第88話 呼び出しと逃走の落下


 ――THURSDAY 12:20



 明亜から指定された時間になると、氷華は屋上の扉を勢いよく開けた。上空に広がる青空。少し早めに流れる雲。眩しく輝く太陽。氷華は目を細めながら、手で視界を陰らせる。


「やあ、ちゃんときてくれたんだね。氷華ちゃん」


 扉の横から聞こえる声を聞き、氷華は数歩前へと歩き出した。そのままくるりと振り返り、氷華は凛とした瞳で声の主を見据える。


「ちゃんときたんだから教えてよ。仲間の居場所と、夢東くんたちの正体」


 ひとりであっても臆する事なく、相変わらず挑戦的な氷華の態度を見て、明亜は「凄い度胸だねえ」と能天気に笑っていた。その様子を、氷華は動じずに黙って見つめている。そのまま氷華はすっと一息吐くと、胸の前で手を構えた。そう、それは正しく――。


「あれ、もしかして戦闘態勢?」

「そうだよ、力ずくでも教えてもらうから」

「僕、痛いのは嫌なんだよね」

「じゃあ素直に教えてよ」

「さあて、どうしようかなー」


 頭の後ろで手を組みながら、明亜はくるくると楽しそうに回っていた。暫くしてから氷華に一歩ずつ近付き、ゆっくりと彼女と視線を合わせる。氷華はその怪しく輝く瞳に吸い込まれてしまう錯覚に陥ったが、ギリッと明亜を睨み返してみせた。


「氷華ちゃんが先に秘密を教えてよ」

「そっちが先に教えてくれたら、教えてあげるよ」

「ねえ、教えてよ……」

「…………」


 明亜は氷華の顎を持ち上げ、紅色の瞳を怪しく輝かせながら、言い聞かせるようにゆっくり呟いた。すると氷華の瞳は次第に虚ろになっていき、徐々に輝きをなくしていく。それを見た明亜は、満足気な表情を浮かべながらニヤリと笑っていた。

 しかし次の瞬間、明亜の瞳が大きく見開かれる事になる。


「教えないよ」

「!?」


 ――どうして……どうして堕ちない?


 そうして氷華は自分の頬を軽く叩きながらふっと笑うと、一瞬で元の凛とした瞳に戻った。明亜はどうしてもそれが理解できず、咄嗟に「どうして……君や、君と一緒に居た少年は……君たちは何者なんだ? 氷華ちゃん」と口を滑らせると、氷華はニヤリと笑って答える。


「私? 私はね……ワールド・トラベラーだよ」




「もういいんじゃないのぉ? その小娘に話しちゃっても」

「潮時だろ、そろそろ」

「ワールド・トラベラーって何だか、気になるし」


 屋上タンクの陰から新たな人影が現れ、氷華は咄嗟に視線を移した。そこへ現れた人物たちに、氷華は怪しいものを見るかの如く眉を顰める。


「私にはひとりでこいって言ったのに、ちょっと卑怯なんじゃない?」

「彼等は僕の仲間だよ、氷華ちゃん」


 明亜は氷華から即座に距離を置くと、一言だけ呟く。そのまま両手を広げながらにこりと微笑み、遂に決定的な言葉を氷華に向かって告げた。


「彼等に協力してもらったお陰で……水、地、火はこちらの手の内にある」

「おっ、やっと本性露わしたね! これで晴れてあなたたちと私たちは敵同士だ」


 しかし氷華は挑発に乗る様子もなく、明亜と同様にこにこと笑みを崩さない。それを見た京羅は目を細めながら「あんたさぁ、自分が置かれている立場……わかってんの?」と嘲笑っていた。


「無理して強がってると、本当に死ぬわよ?」

「四対一。俺たちに勝てる訳がない」

「情報、教えてもらうから」


 司は呆れながら斧を構え、法也も懐からそっと警棒を忍ばせる。明亜は「退路は塞がせてもらうからね」と言って、屋上の扉の前に立ち塞がってしまった。


「あちゃー、逃げ道塞がれちゃったか」


 氷華は呑気に呟くと、屋上のフェンスに肩を預けながらぐるりと辺りを見回す。明亜、京羅、法也、司が半円状に氷華を取り囲み、馬鹿にしたように嘲笑っていた。


「観念しなさい、小娘」

「痛い目に遭いたくなきゃ大人しくしてやがれ」

「答えて」

「どうする? ワールド・トラベラーの水無月氷華ちゃん」

「この状況じゃ逃げられない…………何て言うと思った?」


 氷華は何かを企むようにニヤリと笑い、その瞬間――あらかじめ強度を落としていた屋上のフェンスを蹴破り――勢いよく飛び下りた。自殺行為とも取れる彼女の行動を見て、四人は口を開けたまま驚愕する。


「ちょ、ちょっとあの小娘正気なの! 頭いかれてるんじゃない!?」

「この高さ、よっぽどの事がない限り間違いなく死ぬぞ!」

「貴重な情報源が……ッ!」


 最初は仲間たち同様に驚きを隠せなかった明亜だったが、我に返って直ぐにフェンスから地上を覗き込んだ。地上には、無残に壊れたフェンスだけが広がっている。明亜の動揺によって洗脳が解け、正気に戻ったであろう生徒たちが、野次馬の如く続々と集まってくる。

 しかし、そこに氷華の姿は見えなかった。

 代わりに聞こえるのは、下の階の教室がざわつく音。そこから明亜は、瞬時に氷華の行動を理解した。


「下の階かッ!」



 ◇



 ――THURSDAY 12:30



 氷華は「ぶっつけ本番だったから……流石にちょっと怖かったよ」と呟き、苦笑いを浮かべた。


 教室から氷華が出た事を確認し、事前に空き教室に待機していたスティールとディアガルドに太一が合流した。この空き教室は、丁度氷華が明亜と話している真下に位置する。後は太一とスティールがフェンスの落下を見張り、ディアガルドに合図を送る。そして氷華が落ちてきた瞬間、ディアガルドが手元を光らせ、氷華の落下を止めた。


 氷華の身体を引き上げながら、太一は「まさかディアガルドがそんな事までできるなんてな……」と感心しながら呟いた。


「説明はしていませんでしたね。太一くんたちがゼンさんに闘う術をもらったように、僕等もマスターから“ちょっとした力”をもらっていたんですよ。まあ、僕等には精霊魔法がありますから、おまけの力みたいなものです」

「おまけって言う割にはかなり凄いよな……」


 カイリが攻撃反射(カウンター)、ソラシアが瞬間移動(テレポート)があるように、他の三人も何かしらの“ちょっとした力”が存在する。アキュラスは己の感覚神経を極限まで引き上げ、次の一手を予測する予知(キャスト)。スティールは魔剣との同調(シンクロ)。これによって、精霊魔法の他に魔剣による魔術も使えるらしい。そしてディアガルドは超能力(サイコキネシス)。ちょっとしたものなら念力で止めたり動かしたりできるとか。


「もしかして、アクと闘った時……激突しそうになった私たちが不自然に止まったのって……」

「ええ。その通りです」


 背伸びをしながら氷華が過去の闘いを思い出していると、ディアガルドは肯定と共に「大丈夫ですか、氷華さん」と微笑みかけた。


「私は大丈夫だけど、ノアが……」


 ふらふらと目を回しているハンカチ状態のノアを見て、氷華は「大丈夫、ノア?」と問いかける。ハンカチ状態のノアは(恐らく)頭部を振りながら、「問題、ない」と返答した。


「つまり、ドクターと対峙した時のワイヤーに見せかけたあれは――」

「実は本当に種も仕掛けもなかった、って事ですよ」

「とんだ策士だな」


 ノアが溜息を零す横で、太一は「それより、奴等はどうだった?」と氷華に問いかける。氷華は「うん、ビンゴだった」と真剣な表情で続けた。


「じゃあ、彼等がソラシアたちの居場所を?」


 氷華は小さく頷き、「水、地、火はこちらの手の内にある……って言ってた」という証言を共有する。そこからディアガルドは「となると、やはり精霊が狙いで間違いなさそうです。次は僕かスティールでしょうね」と目を伏せた。


「数で考えると四対五でこちらが優勢ですが――ノアくんはここで元の姿に戻るにはリスクが高い。そうなると四対四。とりあえず増援でもこない限り、ノアくんはハンカチ状態で大丈夫でしょう。僕の予想では、敵は“精霊”の情報しかないようですし」

「氷華は完全に警戒されてる、精霊である二人が狙われて、ノアも変身できない……となると、今フリーなのって俺だけか」


 太一は周りを見て確信すると、「よし」と自身の頬を叩いて気合を入れる。その目には、火か灯っているようだった。


「ええ、それに太一くんの戦闘力は剣術だけでも充分ですからね。戦闘に縺れ込んだとしても、一番怪しまれにくい。例え一般人に目撃されても、闘い方次第では“何か妙に強い一般人”に誤解されるでしょうし」

「僕も剣術だけど」

「スティールは剣術でも、武器に魔剣を使うじゃないですか。流石に一般人に目撃されると後々面倒です」


 氷華は思い出したように「あ、銃刀法違反」と呟くと、スティールは「僕等の中では銃も刀も何でもありだからいいけど……一般人の目を気にしなきゃいけないのは、ちょっと面倒だなぁ」と肩を上げて笑っていた。


「太一くん、予備の竹刀とか持ってない?」

「悪い、予備はない。って訳でこれでも持っとけ」


 そうして太一は清掃用具の中から箒を一本取り出すと、スティールに向かってぽんっと投げる。スティールは口元を引き吊らせながら「うっわ……箒で闘うとか、かっこ悪」と悪態を零していた。暫く文句を言っていたが、最終的に「武器がないよりはマシか」と割り切る事にしたらしい。


「しかし油断は禁物です。危険になったら遠慮なくそれぞれの力をぶっ放しましょう」

「おーけー」

「了解した」

「任せて」


 スティール、ノア、氷華は即答してみせるものの、彼等の中ではまだ常識人の部類である太一は「おいおい、いくら何でも一般生徒たちにばれるのはヤバイだろ」と焦る。するとディアガルドは一瞬だけきょとんとしたものの、すぐにニヤリと笑いながら言い放つのだった。


「もしも似非王子サマの洗脳が続いていれば、見られても認識されないかもしれないです。それに、まあ……いざとなれば、僕が人間の脳に少しばかり雷を流して……記憶を、ね?」

「…………」


 ――やっぱりディアガルドには逆らわないでおこう……。


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