いつかみえるそら(長期休載中)

空幻夢想

一部、移住

一章、リックスとの出逢い

一節、逃走

「おかーしゃま、どこいくのでしゅか?」

 ひっそりと灯りを落とした薄暗い部屋の外では、慌ただしく石畳を駆け回る幾つもの足音が重なり合い、不規則に響き渡っている。 その体重を感じさせる重たい靴音や数から、二、三人では済まない男達が手分けして捜索に当たっていると判った。

 始めは遠かったそれが段々と近付いて来るに連れ、比例して沸き上がる緊張と恐怖で鼓動が耳から聴こえる程に、激しく心臓が身震いする。

 アルフェネリアのまぁるい頭を優しく撫でる母の指先はひんやり冷たく、そして手のひらはしっとり汗で湿っていたので、娘を宥めるつもりで自分の気持ちを宥めているのかもしれない。

「リア、母と二人で少し外へお出掛けしましょう。 皆には内緒だから、良いと言うまで静かにできるかしら?」

「できう! しじゅかにしましゅ」

「いい子ね。 シー‥よ」

 小さな両手で一生懸命口元を押さえ小声で応えたアルフェネリアは、抱き上げられた母の胸でコクりと頷いて見せる。 母のテオルドフィーもそれに頷いて返して、人の気配から遠離とおざかる家の裏口へと急いだ。

 出来るだけ音を立てないように、外の音も聞き漏らさないように気を付けながらも、足は逸る気持ちに追い立てられて次第に速くなっていき、縺れそうになる。

「見付けたか?!」「いや、こちらには見当たらない」「そっちの部屋を探せ! まだ遠くへは行っていないだろう」

 男達の怒声はすぐそこまで迫っているとわかる程はっきりと壁越しに伝わってきて、更に心臓が跳ね上がった。

 彼等は今にもこの部屋へ踏み込んでくるやも知れない。

 その事実に焦りを隠せないテオルドフィーはしかし隠し扉の前で深呼吸をして、耳の奥で脈拍が潮騒の如く煩いノイズと鳴るのを何とか無視し、向こう側の気配を探った。


 ーー大丈夫、まだこちらの通路に気付いている者は居ないわ。


 絶対に余計な音を立てないよう気を配って静かに鍵を開け、扉を押し開き、僅かに空けた隙間からするりと滑り出て扉を閉じるのと、部屋の扉が開いたのは同時だった。

 ≫ガチャッ≪

「奴ら、何処へ行った?!」「この部屋にも見当たらないっ」「もうここしか残っていないんだ、虱潰しに探せ! その辺りに隠れている筈だぞ」

 靴音が頭上近くを通り過ぎるのを聴き、思わずビクッと肩を揺らす。 が、ここで捕まるわけにはいかないと慎重に、鍵に魔力を流して封印した。


 ーーこれで彼等が床下の抜け道に気付いても、抉じ開けるのにはそれなりの時間を要する筈よ。


 テオルドフィーは、ほぅ‥と一息吐いて『逃げろ』と騒ぎ立てる心を鎮め、全身の震えを押さえ付けた。 そして殆ど休む暇無く、暗くて狭い通路を手探りに走り出す。

 何が起きているのか解らず口を手で押さえたまま、不安気に見上げるアルフェネリアに「大丈夫よ」と囁いて、以前より重くなった体を抱え直し、事前に調べた経路を脳内に描いた。

「はっ……はっ……!」

 遠く後方から爆発音と共に男達の声が響く。 扉に気付かれたのだ。 最早足音を気にする余裕もない。

「あっちだ!」「くそっ狭い、二手に別れるぞ」「急いで追いかけろ! 見失うな!」

 時折現れる別れ道を右へ左へ、上下へも登り下りしながら迷い無く駆け抜ける。 追い縋る手は背後に迫り、離れ、また近付き……と余裕の無い状態が続いて、テオルドフィーの胸は今にもはち切れんばかりだ。

 いつ膝が崩れても可笑しくない状態で通路を抜けた先は、ぽっかり拓けて眩い光に満たされていた。 目が眩んでしぱしぱと瞬くアルフェネリアを余所に、テオルドフィーは男達が道に迷っている今しかないと躊躇無く白い光の中へと身を投げる。

「……っ!」

 途端に凍てつく冷気と急激な気圧低下、遮るものの無い鋭い陽光に曝され、テオルドフィーは一瞬意識を失った。

 光に慣れてきた薄目に飛び込んできたのは、一面の蒼 蒼 蒼。

 驚きに目を見張るアルフェネリアとは対照的に、意識を取り戻しつつも逃げ切った安堵で溢れる涙を堪えてぎゅうっと目を瞑ったテオルドフィーは早口に『呪文クオリネス』を呟く。 その声は身を切る風に阻まれてアルフェネリアには聞こえなかったが、確かに効果を現した。

「ふぁ~‥、きあきあ……! ぁっ」

 アルフェネリアは口を閉ざすのも忘れ、思わずと言った風にポカンと声をあげ、ハッと口を再び手で押さえ、ぱちぱち瞬いた。 しかしテオルドフィーももう、静かにとは制さない。

「もうお喋りしても良いですよ」

 頭上には空中に浮かぶ島が見える。 そこに二人が暮らしてきた街がある。

 務めを果たさず逃げ出したテオルドフィーは勿論、アルフェネリアもまた規律を破った罪を背負う事になったが、どれ程身勝手であってもその胸に後悔はない。 捕まれば一生を牢獄にも等しき島の最奥へと繋がれて生きながら死ぬ巫女になど、我が子を差し出せる筈がないと、やっとそう解ったのだ。

 例えそれが世界を裏切る行為であっても。

 重力に任せて急速落下し続けていた二人の体は、キラキラと光を乱反射する柔らかな風翼に包まれて、果ての知れない大空にふわりと浮かび上がり、その姿を消したのだった。

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