もしかすると二キロ近いのかもしれない。

 幅や厚みも当然、それに見合った寸法である。

 学校の実習や、企業の見学会で行った軌道養豚場や無重力牧場くらいしか知らない深雪にとって、それは初めて目にする大規模宇宙構造物なのだった。

 今日、初訪問だった宇宙港も、外の景色を映す弾丸便の客室ディスプレイ越しに眺めて、大きいと思ったものだが、何より〈あやせ〉は自在に宇宙を動く宇宙船なのである。

 言ってみれば、シャトルや雑役船の仲間なのだ。

 そう考えると、とても人間が造り出したものとは信じられない気分になるのであった。


 やがて、ゴツン……! と艇体に何かがぶつかったのだろう、深雪たち搭乗員の身体といわず座席といわず、操縦室がビリビリと地震のように小刻みに揺れた。同時に、ゴゥン……と低く重く反響する音が天井や壁、床――艇体越しに伝わってくる。

〈あやせ〉の短艇収容区画から伸ばされたキャッチされ、掌握されて、気閘エアロック同士が連結されたのだ。

 短艇操縦室の照明がかすかに瞬き、電圧の変動を乗員に告げる。

 母艦とドッキングしたため、艇内独立から外部接続へとメインの電源が切り替わったのだった。

「繫船完了」

 ふーっと息を吐くようにして後藤中尉が座席の上で伸びをする。

 そんな素振りを見せこそしてはいなかったものの、内心はやはり緊張していたらしい。

〈あやせ〉に接近するにつれ、段階的に動作レベルを下げ、停止させていった機器類の内、最後の最後まで稼働状態にあったマスター(近距離航法/離脱機動)スイッチをほっとした表情を浮かべてオフにする。そして、おもむろにアームレストにセットされている通信機のスイッチを操作した。繋船作業の完了と相前後して、制御卓コンソールの上で着信を示すインジケーターが点滅していたからだ。

 チャンネルを繋ぐと、それまで短艇の周囲を映し出していた前面ディスプレイの画像が一部切り替わり、そこに若い女性の上半身があらわれた。

「おかえりなさい中尉。どうもお疲れ様でした」

 ニコリとわらって、話しかけてきた。

「ただいま、よし子ちゃん。お出迎えありがとう」

 おかえりなさいと言われて、後藤中尉もニコリとする。

 そして、今回も快適なアームオペレーションだったわよ、と相手をめた。

 どうやらディスプレイの向こうの女性が、短艇の収容作業をおこなったドッキングオペレーターであったらしい。

 髪をざっくりとした三つ編みに編んだその女性は、ありがとうございますと頭をさげると、

「これで補給作業も完了ですね。……首尾はどうでしたか?」

 たぶん深雪のことなのだろう――充員補充の結果をそんな言いまわしで訊いてきた。

 後藤中尉は思わず苦笑する。

 相手が本当に訊きたかったことが何なのか、今の言葉で察しがついたからだった。

 そして、

「もちろん、アタシの一人勝ちさぁ!」

 後藤中尉が返事をしようと口をひらくより早く、会話の中に御宅曹長が割り込んできた。

 後藤中尉の脇に、自分の顔をこすりつけるように寄せると、カメラの前で声高らかに自分の勝利を宣言する。

「主計科補充の新兵さんは、遅刻もせずに、無事に〈あやせ〉にご着任だぜぇ!」

 ざまぁみやがれ、賭け金はらえ! と、ガハハと笑った。

 それまでにこやかだった相手の顔が、御宅曹長の言葉に、「く……ッ!」と歪む。

 ディスプレイの向こうの女性が後藤中尉に訊きたかったのは、中尉の予想通り、〈あやせ〉艦内でなされていた賭の結果がどう転ぶのか――それだったのだ。

 レッドカードの告げる出頭期日が、無茶な要求なのは賭に参加した者たちの共通認識だったのだろう。

『間に合わない』――恐らくは、そちらに賭けた人間の一人として、ディスプレイの中のオペレーターは、自らの勝ちを確信していたのに違いない。

 それが反対に御宅曹長に勝ち誇られる結果となって、悔しそうな顔で唇を噛みしめていた。

「最後の最後で大逆転と、そういうわけだ。さんざんアレコレ言ってくれたけど、正義はかならず勝つってことだな」

 勝者の優越を言葉にのせて、御宅曹長が高らかに吠える。

 思えば宇宙港の警備府内で、当の深雪と初見の時から御宅曹長が口にしていた賭の件である。

 補充兵である深雪が、出頭期日に間に合うかどうか。

 レッドカードを受け取った深雪自身が驚いた通り、どうみても無理目な出頭期日であったから、おそらくは〈あやせ〉艦内での賭も、間に合う方に賭けた御宅曹長は、ほぼ確実に負け組と見なされていたのだろう。

 いまの口ぶりからしても、これまで色々とからかわれていたようだった。

「需品の移動が終わったら、すぐに出港だからね」

 やがて、捨て台詞ゼリフのようにして、よし子と呼ばれたオペレーターはそう言うと、では後ほどと、後藤中尉にはキチンと礼をして回線を切った。

「まったく……!」と言って、後藤中尉がたんそくする。

「あんまり純真な新人の前で、変なところを見せないでちょうだい」

「おまかせください、中尉殿」

 いまだ喜色満面のまま、御宅曹長が満足そうな口調でそうけ合う。

「どうだか……」

 そんな部下の返事をきいて、後藤中尉はまた嘆息した。

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