第155話 北村太一と最後の闘い②
水無月氷華が光と共に消滅した場所に立ち、凍夜は呆然と空を見上げる。ふわふわと舞っていた粉雪は収まっていて、冬晴れらしい青空が広がっていた。澄んだ空気が流れ、魔力の残滓が宙を漂う。
顔を上げれば、普段と変わらぬ町並みが広がっていた。人々は日常を生き、平穏を疑わない。何事もなかったように、世界は回る。
例え、その平穏の為にひとりの少女を喪っていても。
「無知ってのは本当に罪だ。平穏の裏でこんな闘いがあるなんて知らず、ひとりの女の子の頑張りも知らない。何の疑いもなく、平穏が当たり前のように生きている」
目を閉じれば、背後から闘いの音が聞こえる。ワールド・トラベラーが闘いの中で生き、平和の為に身を削っている。何事もなかったように、世界を救う。
例え、その平和の為に救世主の人生を翻弄しても。
「そんな“その他大勢ごと”世界を救うなんて真似、俺はできない以前にしたくない。やっぱり俺は、絶対に救世主なんてなれない。なろうとも思えない」
凍夜は軽蔑するように冷たい瞳で、世界を見下した。
「どう足掻いても氷華を救えない、こんな運命なんて――こんな世界なんて――」
その先の言葉は呑み込み、凍夜は手袋をポケットに捩じ込む。顔の前で両手を組み、冷たい魔力を集中させた。
――――ガシャン
その集中を遮るように、頭に何か冷たいものが押し当てられる。聞こえた音から察するに、銃口だろう。恐ろしい程に集中していた凍夜は、僅かな呼吸音だけでそれが誰のものかも容易に判断できた。
「どうしたんだい、ノアくん」
瞳を閉じたまま口だけを動かす凍夜に対し、彼は震える声で問いかける。
「シンを……殺すのか……?」
「…………」
「あいつが、命を賭けて護ったものを――氷華の想いを無駄にするつもりかッ!?」
瞳の色を真っ赤に輝かせ、一筋の涙を流しながら――ノアは心の底から叫ぶ。崩れ落ちたいくらいの辛さと、行き場のない怒りと、彼女を護れなかった悔しさ。それ等によって歪んだ表情を隠すように、彼は唇を切れる程に噛み締めた。
ノアの大地を揺らすような叫びを前にしても、凍夜の感情が揺れる事はない。泰然自若な様子で、集中力が少しも途切れる事はなかった。今の凍夜には、最優先すべき事がある。ノアに構っている暇はなかった。刃物のように研ぎ澄まされた魔力を纏いながら、凍夜は漸く双眸でノアを見据える。
「……俺の妹を見縊るなよ」
その瞳はまるで――怒りと悲しみが入り混じったような、酷く悲痛な瞳だった。
「こんな事で氷華は死なない。俺が死なせない」
そう宣言した瞬間、凍夜から膨大な量の魔力が放たれ、ノアは驚愕で目を見開かせた。足元には巨大な魔法陣が煌めき、凍夜の髪は逆立つように揺れている。その姿はまるで――氷華が魔術を発動する時の姿そのものだ。
「お前……!」
「『氷雪よ……我が契約の下、力を示せ』」
氷華が発動した魔術は、“真実”の時のものとは少しだけ違っていた。確かにあの時と状況は違う。それだけの事かもしれない。
だけどもしも、無意識だとしても――氷華なりのメッセージがあったとしたならば。救世主の水無月氷華が押し込めてしまった本能の、更に深い場所。もしも只の人間としての水無月氷華が、最後の最後に誰かの救いを求めていたら。
「『空に舞う粉雪よ、無数に散った氷の礫よ。我が声に集え』」
可能性は限りなく低いかもしれない。もしかしたら只の自分の願望かもしれない。それでも、可能性はゼロじゃないだろう。だったら自分がここで行動しなければ、一生後悔する。
氷華が“まだ生きる事を諦めず、誰かの救いを信じている事”を信じ、凍夜は奇跡を掴み取るように精霊魔法を発動した。
「『モーント・コンツェルト』!」
再び舞い落ちる粉雪を眺めながら、凍夜はくるりと振り返る。
「俺が、氷華の事を諦める訳ないだろ?」
ノアの目には、そう言いながら辛そうに微笑む凍夜が写っていた。暗闇のような絶望に打ちひしがれそうになっても、決して諦める訳にはいかない瞳には光が宿っている。まるで、凍えるような暗く寂しい夜闇の中でも、希望の光を放ち続ける月のようだ。
「それに氷華はまだ諦めていない。俺たちを信じている筈だ。だったら、俺が諦める訳にはいかないだろ。だって俺はあいつにとって、いつも完璧な――世界一のお兄ちゃんだから」
自分自身に言い聞かせるように呟く凍夜を見て、それがどこか氷華の面影と重なり――ノアは乱暴に涙を拭う。改めて、ノアは凍夜の事を誤解していたと判断した。
冷静すぎて、考えが読めなくて、容赦がなくて――ちょっと危険な人物。そんな事はなかった。妹に対しては必死に完璧な兄を演じ続ける、只の妹想いの兄なだけだ。
そして大切なものの為に決断できる強さ。凍夜は時折、氷華のようなまっすぐ凛とした瞳を見せると思っていたが、恐らく逆なんだろう。凍夜に憧れた氷華が、凍夜のように凛とした瞳を見せていた。
「お前は本当に氷華の兄なんだな」
「何を今更。さあ、ここからは俺たちが氷華の意思を継ぐ番だ」
――――バァンッ!
凍夜は天高くへ向け銃弾を放った。まるで天に住まう神へと反逆を始める、開戦の合図のように。
続けてノアの額に巻かれたハンカチをすっと指さし、次に今も尚激しい死闘を繰り広げている太一たちの方向を指さす。何かに気付いたノアは、額に巻かれたハンカチを解き、そのままぎゅうっと強く握りしめながら「……ああ」と頷いた。その動作に反応するように、ハンカチは光り輝き――謎の魔法陣が浮かび上がる。
恐らく、ノアと別れる間際に彼女が施した仕業だ。きっと彼女は、ここまでの展開を見越していた――否、信じていたのだろう。
「今立ち止まっていたら、それこそ氷華に怒られるだろうからな……」
彼等の背中を押すように輝く魔法陣を見つめながら、ノアは気丈に笑う。そのままノアは、今まで腰に巻いていた、氷華が託した予備のワールド・トラベラーのジャンパーを広げ、静かに袖を通した。
「僕は氷華の意思を護る。そのついでに――この世界も護ってやる!」
強い決意を胸に、ノアは再び立ち上がる。覚悟を決めたノアを見ながら、凍夜はふっと微笑んだ。
「やっぱりツンデレだな、ノアくんは」
「凍夜もじゃないのか?」
「俺はいつも素直だよ」
「……それもそうか」
凍夜は再び歩き出す。自己犠牲心に囚われた、どうしようもなく愚かな、ワールド・トラベラーの闘いを見届ける為に。命を燃やして闘い続ける、どうしようもなく手のかかる、只の幼馴染を助ける為に。
――俺は氷華を信じてる。だから氷華も俺を信じてくれ。
太陽が昇るその時まで、月は世界を照らし続ける。陽光と月光が協力するように、世界を照らし続ける。それはまるで――太一と氷華――否、太一と水無月兄妹のようだとノアは思った。
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