雷電と時間の木曜日

第87話 挑発と特別授業の開始


 ――THURSDAY 5:00



 早朝のグラウンド、そこに太一や氷華たちは静かに佇んでいた。この日も失踪した仲間たちを夜通し捜していた一同は、ふわあっと緊張感のない欠伸を零す。ディアガルドに至っては、立ったまま寝ている様子だった。


「さて、こうして今日もまた学校が始まる訳だが……かなり眠い」

「また寝てたら先生に怒られそうだね」

「ディアとかは既に寝てるけど」

「「…………」」


 自分の肩元に目を向けると、ハンカチ状態のノアが静かだったので、氷華は「あ、ノアも寝てる」と呟く。太一は必死に目を擦りながらも、真剣な面持ちで学校を見つめていた。まだ薄暗い校舎が、どことなく怪しさを醸し出している。そして、恐らくここが――決戦場所になるだろう。


「今日の作戦、ちゃんと覚えてるか?」

「ばっちり」

「任せて。やり遂げてみせるよ」


 ディアガルドは寝言のように「任せ、ま、す……」とだけ小さく呟き、ノアは寝ぼけている様子で氷華の肩から頭の上へとふわふわ移動している。

 彼等は、昨日の作戦会議で敵を浮き彫りにする為のある作戦を考えていた。


 ――さて……この作戦、ちゃんと乗ってよね。夢東くん。



 ◇



 ――THURSDAY 6:00



「皆、ちょっといいかな。敵に僕等の事がばれたかもしれない」

「本当なの? “悪夢”」

「…………」

「チッ、面倒な事になったぜ」

「だけどね、ここからはもう隠す必要はないと思うんだ」

「へえ、随分と強気に出たわね。いいわねぇ……そういう強気な男はアタシ好きよ」

「ま、残り二人だしな。最強の俺が居ればどうって事はねえか」

「……次はどっち?」

「次のターゲットは……そうだね、これから彼を誘い出す為の作戦を言うよ。よく聞いてね」


 ――さて……この作戦、ちゃんと乗ってよね。氷華ちゃん。



 ◇



 ――THURSDAY 8:00



 今やクラスの人気者となった明亜は、当然のように女子たちに囲まれながら教室へと姿を現した。続けてやってくるのは、同じように男子からの人気を博している京羅の姿。その少し後ろからは司と法也がゆったりと歩いていた。

 明亜と京羅が姿を見せる事によって、今まで静まり返っていた教室内がざわつき、歓喜に包まれる。今やクラスメイトたちから挨拶すら返されなくなってしまった太一や氷華たちは、そんな異質な光景をじーっと眺めていた。


「クラスの奴等、遂に俺たちの事は認識すらしてないっぽいな……」

「あの光景、人気者とか通り越して――まるで信仰だね」

「全くだ」


 すると、スティールはにこにこ笑いながら「似非王子、似非教祖……あながち間違ってないかもね」と敵視半分、嫉妬半分の念を込めて呟いた。その横では、眼鏡のフレームを小さく上げながら、ディアガルドが「ならば、僕たちで堕としましょうか。その似非教祖を」と怪しく笑ってみせる。

 その時、氷華の肩に乗るノアがちょんちょんと何かを訴える様子で動き出した。氷華は「ん、どうしたの?」と問いかけると、ノアは「あいつ等、様子がおかしくないか?」と小さく呟く。あいつ等、とノアが示す方向――明亜や京羅を取り巻くクラスメイトの――太一や氷華が特に仲がいい友人たちを見て、氷華は目を細めた。


「ゆりともも……目が虚ろで、ちょっと変かも」

「奏と誠もおかしいな。誠はともかく、奏が一言も発しないのはおかしい」


 いつも彼等の取り巻きたちは騒がしく声を上げている筈なのに、今日は不自然なくらいに一言も発していない。しかも、よりにもよって今日は太一と氷華が特に仲がいい友人たちを引き連れている。クラスメイト同様、彼等も太一や氷華たちに挨拶ひとつ返す様子もなく、虚ろな目で呆然としているだけ。それはまるで、心を抜かれた操り人形のようだった。


「残念ですが、おかしいのは彼等だけじゃないようですよ」

「見てよ。いつの間にかクラスの皆から睨まれちゃってる」


 スティールとディアガルドの指摘によって、太一と氷華は咄嗟に周囲を見回した。いつの間にかクラス中から視線を浴びている。刺々しく、冷たく、敵意を込めたような視線を。太一は冷や汗を流しながら「これ、地味にキツイかも……」と声を漏らした。氷華も困ったような表情で「何故か……敵視されちゃってるね」と弱々しく呟く。


「やあ……おはよう、氷華ちゃん」


 そんな空気ごと全てを無視するように、明亜は氷華に対して明るく挨拶をしてみせた。氷華は一瞬だけ戸惑うものの、そのまま冷静に「……おはよ、夢東くん」と短く返す。そのまま、明亜は氷華以外には見向きもしないで、特有のキラキラとした王子様オーラを纏いながら雑談を続けていた。


「今日もいい天気だね。相変わらず暑いけど適度に風もあっていい感じ」

「私はかなり暑いけどね」

「そういえば氷華ちゃんってアイス好きなんだよね? 白岩さんや清川さんが教えてくれたんだ。氷華ちゃんと三人でよく遊びに出掛ける、氷華ちゃんはアイス屋巡りが趣味とか――ねえ、放課後一緒にアイス屋行こうよ。俗に言う放課後デートみたいな感覚で――」


 このまま永遠と喋り続けそうな雰囲気の明亜に対し、氷華はニヤリと笑いながら「ねえ、夢東くん」と口を開く。明亜の話題をばっさり切るように、容赦なく言葉を遮った。


「ちょっと話したい事があるんだけど」

「えっ、もしかして告白とかだったらどうしよう。僕、心の準備が――」

「そんな訳ないでしょ。寧ろ……告白してもらうのは夢東くんの方かもね。告白って言うか、自白かな?」


 とぼけた様子の明亜だったが、氷華の挑発するような態度を見て口を開けたまま固まる。そのまま一旦間を置き、口元を吊り上げながら「ああ、もしかして昨日の話の続き?」と目を細めた。


「教えてよ。カイやソラ、片目男の居場所」

「もしかして疑ってるの? やだなあ、僕は彼等と無関係だよっ」

「ふふっ、だったら証明してみせてよ。昨日、片目男から連絡があったんだ。私たちにしか伝わらない方法で。犯人はあなたたちだ、って」


 実際、アキュラスからそのような連絡があった訳ではない。しかし、昨日の不自然な火柱は、確実にアキュラスのものだ。アキュラス自身があの火柱によって何を伝えたかったのか、今となってはわからないが――恐らく“危機が迫っている”というような伝令だろうと皆は解釈した。もしかしたら特に意味はなく、なんとなく上げてみただけなのかもしれない。だが、内容はどうであれ――その“事象”だけで、充分だった。




 ――「似非王子サマを挑発する為には、決定的な証拠が足りない。だったら証拠を作りましょう」


 ――「証拠を作るって、要はブラフみたいな?」


 ――「ええ。仲間にしか理解できない方法で、アキュラスは“犯人は似非王子サマたち”と伝えた。それが証拠だ……と言い張りましょう。もしも突っ込まれたら……あの火柱が丁度いいですね。実際に目撃者も多いですから」




 氷華は真剣な表情を崩さず、明亜の様子を窺っていた。内心では「頼むからこれで乗ってよ、夢東くん」と願っている。もしもこれで崩れない場合、ディアガルドが適当に選んだクラスメイトを雷電の精霊魔法で精神操作し、いい感じの証人になってもらう――という、ちょっと危ない方法が待っているからだ。ディアガルド曰く、「害はないようにしますよ」と言い張っているが――なんとなく心が痛いので、なるべくなら避けたい。


「なるほどね。アキュラスくんは一匹狼って感じの雰囲気だったけど、ちょっと意外だなあ」


 暫く沈黙が続いたが、先に破ったのは明亜の方だった。普段の明亜からは想像もできないような鋭い眼光で、氷華の事を冷たく見下していた。そのまま明亜が手を上げると、彼の取り巻きたちは一言も喋らずに自分たちの席や教室へと戻って行く。京羅の方も自分を取り巻く男子たちを同じように戻している様子を見て、ディアガルドは確信していた。


 ――やはり、精神操作の類でしょうね。クラスメイトどころか、僕たち以外の全生徒が彼等の取り巻きになっている。


 教室の後方で、氷華と明亜が対峙する。いつしか明亜の周りには京羅、法也、司が並んでいた。その様子を太一たちは自分の席から見守り、万が一に備えていつでも応戦できる態勢を取る。


「さて……“小さなカミ”、氷華ちゃん。じゃあ君からも僕に教えてくれないかな? ワールド・トラベラーについて」

「いいよ、そっちが三人の居場所……ついでに“夢東くんたちの正体”も教えてくれれば、何でも教えてあげる」


 そう告げ、氷華は明亜から順々に、京羅、法也、司を眺めてニヤリと笑った。京羅は詰まらなそうな顔で「生意気な小娘ね」と言い放ち、法也は未だにじっと押し黙っている。司はニヤリと口元を吊り上げながら「意外と挑戦的だな」と感心している様子だった。


「じゃあ氷華ちゃん――今日の昼休み、ひとりで屋上にきてくれるかな?」

「いいとも」



 ◇



 ――THURSDAY 11:30



 空き教室に佇みながら、スティールは「先生も駄目っぽいね」と呟く。ディアガルドは「まあ、準備する分には都合いいですし」と欠伸をしながら返答した。太一や氷華は普通に授業を受けているが、スティールとディアガルドの二人はこっそり教室を抜け出している。しかし教師は二人が居なくても気にする事なく――寧ろ生徒の様子は眼中にない様子で――淡々と授業を続けているだけだった。


「太一くんから連絡がきました。授業中に携帯を操作していても気付かれる素振りもない、と。氷華さんなんか堂々とアイスを食べ始めたらしいです。あ、写真もきました」

「え、もしかして氷華ちゃんの写真? 僕にも頂戴」


 スティールは教室内の窓を全開にし、吹き抜ける風を感じながらディアガルドに訴える。ディアガルドは携帯をポケットにしまい、「それより」と少し深刻な表情で続けた。


「わかっていますか、今回の状況」

「……まあ、僕なりになら。正直、精霊的にはかなり深刻だよね」


 ノアは例外と考え――人間であるワールド・トラベラー。精霊であるスティールとディアガルド、それに今は不在の三人。彼等は仲間ではあるものの、どうしても人間と精霊の間には“壁”がある。だからこそ、どうしても共有できていない情報が存在した。


「太一くんたちのような“特殊な人間”を除いて……“普通の人間”に“精霊(僕たち)”が遅れを取るのは、正直ありえません。“余程の事”がない限りね」

「あの戦闘マニアのアキュラスでさえ消えちゃったからね。その“余程の事”が、本当に“余程”だった」


 仲間内では恐らく一、二を争う戦闘技術を誇るアキュラス。

 カイリやソラシアだって、今まで仲間たちと共に死線を潜り抜けている。

 そんな彼等が、屈したのは何故か? ただ単に油断していただけなのか?

 ディアガルドは、既におおよその見当を付けていた。


「僕たちにとっての“余程の事”は、恐らく……“過去”です」


 そして、ディアガルドは快晴の空を見上げ、菖蒲色の瞳を閉じる。脳裏に蘇る記憶を振り払おうとするが、そう簡単には振り払えない。自分で割り切ったつもりでも、ふとした瞬間に思い出してしまう。残念ながらこれはディアガルドにとっても“余程の事”らしい。


「敵もなかなか狡猾のようですね。最初に“代償”が重い二人を落とした。重い故に揺さぶり易かったんでしょう。次にアキュラスを落としてこちらの戦力を削いだ。そう考えると、今日は――」

「たぶん、ディアだね」

「ええ、きっと。僕が敵の立場なら、そうしますから」


 スティールは、ディアガルドだと断言する理由を語ろうとはしない。ディアガルドも、自分の考えについて詳しい理由を語らない。沈黙が続き、心地よい夏風が吹き抜けるだけだった。


 暫くしてから、スティールは「もしかして、ディア――」と口を開く。スティールが珍しく真剣な表情を浮かべてディアガルドを見つめると、彼は優しく微笑んでいた。


「ふふっ、少しは成長しましたね。スティール」

「……“誰かさんたち”に叩き込まれたからね。だけど、僕が知ってる“誰かさんたち”は大人しく負ける筈ない」

「ええ。現にアキュラスは大人しくしなかった。だからこの状況を作れたんです」


 そう言うと、ディアガルドは腕を組み――黒板を背に、悠然と笑っていた。その姿は、まるで今から授業を開始する教師のような雰囲気だ。スティールは呆れたように小さく溜息を零すと「やだなぁ。僕、勉強は嫌いなんだよね」と言いながらも、乱雑に積まれた椅子の一つを手にし、大人しく腰を下ろす。その行動を満足そうに微笑みながら、ディアガルドは「では」と口を開いた。


「特別授業を開始します。今から僕の“考え”を全て教えますので、きちんと覚えてくださいね」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る