第102話 忘却と喧騒の平穏



 ――SATURDAY 2:30



「やっぱり小さい身体は――攻撃を避けるのには便利なのかしら!」

「…………」


 自分たちに向かって伸びる樹木を避けながら、ソラシアとスティールは背中合わせでそれぞれの相手を見据えていた。

 ソラシアの目の前には、自分とは異なり年相応の姿をした偽ソラシア。

 スティールの目の前には、一言も喋らずにじっと自分を睨み続けている偽スティール。


「ソラシア、大丈夫かい?」

「うん、どうにかね……だけど凄い攻撃……ッ!」


 容赦なく剣を振り上げてくる偽スティールの攻撃を、ソラシアは咄嗟に精霊魔法で防いだ。精霊魔法を発動した直後の隙を突いてくる偽ソラシアの攻撃を、スティールは剣術でどうにか抑え込む。

 その様子を見ながら、偽ソラシアは行き場のない怒りを露わにする。


「そうやってあなたたちは逃げてばっかり。あの時だってそうよ。あなたたちが何か言い出せば、お父さんやお母さんだって今頃救われていたかもしれないのに! あのまま、幸せな家族が続いていたかもしれないのにッ!」


 偽ソラシアの叫びを、ソラシアとスティールは何も言えずに聞く事しかできなかった。彼等の心の中では、その事がどこか心残りだったのかもしれない。


「それにあなたたちは互い殻に籠っていたわ。絶望に耐えられず、記憶を閉じ込めて、無様に逃げ回って、生き永らえて……精霊にまで情けをかけられる始末!」

「…………」

「こんな事ならあの時に死んだ方がマシだった! 精霊になってまで生き延びる事なかった! 精霊になった途端、私の時間はあの時のまま。逃げる事も、変える事もできない。あなたはまた味わうのよ。大切な人たちから置いて逝かれる運命を」


 ――この人は……。


 何かを理解したソラシアは、一切の敵意を向けず、ゆっくりと偽ソラシアの元へ近付く。偽スティールがソラシアの行く手を遮ろうとするが、それをスティールが許さなかった。レイピアと魔剣がぶつかり合い、火花が弾け飛ぶ。


「君の相手は、僕だよ」

「…………」


 偽ソラシアが発する攻撃に臆する事なく、ソラシアは痛みに耐えながら一歩ずつ確実に近付いた。ソラシアの行動が理解できず、偽ソラシアは困惑し始める。


 そして、小さな彼女が立派に成長した彼女を優しく抱き締めた。


「ソラが――いや、私が忘れちゃってたから、ずっとずっと寂しかったんだね。ごめんね、もう一人の私」

「なッ……何を、言って……!」

「確かに私は逃げていた。そして変わる事も諦めていた」

「…………」

「だけどね、今の私は皆のお陰で変われたよ。友達が居て、仲間が居て、ティル兄だって居る。隣で笑ってくれる皆と一緒だから。私はもう逃げない。自分からも、時間からも。あの時の私から、変わってみせるよ」


 ソラシアの言葉を聞き、“もう一人の自分”は泣きながら「あなたは、もう変わっているじゃない……」と崩れ落ちる。


「あなたは、過去の私が憧れていた未来の私だね。お母さんみたいに優しくて綺麗な人。私もいつか、あなたのような、素敵な私に成ってみせるから」


 ソラシア自身も、“もう一人の自分”に対して涙を流しながら微笑んだ。




 スティールは自分に向けられる殺気に冷や汗を流しながら「さて、ソラシアも自分を受け入れた事だし、僕もいい加減に君を受け入れなきゃいけないよね」と呟く。

 その瞬間、偽スティールの動きが止まった。偽スティールは驚いたような表情を浮かべながらスティールを見つめる。


「僕が気付いてない訳ないだろ? 君はもう一人の僕だ」

「…………」

「君はきっと、過去の僕が憧れていた姿なんだろうけど――ごめんね。どうして君のように成りたかったかは覚えてないんだ」


 すると今までずっと黙っていた“もう一人の自分”は、静かに口を開いた。どこか苦悩しているように語るその言葉に、次はスティールの動きが止まる事になる。


「僕等は、君たちの精神的苦痛や代償が具現化した姿だ。だから、記憶のない君が僕を理解できないのも無理はない」

「別に理解できない訳じゃないよ。君は僕なんだろうって何となくわかるし。昔の僕が望んでそう成ったなら、今の僕は受け入れるだけだよ」

「受け入れる、か……」


 記憶がないなりに“もう一人の自分”を受け入れようとするスティールは、そのままにこにこと笑いながら「僕もさ、最初は君みたいに悩んだり、苦しんだり、散々だった。どうして僕はこんな事になったんだろう、って自分を呪った時もあった。でもね――」と続ける。


「今になっては、それはそれでよかったんじゃないかって思える。こうして仲間たちと出会う事ができたんだから。皆と一緒に笑い合える、こんな未来に繋がっているなら――僕の過去に間違いなんてなかった」


 すると“もう一人の自分”は瞳を閉じ、ふっと口元を綻ばせた。穏やかな表情を浮かべ、スティールに対してある言葉を投げかける。それは彼の願いでもあった。


「この先の未来、もしかしたら――いつか君は、僕の事を知るかもしれない。その時、今の言葉を忘れないでね」


 言葉の背景は汲み取れなかったが、スティールは「ああ、わかったよ」と頷く。

 そのまま“もう一人の自分”と向き合いながら、仲間たちと笑い合う日常を思い浮かべ、微笑んだ。


「僕は君より昔の事は忘れてしまったけれど、君の事は忘れない。何回死んでも、何回生まれ変わっても、例え他の事全てを忘れてしまっても……この想いだけは絶対に忘れない」




 もう一人のソラシアとスティールは光を纏いながら、幸せだった幼少期の姿へとその身を変えた。二人は仲睦まじく手を繋ぎ合い、楽しそうに笑いながら手を振っている。


「「わすれないでねっ」」


 そして――幼き日の二人は光の中へと消えていった。



 ◇



 ――SATURDAY 2:40



 頭から血を流して膝を折る重症の太一を見て、刹那は混乱していた。肩で息をする太一を揺さぶりながら、刹那は「太一さんッ!」と悲痛な声を上げる。


 ――やっぱり、人間じゃ京に敵わない……!

 悔しそうにぎゅっと瞳を閉じ、刹那は「太一さんを死なせる訳にはいかない……まずは彼の回復が優先だ」と判断する。


「ふうん、人間にしてはやるかもね。だけど俺には敵わないよ」


 京は歪に笑いながら「刹那がこっち側にくれば、その人間を治してあげてもいい」と刹那の心に揺さぶりをかけ始めた。びくりと肩を震わせながら、刹那はその場で硬直する。


「お前の力は未来を操る。だから下手に使えない。だってこの人間の死期がわからない以上、時を進めすぎたら逆に殺しちゃうかもしれないからね」

「……ッ!」


 刹那は見事に思考を言い当てられてしまい、言葉をなくした。


 刹那の能力は“時を進める力”だ。京が指摘した通り、少し間違えば対象者を殺してしまう恐れがあり――刹那はそれを酷く恐れていた。刹那自身に対象者の“未来を視る力”があれば、誤って殺してしまうような問題ないのだが、残念ながら彼女はそこまでの技量に達していない。


 ――私に未来を視る力があればいいんだけど……それができるのはお父さんだけ……それに、お父さんでさえ時間を操作する事は容易くできない。


「それに比べて、俺の力だったらそんな傷は簡単に消せるよ?」


 戸惑いながら、懇願するように、「本当に、太一さんの傷……治してくれるの……?」と声を震わせる刹那を見て、京はニヤリと口角を吊り上げる。

 刹那は藁にも縋る思いで立ち上がり、京の方へと足を進めようとするのだが――その細腕を太一はぎゅっと掴んだ。


「駄目だ、刹那。行くな」

「た、太一さんッ……けど、怪我が……ッ!」

「これくらい慣れてるから大丈夫だ」


 太一は強気に笑ってみせると、口内に溜まった血をぺっと吹き出す。ゴシゴシと乱暴に額の血を拭うと、ジャンパーの袖が赤に染まった。太一は痛みに耐えながらも、敵対心剥き出しで京をギロリと睨み付ける。


「こっち側に就けとか言って、本当は刹那の力が狙いなんだろ」

「当然だよ」

「そしてお前は俺を治すつもりなんてない」

「俺に害を為す人間は消すまで。傷どころか、存在まで消滅させてあげる予定だったのに。あーあ、残念だなあ」


 くすくすと無邪気に笑う京を見上げ、刹那は背筋が凍った感覚に陥った。京の言葉に従って、このまま自分が彼の元へ行っていたら――例え、未来を視る力がなくても破滅の未来が安易に想像できる。

 この世界や人間たちを壊す事に何の躊躇いもなく、寧ろ躊躇いどころか何の感情も抱かない様子の京が、酷く恐ろしく感じた。


「お前の狙いは何だ。世界の破壊か? それとも刹那か?」

「そうだね、俺を生み出したこの憎たらしい世界……それを完全に消滅させる為には、“この世界の未来”を奪わないといけないから」

「だから、刹那の力を狙った」

「それに力を完全に扱えないなんて宝の持ち腐れでしょ? 俺ならその力、完全に掌握できるだろうし」


 京は狂喜染みた表情を浮かべながら「俺なら、自分の力を暴走させるような失敗はしないよ」と告げると、刹那は俯き、悔しそうに拳を強く握る。


「未来なんて、誰も操れない」


 太一の言葉に、刹那ははっと顔を上げた。傷だらけで立っている事すら辛い筈なのに――何故か太一を見ていると、何でもやってのけてしまいそうだと思えてしまう。それ程までに、太一という存在が隣に居るだけで、刹那にとってはとても頼もしく感じられた。

 これが、神をも認めた救世主なのだろうか。


 そんな信頼を背負いながら、太一は強い瞳で京を見据えた。


「少なくとも、俺の未来は他人に操らせるつもりはない」



 ◇



 ――SATURDAY 3:00



「てめえ、今の生活に満足してないだろ?」


 偽アキュラスの問いかけに、アキュラスは「何を言って、やがる!」と言いながら身体を捻った。そのまま勢いを殺さずに回し蹴りを繰り出すが、偽アキュラスも炎を纏った腕でその攻撃をガードする。すかさず偽アキュラスは炎の拳を突き出すと、アキュラスはそれを両手で防いだ。


 一進一退の攻防が続き、アキュラスは内心でこの状況を楽しいでいた。

 しかし、それは偽アキュラスも同じである。


「まさか俺自身と闘う日がくるなんて……面白い!」


 アキュラスはニヤリと口で弧を描くと、そのまま炎を纏った拳で連打を叩き付けた。


「そうだ、てめえの居場所はここだ。所詮、てめえは闘いの中でしか生きられない! 闘いでしか満足できない!」


 偽アキュラスが拳を掻い潜りながら距離を置き、アキュラスはチッと舌打ちを零す。


「だけど本心はどうだ? 本当はそんな生活望んでいなかった! あいつ等と平和に生きて痛かった!」

「ッ!」

「でもあいつ等は理不尽に殺された。そして、俺自身も狙われ――だから俺は、生きる為に仕方なく殺した。理不尽な人生を恨み、敵を殺し、世界を憎んだ!」


 アキュラスの頭に過去の光景が過ぎる。そして、当時の自分がずっと抱えていた苦しみを、目の前の彼は代弁するように叫んだ。

 アキュラスは小さな声で「ああ、そうだ」と悲痛な叫びを肯定する。


「そうだろう? てめえの本心はそこだ。それなのに……どうしててめえは仲間ごっこをしながら平和にのうのうと生きている? 闘いの中でしか生きた心地を見出せないのに! あいつ等が理不尽に死んじまった世界で! 平穏で空っぽのまま、どうしててめえは生きているッ!?」


 まるで魂からの叫ぶように訴える声を聞いたアキュラスは、「てめえが俺なら、他の誰よりもわかってんだろ」と口を開いた。

 一度死にかけた時に聞こえた気がした妹からの激励を思い出し、どこか言い辛そうに難しい顔をし、半分自棄になっているように続ける。


「確かに、あの頃必死に取り戻したいと願ってた平穏ってのは、今の俺にとっては空っぽで何も満たされねえもんだ……と思ってた。だけど、あいつ等が容赦なくズカズカ入ってくんだよ。うざったいし、うるせえし、毎日たまったもんじゃねえが……何もなかったあの頃よりは断然マシだ。だから、平穏ってのも悪くねえかもって最近思い始めてんだよ」

「…………」

「俺が満足してねえってのも当たってる。流石、俺だ。だが満足してねえのは、未だにあいつ等と決着が付かないからだ。あいつ等と毎日のように勝負できなかったら、もっと満足できてないだろうぜ」


 アキュラスは紫と赤紅の瞳で、目の前に佇む“もう一人の自分”を見据える。

 赤紅の瞳で現在を映す事はできないが、安寧な人生を送っていた過去は映し出せる。

 紫の瞳には、仲間兼好敵手の彼等と共に進む未来が視えた気がした。


 すると“もう一人の自分”は「はっ、俺らしいな……全く」と溜息を吐く。その様子を見ながら「てめえが言うように……過去の俺は、人生を悔いて、理不尽を恨んで、世界を憎んでいた」と同意した。


「だけど、あいつ等が変えちまったんだよ。世界も、俺も」


 その言葉を聞きながら、“もう一人の自分”は満足そうに笑うと、彼は淡い光に包まれ始める。


「決着が付かないじゃなくて――決着を付けない、じゃねえのか?」

「さあ? どうだろうな?」

「全ての決着が付いて、また道に迷ったら……俺と勝負しろよ」


 そう言い捨てながら、“もう一人の自分”は眩い光の中へと消えてしまった。アキュラスは長い前髪で赤紅色の瞳を隠しながら「ああ、望むところだ」と応える。

 顔を上げたアキュラスは、どこか楽しそうに、ニヤリと笑っていた。


「幸せってのがこれかどうかはまだわかんねえが……きっと、今はこれでいいんだろ。なあ、レジェール」



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