第27話 困った時の傘頼み②


「で、何で俺はこんな事になってるんだ?」

「案外様になっているじゃないか、キタムラ」


 太一は宋と同じ燕尾服に身を包み、執事のような容姿になっていた。


 宋が提案した事は、期間限定でサユリに仕え、この別荘に住み込みで働くという内容だ。執事という立場ならば、一週間後に開かれるサユリの誕生パーティーに、特に政治的な理由がなくても出席できる。その場には近隣の貴族が数多く出席し――勿論スヴェルも例外ではないらしい。もしかしたら、隙を見て接触できるかもしれない。


 太一は「ま、これも欠片の為……しょうがないか」と諦め半分で、白い手袋に指を通した。手袋をはめた自分の掌を見つめながら、太一は「やっぱ、俺は慣れないな」と誰にも聞こえない音量で呟いた。

 一方の宋は、今度のスケジュールについて思案する。素人同然の二人を、サユリの使用人として恥ずかしくないレベルまで成長させるには――寝る間を惜しんででも、礼儀作法を叩き込まなければならないかもしれない。執事長である自分は、指導するにも限界がある。ここは誰か指導役を付けた方が適任だろう。


「新人指導に気を取られてサユリ様の世話を怠っては、本末転倒だからな」


 疑り深い筈の宋が、何故ここまで太一と氷華を受け入れ、果ては彼等にとって有益な状況に導いたのか。それは、全てサユリの為である。太一と氷華は素性こそ怪しいものの、サユリにとっては“初めての友人”である。二人と談話していた時のサユリの表情は、歳相応の少女らしく、キラキラと輝いていた。最近までずっと本城で生活していたサユリにとっては、太一と氷華の話は全てが新鮮で真新しかったのだろう。主の嬉しそうな表情を壊したくないからこそ、宋はあの提案をしたのだった。


 ――――ダダダダッ、バン!


 太一が着替え終えてすぐのタイミングで、別室から飛び出してきた氷華は、大きな扉を力任せにこじ開けた。羞恥を耐えるような赤い顔をしながら、太一をぎりっと睨み付ける。


「太一! やっぱり私できない!」

「あー、普通に似合ってるって。そこまで謙遜する事ないよ」


 現在の氷華は、黒を基調としたロング丈のメイド服を身に纏っていた。氷華がばたばたと動く度に、白のフリルも一緒にふわふわと動く。その姿を見て、太一は特に意識する事なく、率直な感想を述べる。


 太一が執事なら、氷華はメイド。使用人として働く状況では当たり前の構図である。


「どうして普通の服じゃ駄目なの? 掃除とかするなら普通は動きやすい服だよね!? 汚れてもいい服とか、ジャージとか!」

「氷華さん、とっても似合っていますよ!」

「むぅー……」


 氷華はぶすっと不貞腐れながら、太一と宋、氷華の後に続けて入ってきたサユリを交互に見つめる。時折「私も悪魔みたいな執事になりたかった」等と不満を口にした。太一は氷華の肩にぽんっと手を乗せて「まず性別からやり直し」と首を横に振ると、氷華は「私もイエス、マイロードってかっこよく言いたいー!」と謎の奇声を上げ続ける。サユリは、そんな氷華をどこか羨ましそうに見つめ――そのまま太一に視線を移し、頬を赤らめながら慌てて目を逸らす。


「氷華、諦めろ」

「……ちぇっ」

「それに今の姿、写真でも送ってやれば“あの人”も泣いて喜ぶぞ」

「えっ、本当!? こうしちゃいられない、携帯は確か――」

「あ、あのっ! 太一さん……太一さんも、その」

「?」


 サユリは意を決し、「その服……似合って、います」と控えめに告げると、太一はニカッと笑いながら「そうか? ありがとな!」と特に深く考えないで返す。サユリはくるりと背を向けながら赤くなる顔を両手で抑えていると、宋は太一と氷華に対して「さて、二人にこの屋敷を案内する。説明が終わり次第、業務に就いてもらう。付いてこい」と指示を始めていた。


「宋、二人にはあまり無理をさせないでくださいね?」


 サユリが不安そうに宋を見上げると、彼はこほんと咳払いをし、すぐに前言を撤回する。


「本日は説明だけだ。業務については明日からとする」

「「…………」」


 太一と氷華は、咄嗟に同じ事を確信した。


 ――なるほど。宋さんは、サユリ馬鹿だ。



 広い屋敷を歩く執事とメイド。先頭を歩く執事は主人の側近である執事長で、彼に続く執事とメイドは新参者だ。このような場には慣れていないのか、興味津々の様子で屋敷を観察している。


「ここが厨房、広間とは直結している。この中央階段を登り、右へ直進するとサユリ様の自室。階段を降りれば地下書庫と――」

「広くて迷いそうだな……」

「宋さん、地図書いてくれない?」

「地図渡されたらもっと迷う」


 氷華が「勝手に案内看板でも立ててしまおうか」と考えていると、宋が説明途中でピタリと足を止めた。太一と氷華が不審がり、宋の横から顔を覗かせれば――廊下の中心では一人の青年が人懐こい笑顔でひらひらと手を振っている。

 太一や氷華とあまり変わらないくらいの年齢であろう青年は、太一たちと同じように燕尾服に身を包んでいる。淡黄色に染め上げられた髪はくるくると跳ねていて、同様に跳ねる前髪を右側だけピンで留めていた。にこにこと笑みは絶やさず、穏やかな雰囲気の奥からはサユリのような気品も感じられる。育ちのよさそうな好青年という表現が当て嵌まりそうだが――どこか浮世離れしているような、そんな不思議な雰囲気も纏っていた。


 太一は服装から「こいつも執事仲間?」と軽く考えていたが、氷華が抱いた青年に対する第一印象は大きく違っていた。


 ――この雰囲気、何だか……。


 氷華は何かを探り出すように、青年をじっと観察している。その視線に気が付くと、青年は宋との会話を止め、氷華の方へ音を立てずに近付いた。


「あれ? この屋敷にこんな可愛いメイドさんなんて居ました?」

「この二人は新人使用人だ。私の手が届かない時は、お前が指導係になって教えてやってくれ」

「えー。僕、人に教えた事ってないから自信ないですよ」

「人に教える事ができてこそ一人前だ。それに、教える事で復習にもなるだろう」


 少し不満そうにぼやいていた青年は「へぇ、そういうものなんだ」と呟き、太一と氷華に対して鋭い眼光を向ける。しかしそれはほんの一瞬の出来事で、すぐにいつものような愛相を振り撒く笑みへ切り替えていた。その変化には誰も気付いていない。


「僕はティル。君たちのちょっと前から、ここで勉強をさせてもらってるんだ。こういうの研修っていうんだっけ? まあ、仲よくしてね」

「俺は北村太一。太一でいいよ」


 差し出された手を、太一はガシッと握って握手を交わした。


「うん、よろしく」


 太一へ笑いかけたティルは、そのまま氷華の方へと手を動く。氷華も太一と同じようにきゅっと手を握ると、ティルは自然な流れで氷華の右手の甲を引き寄せ、そこに自分の顔を寄せた。ちゅっと小さなリップ音だけが響き、静寂が支配する。予想もしない突然の行動に、氷華は酷く混乱し、言葉にならない声を発していた。


「!?」

「ここに居る女の子は皆可愛いけど、君はその中でも一番かもね。可愛い新人さん、君の名前は?」

「み、水無月、氷華……」

「ふふっ、やっぱり名前も可愛いなぁ。ねぇ、君って昔、僕とどこかで会った事ない?」

「た、ぶん……ないけど」

「そっかー、残念。君くらいの歳だと思うんだけどな。まぁ、何はともあれよろしくね、氷華ちゃん」


 ティルの態度を見ながら、宋は「お前の中には何人一番が居るんだ」と呆れ返ると、彼は「やだなぁ。ここに居る以上、一番はサユリ様ですよ。宋先輩」とおどけたように笑っていた。


「当たり前だ」

「相変わらず宋先輩はサユリ様一筋だなぁ」


 そして、ティルは何事もなかったかのように平然と立ち去ってしまった。ティルの飄々とした態度には宋も慣れているのか、特に気にする様子もなく歩き始める。そのまま宋は中断された業務内容の説明を再開するが、氷華は未だに硬直していて、全く説明が頭に入らなかった。一方の太一は、ティルが去って行った方向と硬直している氷華を交互に見つめ――複雑な表情を浮かべていた。



 ◇



 太一は氷華の右手を引きながら長い廊下を歩いていた。先頭を歩くのは宋、そして先程勉学を終えたサユリも一緒だった。ちなみに氷華を硬直させた原因であるティルはこの場に居ない。


 ――あいつ何なんだよ。いきなり、氷華にあんな事……いや、でも外国の挨拶って考えると普通なのか……?


 太一は先程の光景を思い出し、すぐにぶんぶんと首を振った。無意識に、ぎゅっと氷華の右手を握る力を強める。



 サユリは自分の一歩後ろを歩く太一と氷華の事を考えていた。自分たちの前に突然現れた客人。使用人として期間限定で住み込む事になった男女。サユリにとって初めての友人。


 ――太一さんと氷華さん、本当は何者なのでしょうか。悪い方には見えません。でも、宇宙人調査隊とは一体……。


 そして、彼女自身はまだ気付かないが、サユリの中では小さな想いが生まれようとしていた。


 ――太一さんと氷華さんは……どのような、関係なのでしょうか?


 くるりと振り返り、サユリは友人たちを想う。



 宋は自分の横を歩くサユリだけに気を配っていた。一国の姫としてではなく、一人の少女としてのサユリの笑顔。初めての友人に喜ぶ主人の姿は、仕える側の宋にとっても涙する程に喜ばしいものだった。


 ――私は、このサユリ様の笑顔の為ならば……何でもする。


 サユリは孤児だった自分を救い、生きる意味をも与えてくれた。一生仕えると誓った。ぎゅっと瞳を閉じ、後ろを歩く新人使用人を一瞥し、主人だけを想う。


 ――彼等はサユリ様の初めての友人だ。サユリ様の為なら……どんな手を使っても……彼等にはできる限り長居してもらわなければ。


 初めての友人たちを見つめている愛すべき主人を、宋は心配そうにじっと見つめていた。



 氷華は太一に手を引かれながら、もう片方の手で顔を覆っていた。手の隙間から見える氷華の顔は、赤く火照っている。


 ――からかわれた……悔しい。


 確かに英国では挨拶として一般的な行動だろう。しかし氷華には慣れる筈もなく、不覚にもこうして意識してしまっている。必死に平常心を保とうとするも、氷華の頭の中では先程の青年、ティルが憎たらしく笑っていた。そして、ある身近な人物と被るティルの顔。


 ――違う、全然違う……凍夜お兄ちゃんの方が百万倍かっこいい……それにどっちかって言うと、彼は……何となく……。


 氷華は未だに集中し切れていない頭で、必死にティルの事を疑っていた。



 ティルは裏庭でひとり佇む。ふっと口元を吊り上げ、先程出会った氷華の事を考えていた。彼の頭の中には既に太一の存在はないらしく、特に気にする素振りもない。


 ――まだ気にしちゃって、可愛いなぁ。


 太一に手を引かれ、氷華が歩く姿。赤に染まった顔を左手で抑えていた。あの挨拶の仕方は、氷華だったから行ってみたものだ。くすくすと楽しそうに笑い、前髪を留めているピンを外して、彼は髪を掻き上げる。


「ま、錯乱は成功かな。それにしても……ふふっ、恐ろしいね」


 ティルは楽しそうに、氷華の事を考えていた。

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