マリコとシホ

 リイレント社IT事業部ゲーマーズロンドチームディレクター。それがマリコの、名刺上の肩書きである。


 ゲーマーズロンドは3年前にサービスインしたゲーム情報サイトで、後発のサイトではあるものの、プロデューサーやメンバーの人脈から繰り出す取材力の高さと、硬軟使い分けた記事構成で注目を集めていた。


 大手雑誌系サイトや老舗のゲームサイトに比肩…するほどではないものの、ゲーマーなら一度以上は目にしたことのあるサイトかも?程度の知名度はある(はず)。


 ゲーム開発会社でプランナー(という名の雑用)を三年ほど続けた後、仕事上で知り合ったテツヤに誘われ、ゲーマーズロンドの立ち上げを手伝った。その後、テツヤが法人を立ち上げたのをきっかけに、ゲーム開発会社を離れ、株式会社ロンドロイドに合流する。


 その2年後、アクセス数の伸びと広告媒体としての価値をリイレント社に見込まれ買収されることとなる。


 当時のリイレント社は情報商材と広告代理業を二本柱にインターネットサービス業に進出しようと目論んでおり、その中で中堅サイトを次々に買収していった。ロンドロイドもその中で買収されることになり、テツヤは経営権およびゲーマーズロンドの運営の権利を失う代わりに、サイトの価値に見合ったお金とリイレント社IT事業部ゲーマーズロンドチームプロデューサーという立場を手に入れた。


 マリコたちロンドロイド社員もそのままリイレント社に移籍ということになり現職に至る。


 当然のことだが、この手のメディアサイト運営は経験やこれまでの人脈がモノを言う局面が多く、サイトを買ったからといって、中の人を総入れ替えしてうまく運用することができない。


 そのため、ロンドロイドを含め1年前にリイレント社の買収を受けた各サイトは、そのまま中の人も引き取ることになった。


 ゲーマーズロンドチームのオフィスがあるこのフロアは、そんな「買収されてきたサイトの人達」がたくさん押し込められているフロアである。


「マリコさーん☆」


 机の向こうで、手を振る姿が見えた。ショートヘアの女性だ。年はマリコと同じく20代後半といったところ。


「一緒にご飯いこうよ♪」


 手を振りながら歩み寄ってきた彼女はシホ。隣のシマにいる「お腹減るしぃ」チームのデザイナーである。


 間延びした口調に幼稚な動作が目立つシホだが、その普段の態度とは裏腹に、緻密なデザインをするため、ある種の天才とフロア内で目されている女子社員である。


 一方のマリコは、一度集中し出すと何時間も席から動かないタイプであり、毎日お昼のお誘いはシホから、というのが「決まり」であった。


「ん?んんんん~?」


 シホに返事する代わりに、組んだ手を思いっきり頭上に引き延ばすマリコ。集中が切れた途端に感じ始めた肩や背中に重みを、ストレッチで解消しようとする試みである。同時に、シホの誘いをOKした証でもある。


「どこいく?」


 彼女の出身地に起因する独特のイントネーションのあるアルトボイス。マリコの言葉はいつもぶっきらぼうで短い。


「朝日屋で、いいんでない~?」



 地下鉄六本木駅から東に延びる外苑東通り。その通りに面した雑居ビル群の一角に「リイレント・オベリスク」はあった。


 リイレント社の主要オフィスが入居する10階建てのこの建物は、屋上に鎮座する黄色のとんがり屋根がやたらと目立つ、あまりセンスが良いとは思えない物件であった。


 他より目立つことが正義とされた華やかりし時代の遺物とも言えるこの建物を一棟借りしたらリイレントの社長は、その象徴的な姿のビルに「オベリスク(古代エジプトの記念碑)」という遺跡らしい名前を与えたのである。


 社員用の通用門から路地を抜け、外苑東通りに出る。


「いつでもお値段ドン引き!ドンビキ・ホテイ!」


 陽気で力強いおねーさんの声と共に、やたら耳に残るおなじみのスキャットが始まる。


 黒地に黄色のラインというインパクトのある配色のビルと、大げさにビックリしたコミカルな布袋様のキャラクター。デフレ経済の申し子とも言える大型ディスカウントショップの店先には、段ボールを開けた状態で並べられた大量の日用品があふれ、その奥に鎮座する大型水槽には、この店のマスコットらしい2メートル弱のピラルクーがのんびりと泳いでいた。


「魚といったらホテイ様よりエビス様だよね?」


 よく分からない同意を求められたマリコの脳裏には、洗面器にただようホテイアオイと白い泡を積層したビールのイメージが浮かんでいた。

 見上げれば青い空と黄色い太陽。夏である。

 ざるそばの美味しい季節だ。


 ドンビキ・ホテイの交差点を渡った先に、住居兼店舗が並んでいる区画がある。

 六本木というコンクリートジャングルから突然としてノスタルジックな風景に変わるその境界を、シホは「世界の断絶線」などと呼んでいる。どうせなにかのアニメのネタであろう。


 その断絶線にもっとも近い店が、目的の朝日屋である。


 堂々たる瓦葺きの屋根、二階ベランダには年季の入った室外機。六本木の栄枯盛衰を世界の断絶線の外側から見続けてきた昭和の香りが漂う佇まい。


 紫の暖簾をくぐると、カウンターに手をかけて身体を支えていた老婆が、いらっしゃいと言いながら歩み寄ってきた。


「奥へどうぞ」


 背中の曲がった老婆に案内されて、一番奥の席に座る。


「ざるそば」


「Zall£kunNud€£~」


「はい?」


「あ、ざるたぬきそばで~」


「あいよ」


 老婆がカウンターの向こうに注文を言うと、返事の代わりに鍋底を打ったような、カーンという金属音が返ってくる。


「てへっ☆ 思わずニタムニ語が飛び出しちゃった」


 頭をコンとやりながら、舌を出すシホ。そんなテヘペロが痛々しい年齢であることは、あえて黙っている寛大なマリコである。


「仕事中、いっつもSp€d£a2ngを聞いてるからね~」


 聞き流しているだけで、ある日突然ニタムニ語が飛び出すという、人気の語学教材である。


「聞いてた甲斐あったね」


「うん☆」


 軽い皮肉を言ったつもりだが、あらゆる言葉も性善説に基づいて生まれているであろうと思い込んでいるナチュラルボーンなシホは、マリコの言葉にもニコニコしていた。


 ニタムニ語は、ニタムニ人が奴隷としてニュードンスター島より世界各地に連行される事により大きく変容していった。もともとニタムニ語にない名詞や言い回しを吸収し、語彙を増加させていったのである。


 ニタムニ語は語形や文法が非常に曖昧で、言葉をどの位置においても、助詞を省いても文章が成立するという特性をもっていた。なので生活に必要な名詞を取り入れ、その地で多く使われる公用語…例えば英語やスペイン語の文法に従うかたちで、ニタムニ語は各地で独自の進化を遂げていったのである。


 リイレント社や各国のビジネスエリートが使うニタムニ語は、本来のニタムニ語ではなく、アメリカ合衆国に奴隷として連行され、その地でニタムニ人が生活することによって変容したアメリカン・ニタムニッシュである。


 そのため、文法的なルールは英語に近く、単語も英語の発音やつづりに近いものが多い。日本のカタカナ外来語のようなものである。


 なので、英語を習得していればニタムニ語の習得もそれほど難しくはない。語彙を増やすだけで「なんとかなる」そうだ。


 もっとも、その英語にせよ、少なくとも義務教育でン年(年齢により変化)勉強しているはずの日本人は、それでも英語が不得意な人間も多い。マリコもその一人であるが、そういう人間は、「英語と近いから習得がラク」という特典も使えず、ただ呆然とするしかないのである。


 そもそも日本人が外国語習得に熱心でないのは、日本語だけで、日本という世界有数の大国の市場に参入できるためである。


 英語学習についてはよく韓国と比較されることが多いが、地理的な近さや加工貿易を得意とするという特性は共通するが、内需の規模が違う。韓国は国内市場の規模の小ささから外需により依存しなければならないわけだが、世界有数の内需を誇る日本は、無理に海外に進出せずとも国内での取引だけで十分企業を大きくすることができる。


 少子化と市場の縮小を懸念する小売業者がこぞって「グローバル化」を標榜し海外に進出しているが、その企業のどれもが海外の売上げが日本国内での売上げを上回る業績を叩きだしていない。


 そのような企業はそれこそ社是として英語公用語などを導入し積極的な海外進出をアピールしているが、その結果はあまり芳しいものとはなっていない。海外拠点として地元の企業を買収することも多いため、かえって日本国内で得た利益を海外に放出しているような有様である。


「日本の企業が海外で成功できないのは、海外の企業が日本で成功できない理由と同じな気がするなぁ」


 汗をかいたグラスをくるくる回しながら、シホは店の隅に下げられた液晶テレビを眺めていた。


 NHK総合オンリーな店内テレビは、午前中に発表となった某大手ファストファッションチェーンのインドネシア撤退を報じていた。この企業もまた「社内英語公用語」をぶちあげた企業であった。

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