第38話 決死の鬼ごっこ②


 太一と氷華が通う陸見学園は、この周辺地域では少し名高い学校で、中でもスポーツ系の部活動に熱を入れている事で評判だった。しかし文化部も負けておらず、その中でもパソコン部はインターネットで学内の情報の発信を行ったり、パソコン教室の講師活動を行ったりと、様々な活動を続けていた。


 そんなパソコン部が普段活動する部室を、氷華は貸し切り状態で陣取っていた。時刻は放課後、普段はここに部員たちが居る筈なのだが――今日は活動日ではない為、氷華以外の人間はその場に居ない。

 部長と知り合いの氷華は、顔パスでほぼ無理矢理部長から鍵を借り、部活が休みの今日もこうして一人で悠々と部室を占領しているのである。


 ――明日は、何が何でも空けとかなきゃなぁ。


 氷華は友人たちの言葉を思い出して苦笑いを浮かべた。当日になってキャンセルしてしまった、遊びに行くという約束。友人たちには申し訳ないと思いつつ、氷華は最新コンピュータにUSBを接続する。


「さて、ゼンが調べた情報は……」


 ブルーライト軽減用の伊達眼鏡を耳にかけ、氷華は慣れた手付きでカタカタとキーボードを動かし始めた。



「ゼンさまの秘蔵☆ファイル ver.ダークサイド……これかな?」


 かなり怪しいがそれっぽいフォルダをクリックしようとしたのだが、隣の「verヒーローサイド」というフォルダが視界に入り、少しだけ興味が湧いた。ダークサイドが敵ならば、ヒーローサイドは自分たちの情報、なのだろうか。


 ――ちょっと気になるけど、今はこっちが優先か。後で見てみよっと。


 そちらも気になったものの、氷華は本来の目的の為、「ダークサイド・概要」をクリックし、ファイルを開く。そこに並べられた、少しふざけたようなテンションの文字列をぼんやり眺め始めた。


「ダークサイドとは敵の総称、北村太一が命名。現在確認されている人物は以下の人物である。火炎のアキュラス、風光のスティール――」

「氷華ちゃん、そんなに熱心に僕の事を調べちゃって……やっぱり僕に興味あるの?」

「……ん?」


 その瞬間、背中に感じる謎の重さに氷華はゆっくり顔だけを振り向かせた。この重さは少しだけ懐かしい。自分の肩の上には、前回の任務の影響で見慣れてしまった淡黄色の髪が見えてしまい、氷華は「まさか」と一瞬思考が止まった。


「あ、氷華ちゃん眼鏡かけてる」

「ッ!?」


 見間違いではなかった。見間違いならよかった。氷華の背後には、何故か自分と同じように陸見学園の男子用制服に身を包んだスティールが居たのだ。この場には居る筈のない人物を前に、氷華は目を点にしながら混乱する。


「久しぶりだね、ワールド・トラベラー」


 我に返った氷華は、データ破損の危険にも顧みず、即座にUSBを抜き取った。そのまま低度な空間転移魔術で即座に距離を取る。額から冷や汗を流しながら、ぎゅっと大事そうにUSBを握りしめた。


「こ、こんなところまで何の用? 丁寧に制服まで着ちゃって」

「どう? 似合う? 氷華ちゃんに会いきたんだけど、やっぱり制服姿も可愛いね。でもここには他にも可愛い女の子が沢山居て困っちゃうなぁ」

「そういう事、女子の前で言わない方がいいよ」

「じゃあ言わないから僕に協力してくれない? 氷華ちゃんが持ってるその小さいの、渡して欲しいんだけど」

「絶対渡さない!」


 そう宣言した氷華はパチンと指を鳴らしながら「『開けゴマ』」と唱え、四次元空間にUSBをぽいっと投げ入れた。空間転移魔術を応用した収納術、氷華曰く“氷華ポケット”だ。その行動を見たスティールは「あちゃー……それをやられたら氷華ちゃんを脅して出してもらうしかないね」と溜息を零す。


「ところで、この前の怪我は大丈夫? これでもちょっと気にしてたんだ」

「心配ご無用、頼りになる仲間のお陰ですっかり回復したよ。次は絶対に負けないから」

「ふふっ、楽しみだね」

「何ならここで再戦と行く?」


 強気に発言しつつも、氷華はじりじりと後退していた。それに合わせるように、スティールも一歩ずつ前に進み、氷華との距離をじわじわ詰め始める。


「僕は構わないけど……いいの? “こんな場所で”派手に闘っても」

「…………」


 ――そうだ、ここは学校……太一以外は“一般人”だった。


 氷華は、よりにもよってスティールの言葉で自分の状況を気付かされた事を悔しく感じ、ぎりっと歯ぎしりをした。この場所で大きな騒ぎを起こしては、自分たちの能力が公になってしまう恐れがある。器物破損も凄まじい事になるだろう。ここは逃げる方が得策だ。


 ――せめて、人気のないところまで逃げれれば魔術を……!


 氷華は素早く踵を返し、即座に入口の扉に手をかけた。すぐに逃げ出そうと、スティールに向かって捨て台詞を吐くのだが――。


「やっぱ再戦はまた今度! 今日はちょっと用事があって――」

「おい、スティール。やっぱりこのネクタイって奴、付けられ――」


 ――――ドンッ!


「片目男!?」

「なっ……アホ毛女!」


 スティールと同じように制服に身を包んだアキュラスが視界に飛び込み、氷華は思いっきりぶつかってしまった。その姿を確認し、氷華は改めて自分の置かれた状況を理解する。

 目の前には敵が二人。そして“一般人”が多いこの場所では、堂々と魔術は使えない。顔を蒼く染めながら「氷華さん、ぴーんち」と声を漏らすと、スティールはにこりと笑いながら言い放った。


「氷華ちゃんが隠しちゃったそれ……渡してくれるかな?」



 ◇



 太一はぼんやりしながら、氷華が居るであろうパソコン部の部室の方角を眺めていた。普段から静まり返っているという訳ではないが、何だか校舎全体が異様に騒がしい気がする。


「どうした、北村。嫁でも居たか?」

「だから、嫁なんかじゃないっすよ。先輩」

「なら俺、今度声かけてみようかな。実は校内でも人気高い方なんだぜ、氷華ちゃんって。有志数人による隠れファンクラブもあるし。まあ、妙な噂も流れてるけどさ」

「…………」

「お前と水無月ちゃんって、どっちかって言ったら夫婦漫才の相方……あぁ、それって嫁か」


 先輩とクラスメイトに氷華との関係を茶化され、太一は面倒そうに否定をした。太一と氷華の仲のよさは、クラスや学年というより学校公認らしい。多くの者は付き合っているのではないかと勘違いするのだが、二人の様子をいつも見ているクラスメイトたちは“二人は(お笑い)コンビ”という印象が強いようだ。


「何か、騒がしいなと思って」

「確かに校舎がちょっと騒がしいな」

「また“不審者”でも入ったんじゃないか?」

「ははっ、それならどんだけこの学校のセキュリティは甘いんだっての」

「もしかしたら超能力とか使う宇宙人が攻めてきてたりして?」

「…………」


 太一は頭に手を当て、そういえば前回の任務でサユリに自分たちの事を説明する時、宇宙人に例えながら説明した事を思い出した。太一は誰にも内心で「あながち間違ってないかも」と他人事のように少しだけ呆れていた。



 ◇



「待ちやがれアホ毛女ぁああ!」

「待てと言われて待つバカが居るかぁぁ!」


 氷華は全力で廊下を走っていた。その形相は、教師陣も注意する事をためらってしまう程だ。アキュラスとスティールに囲まれた氷華は「あ、窓の外に宇宙人!」と叫び、アキュラスが「マジかっ!?」と言って振り向いている間に、部室から素早く逃げ出したのだ。そして騙された事に気が付いたアキュラスは、頭に血を登らせながら氷華を追いかける。スティールも「君はアホか」とアキュラスを貶しつつ、涼しい顔で彼と並走していた。


「あんな典型的な嘘に引っかかる方が悪い!」

「うっせえ! ちょっとそのアホ毛毟らせろ!」

「ちょ、走るスピード上げないでバカぁあああ!」


 廊下では「水無月氷華が謎の二人組に追われている」と噂を聞いた生徒たちが、ガヤガヤと賑わいながら野次馬の如く集まり始めていた。事実を確認すると面白がって写真に収めたり、謎の二人組の正体を解明しようとしたりと、生徒たちは様々な反応を見せている。


「ちょ、氷華何やって――」

「ごめん! 部室の鍵返しておいて!」

「ええぇっ!?」


 氷華は友人を見つけると、バシッと部室の鍵を投げた。そのまま友人は反射的に掴んだ鍵を見つめ、氷華と、氷華を追いかける二人組を見て呟く。


「な、何……あのイケメン二人組……外国人?」



 氷華は階段を跳ぶように駆け下り、四階から三階まで辿り着いた。すると上からはアキュラスが器用に手すりを滑走するように駆け下りていて、スティールは一歩遅れながら階段を駆け下りていた。


「か、滑走なんて反則!」

「反則も糞もあるか」

「いい加減諦めてよ……ここではあなたたちも公に能力は使えないでしょ!?」

「はっ! てめえなんて軟弱アホ毛女、能力を使うまででもねえよ!」

「…………」


 その言葉に、氷華の逆毛がピクリと反応を示す。立ち止まった氷華の姿を見てアキュラスは口元を吊り上げ、じりじりと距離を詰め始めた。スティールもそんな二人の様子を見て、相変わらず楽しそうに傍観している。一方の氷華は、黙って殺気に似たオーラを発しながらアキュラスを睨み――アキュラスは「うっ……」と一瞬怖気付くが、負けじと氷華を睨み返した。


 ――――ダダダッ!


「なっ!?」


 刹那、氷華は目の前にある教室に走り込んだのだ。その行動にアキュラスは驚くが、即座に「教室は行き止まり、さては観念したな!」と判断し、勝ったと言わんばかりに高笑いをしている。


「どうせ“教室は行き止まりだ”とか思ってんでしょ! 片目男!」

「なっ……てめえ何でわかって――」

「発想の転換しなよバーーーカ!」

「こんのアホ毛!」

「ちょ、氷華先輩何やって!」

「危ないから退いてて!」


 氷華は後輩と思われる生徒たちの制止を牽制し、叫びながら窓に足をかけた、次の瞬間――。


「水無月選手、いきまーす!」


 氷華は恐れる様子もなく、三階の窓から勢いよく飛び下りたのだ。


「……あれって発想の転換なのかな?」

「あいつ、さては天才か!?」

「君がバカなだけだと思うよ、アキュラス」



 ◇



「あ、北村。嫁だ。嫁が降ってきたぞ」

「だから違うって言ってるじゃないっすか、先輩」

「いや、ほら。三階から飛び降りた子、氷華ちゃん」

「……は?」


 先輩の言葉に、太一は信じられないものを見るように校舎に視線を移した。そこには確かに氷華が華麗に飛び降りていて、心なしかこちらに向かっている気さえする。何かから必死に逃げるような、鬼のような形相の氷華に、一体何事かと観察していると――クラスメイトの方が先に口を開いた。


「水無月ちゃん、鬼ごっこでもしてるのかな?」

「鬼ごっこ?」


 今の氷華は何かから逃げているような、何かを追いかけているような、どちらとも取れるような様子だった。只、鬼のような形相をしているのは氷華だ。そんな氷華が鬼ごっこなんて――。そんな事を考えながら「何してんだ氷華」と半分呆れつつ、太一は徐々に近付いてくる氷華を観察する。そして、氷華を追いかけているであろう人物を見て、太一は目を丸くした。それは太一も知る人物で、寧ろ敵で。太一はライバルだと認識している――。


「あ、あいつ等ッ!?」

「ちょ、北村! どこに行くんだ!」

「すんません先輩! 今日ちょっと用事思い出したんで帰ります!」


 こうして、太一は慌てながら氷華へ向かって駆け出した。



「そこに居るのはたぁあいちぃいい!」

「氷華!」


 どうにか太一と合流した氷華は、ぜえぜえと息を切らせながら、太一を盾にするようにこそっと隠れた。やっと追い付いたアキュラスと、相変わらず楽しそうに笑っているスティール。彼等もその場でピタリと立ち止まる。


「ちょこまか逃げやがって、アホ毛女!」

「うっさい片目男!」

「はは、氷華ちゃんって意外に足速いんだね。女の子にしては上出来だよ」

「で、お前等は何でここに居る?」


 太一は警戒するように目を細め、少し声のトーンを落としながら疑問をぶつけると――スティールは自分たちの目的をあっさり白状した。


「氷華ちゃんが隠しちゃった小さいの、渡してもらいたくてね」

「お前たちの情報が入ってるからか?」

「ああ、ディアが持ってこいってうるせえからな!」

「……アキュラスってバカだよね」


 咄嗟に出てきた新たな人名を聞いて、太一はニヤッと笑い――スティールは呆れた様子で顔を抑えている。アキュラスだけは自分の失態に気付いていないらしく、状況が理解できないような間抜けな顔をしていた。アキュラスが漏らした言葉により、彼等には“ディア”という仲間が居るという新たな情報が得られた。氷華は前回の任務でスティール言っていた“友人”とは、恐らくそのディアという人物だろうと判断した。そう考えると、あの場に居なくても戦況を掌握しているような華麗な戦術――凄まじく頭の回る人物の筈だ。


「いいか、お前等。ちょっと冷静になって考えてみろよ。これを渡したのはゼン、お前たちのボスと対立してる奴だぞ?」

「それがどうした」

「お前たちのボスと同等の力を持つゼン、そいつが……このUSB以外にコピーとってない程のバカだと思うか?」

「「!」」


 ――思う。


 太一の呼び掛けに、氷華はどちらの味方かわからないような答えが咄嗟に頭を過ぎったが――ちょっと話がややこしくなりそうだったので、言葉にはしないで心の中で思い留まった。一方のアキュラスとスティールは呆然としながらその場で固まり、目を見開かせて驚く。そのまま太一と氷華に背を向け、何やらこそこそと作戦会議を始めてしまった。


「あれって簡単にコピーできんのか?」

「ってか、あの小さいのって何なの? アキュラス知らない?」

「俺が知るかよ。情報を開く為の鍵とかじゃねえの?」

「僕も宝箱の鍵的な何かかと思ったんだけど……ディアに詳しく訊いておけばよかったね」


 二人の問題点。アキュラスとスティールは、USBの存在をいまいち理解していなかったのだ。どうしようか悩む二人に呆れながら、太一は「たぶんディアって奴、わかっててあのバカとアホに行かせたんだろうな」と呟いた。


「俺はバカじゃねえ!」


 地獄耳の如くアキュラスは反論していたが、氷華も「最近の精霊ってUSB知らないんだね」と少し意外そうな表情を浮かべていた。


「でも、私の予想だとディアって人は凄く頭がいいよ。わかってて二人をここに向かわせたなら、何か他の理由があるのかもしれない」

「どっちにしてもどうすっかなー、この状況……」


 太一はやれやれと首を振りながら疲れたような表情を浮かべている。そして氷華に「いっそ渡しちゃえば?」とさえ提案していた。氷華は少しだけ考えた後、「まぁ、いっか」と言いながら“氷華ポケット”からUSBを取り出し、そのままアキュラスに向かってぽいっと投げようとするのだが――。


 ――――シュッ!


「これは渡せないぜ」


 それをキャッチしたのは――ソラと共に突然現れたカイだった。



「カイ? ソラもどうした?」


 太一は驚いた様子でカイとソラを見つめると、アキュラスとスティールも同族の存在に何かを感じ取ったらしく、静かに応戦するように身構えていた。自分たちの存在や情報がバレてしまうかもしれないにも関わらず、この場に割り込んだカイとソラを見ながら、氷華は「まさか」と口を開く。


「まさか、ゼンがコピーしてなかった――とか言わないよね?」

「「…………」」


 氷華の問いかけに、カイとソラは表情を変えずに沈黙を貫いていた。おまけにだらだらと冷や汗まで流していたのだ。それは正しく、ゼンの失態を表している。太一は手で顔を押さえながら、呆れたように盛大な溜息を零した。


「……バカか、あの似非紳士。バカ神か」

「呆れるを通り越して滑稽だね」


 太一と氷華の辛辣な感想に、カイとソラは反論できずに黙っているだけだ。そんな沈黙を破るように、アキュラスは「……てめえ……水か?」とカイに対して問いかける。


「そういうお前は火だな。隣は風」

「そのガキは……地か」


 カイとアキュラスは今にも戦闘を始めそうな勢いで互いを睨み合う。水と火という事で、因縁に近い感情があるのだろうか。しかし、それとは対称的に――ソラとスティールは互いに何か考え込むように見つめ合っていた。


 ――あの人が、風光の……精霊?


 ――あの女の子が……地祇の……。


「何ぼさっとしてんだ、スティール!」

「……アキュラス、ここは分が悪い。退こう」

「!」


 スティールは一瞬で冷静になると、アキュラスに撤退を促した。アキュラスとスティールにとっては自分たちと同族が二人、そしてワールド・トラベラー。今ここで闘っても、勝算はないに等しいだろう。スティールは無理矢理アキュラスの首根っこを掴み、ずるずると引き摺りながら背を向ける。アキュラスは「おい、ふざけんじゃねえぞ! 俺は今日こそ北村と闘う!」と抵抗しながら、終始文句を叫んでいた。


「今日は諦めてあげるよ。またね、水と地。そしてワールド・トラベラー」

「ああ、次は負けない」

「ふふっ、楽しみにしてるよ太一くん」


 太一と氷華はアキュラスとスティールに対して対抗意識を向けながら睨み付ける中、ソラは未だに何かを考え続けていた。真剣な表情で黙っているソラなんて珍しいと不審に思ったカイは、「どうした?」と声をかける。


「さっきのスティールって人……どこかで……うーん」

「知り合いか?」

「んー……やっぱりわかんない!」


 そしてソラは青緑色の瞳を伏せ、いつもの明るい笑顔に戻っていた。にこにこと楽しそうに笑うソラ。その笑顔は、どこかスティールと似ている気がした。



 ◇



 拠点へ戻ったスティールは、眼鏡を磨いていた青年に「ごめんね、ディア」と苦笑いを浮かべた。未だに引き摺られたままのアキュラスは「……マラソンはしねえぞ」と不機嫌そうな表情を浮かべている。作戦を失敗した事で、青年に小言を言われるのを覚悟していた二人だったが、当の本人は「ああ、別に気にしなくていいですよ」と、特に気にする様子もなかった。


「別にマスターからの命令じゃないですし、それ以前に失敗する事はわかっていましたから」

「って事は、わかってて僕等に行かせたの?」

「ええ、勿論」


 その言葉を聞いたアキュラスは眉間に皺を寄せながら「てめえ、どういうつもりだ」と問い質すと、青年は涼しい顔で「やる気、出たでしょう?」と逆に言い返す。彼は、ワールド・トラベラーと接触させる事で、アキュラスとスティールに対して危機感と闘争心を取り戻させる事を目的にしていたのだ。


「二人も彼等が只の人間ではない事は理解している筈です。だから、一度の敗北程度で折れる訳がない。実際に見てわかったでしょう? 彼等はこれから、敗北をバネに更に強くなるでしょうね」

「まあ、ここに前例も居るからねぇ」


 そう言いながらスティールはアキュラスに一瞥すると、彼は皮肉を込めながら「てめえも前例になるかもしれねえけどな」と言い、くるりと背を向ける。青年が「どこへ?」と尋ねると、アキュラスは振り返らずに「特訓」とだけ告げて消えてしまった。


「アキュラスはほんと修行とか特訓とか好きだよねぇ。僕は勉強も特訓も嫌いだな」


 のほほんとしているスティールに対し、青年は「勉強といえば、ワールド・トラベラーが通う学校へ乗り込んだんでしょう? スティールが捜している“運命の人”は見つかりましたか?」と興味本位で問いかける。


「氷華ちゃんくらいの歳の子だと思ったんだけど、今回も残念ながら見つからなかったよ」


 そしてスティールは、空白の記憶の底で、唯一の面影を思い浮かべた。幼い自分と思われる少年と、近い歳であろう少女。顔は見えないが、きっと彼女は、自分にとって大切な存在だったのだろう。彼女の事を思い出そうとすると、何となくだが、心が安らぐ気がする。

 スティールが氷華に対して漏らした「僕ちょっと記憶喪失で。一般常識って最近覚えたばっかりなんだ」という発言は、その場を言い逃れる為の嘘ではなく――彼の真実だった。


「只の妄想かもしれないけど、でも僕は、やっぱり彼女に会いたい」


 そんなスティールを見ながら、青年は優しく、だけどどこか寂しそうに微笑む。同じ仲間であるアキュラスの過去を思い出し、少しだけ自分の幼少期も思い浮かべ、本心を誤魔化すように菖蒲色の瞳を眼鏡で隠した。


「唯一残った、その幸せな記憶は――大切にした方がいいですよ」



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