第28話 隠した恋心①


 太一と氷華が使用人となって早三日。すっかり仕事内容が板についてきた二人は、前回の任務で経験した激しい闘いとは遠くかけ離れた、平和すぎる日々を過ごしていた。


「サユリさん、今日の昼食持ってきたぜー」

「こら、キタムラ! サユリ様に向かって何という口の利き方をしている!」

「いいんですよ、宋。太一さんと氷華さんは使用人である以前に、わたくしの友人ですから」

「……サユリ様がそうおっしゃるなら」


 ――宋さんは本当にサユリさん馬鹿だな。


 使用人として働きながら、わかった事が何点かある。

 自分たちの目的である神力石の欠片。その情報が不自然な程ない事。しかも、隕石が落下してから以降の情報が全くない。


 ――つまり、誰かが情報を止めている可能性が高い。


 次に、スヴェル・アンティームという貴族の存在。サユリはスヴェルを信用している様子だが、宋はどこか疑っている。太一と氷華は何となくスヴェルの存在が気になったが、数日後に開かれる予定の「サユリの誕生パーティーで確かめる事ができるだろう」と、少し軽い気持ちでいた。


 そして――太一は溜息混じりで後ろを振り向き、じとーっとティルを見つめていた――というより、睨んでいた。太一の目線の先に居る氷華は、自分の肩を抱いて身体を寄せてくるティルを凄まじく鬱陶そうな表情で引き剥がしている。しかしティルもめげずに、氷華に対して何度もスキンシップを図っていた。氷華も最初はいちいち固まっては拒否していたのだが、あまりの回数にだんだんと慣れてきてしまい、最近では抵抗する事を止めてしまう事も多々ある。


「暑いから離れてくれない?」

「お、氷華ちゃん。抵抗しないって事は、僕を受け入れる気になった?」

「いや、それはないから。天地がひっくり返ってもないから」

「じゃあ天地をひっくり返してみようか?」

「無理言わないの……真面目に暑いから離して」

「えー、やだよ。氷華ちゃんの反応、面白いんだもん」

「性格悪っ……あと、ティルさんが“だもん”とか言っても可愛くない」

「氷華ちゃんが可愛ければ、僕は可愛くなくていいよ……というか、そろそろ“ティルさん”は止めてくれないかな。呼び捨てでいいから」

「わかったよ、“ティル先輩”」

「先輩か。距離感を感じるけどちょっといいかも。先輩と後輩……」


 その応酬で、更に酷く面倒そうな顔をする氷華。氷華は縋るように太一に視線を送り、助け船を要請していた。しかし太一はサユリと楽しそうに話しているタイミングで、宋はそんなサユリを見守っていて――何だか疎外感を感じてしまった。そして、氷華たちに対して先に口を開いたのは、太一ではなく宋だった。


「いい加減にしろ、そこの二人。サユリ様の前だぞ!」

「えっ、私も!?」

「いいんですよ宋」

「ですが、サユリ様」

「二人共とても楽しそうです。それにわたくしなら大丈夫ですよ。太一さんとお話していましたから」

「サユリ様がそうおっしゃるなら」


 そう言って宋は再び視線をサユリへ向けていた。太一と楽しそうに話すサユリ、満更でもない様子の太一、そんな二人をどこか意外そうに見守るティル。

 氷華は少し居心地が悪くなり、その場から逃げるように歩き出した。


「ちょっと、氷華ちゃんどこ行くの?」

「…………」

「氷華ちゃん?」

「裏庭の掃除!」


 ティルは微笑みながら氷華の横を付いて歩く。氷華は追い払う訳でもなく、すたすたと無言で歩き続けていた。


 ――これは、チャンスっぽいね。



 ◇



 箒を片手に歩いていた氷華だったが、裏庭を通り越し、そのまま屋敷も抜け――神力石の欠片が落ちたと思われる草原――以前訪れた、隕石の落石現場へとやってきていた。ひゅうっと強い突風が舞い、氷華の長い髪をふわりと浮かせる。草花も楽しそうに宙を舞い、広大な自然の中に佇む氷華とティル――執事とメイドはどこか絵になっている風景だ。


「確か……この前もサユリ様たちときたんだっけ。ここに何かあるの?」

「捜し物をしていて。この辺に落ちたと思うんだよね」


 地面が抉れている中心部に触れ、氷華は口を開いた。やはり欠片と思われる石は落ちていない。


「やっぱり、ない」


 何となくだが、氷華は神力石の欠片の気配を感じ取る事ができるようになっていた。最初は前回の任務の欠片を目にした時。実際にそれを目の前にすると、強力な魔力のような――だけど少し違うような――不思議な力が漂っていた事が理解できた。


 そして初めてこの場所に訪れた時にも、かすかにだが同じ気配を感じていた。今もうっすらと気配が感じられ、それは欠片の存在を確信するものとなった。しかし、強力な気配ではないので、この場所には既に欠片が存在しない事も物語っている。


「この辺りって、スヴェル殿の領地でもあるんだ。丁度この辺が境界線って感じかな」

「スヴェル・アンティーム……サユリさんが言う、親切な貴族の人?」

「そう。宋先輩は怪しいって言ってるけどね。隣国のスパイとか疑ってるのかな? だからこの辺りに落としたなら……もしかしたらスヴェル殿が持ってるのかも」

「確か身分に厳しい人で、一般人じゃ会ってすらもらえないんだっけ?」

「だけど今なら――いや、やっぱり只の使用人じゃ駄目だろうね。宋先輩くらいの大物になれば話も聞いてくれそうだけど。僕たち程度なら、サユリ様の誕生パーティーの時にどうにかして訊き出すのが最初で最後のチャンスだと思うよ」

「そっか……わかった。ありがとう、ティル」


 氷華が素直に謝礼を述べると、ティルは珍しく青緑の目を見開いて驚いていた。少し間抜けに見えた表情に、氷華は呆れ半分で溜息を零す。


「何? 私がお礼も言えない奴とでも思っていたの?」

「うん」

「即答とはなかなか失礼だね」

「それに……やっとティルって呼んでくれて嬉しくてさ」


 そしてティルは“氷華が認識できない程の素早さで”近付き、氷華の腕をぎゅっと掴んだ。氷華はティルの身のこなしの速さに驚くが、ティルはそんな氷華は気にしない様子で、耳元で怪しく囁く。


「ねえ、氷華ちゃん。太一くんの事、どう思うの?」

「え、太一?」

「氷華ちゃん……太一くんじゃなくて、僕にしなよ」

「何が?」


 言葉の意味が理解できずに氷華は尋ね返すが、ティルは構わず続けた。囁くように、怪しく惑わすように、冷静に考える隙さえ与えないように。


「あの場、居辛かったもんね? サユリ様と太一くんは楽しそうに話していて。宋先輩は――どうでもいいや。あの人は常にサユリ様の側に居る空気みたいな人だから。だけど、氷華ちゃん――さっき、居辛くて逃げたんでしょ?」

「…………」

「逃げるならさ、僕とどこか遠くへ逃げちゃおうよ? 捜し物なんか、放っておいたら忘れた頃に偶然出てくるからさ。遠く、遠くに――国を越えて、なんなら世界とか越えちゃって」

「なっ!?」


 その言葉に、氷華はびくりと肩を震わせる。しかしティルは相変わらずの様子で「なーんちゃって。世界なんて越えられる訳ないか、あはは」と呑気に笑っていた。氷華は「冗談か」と安心して肩を下ろすが、世界の件の前にティルが言っていた言葉を思い出し、顔に熱を昇らせる。


 ――でも、私は決めたんだ。


 熱と共に、氷華は自らの迷いを振り払った。凛とした瞳で、氷のように澄んだ瞳で「忘れた頃じゃ、全部遅いんだよ」と告げる。


「ティル、案外世界は簡単に越えられる」

「えっ」

「だから私は絶対にそれを見つけ出す。忘れる訳にはいかないから」


 その言葉に、次はティルが言葉をなくす番だった。呆然と立ち尽くし、信じられないものを見るように氷華を見ている。そしてティルは氷華の左手を引き、何も言わずに城に向かって歩き出していた。何かから逃げるように、一心に足を動かしている。氷華は彼の態度を少し不審に思うも、ティルの表情は伺えなかったので――とりあえず黙って足を動かしていた。


「僕だって、もう……忘れる訳にはいかない」


 その呟きは氷華の耳に聞こえる事なく、一陣の風と共に消えていった。



 ◇



「ところで、キタムラは実戦訓練をした事があるか? 万が一の際、使用人としてサユリ様をお護りしなくてはならない。ある程度闘える者か否かで、パーティー当日の人員配置も変わる」

「実戦経験? 闘いの、だよな……戦闘経験なら何度かあるけど」


 使用人として、主人を護る為、武術が求められる場合もある。宋は呟き、太一を挑戦的な目で見下したが――太一は屈せず、得意気にニヤリと笑っていた。その行動に宋は不服なのか、何でも卒なくこなす太一への只の妬みなのか――むっと難しそうに顔を顰めていた。そして宋は、太一の実力を見極めるべく、ある行動に出る。


「ならば、私と手合わせしてみないか? 名門アルモニューズ家の使用人として、それなりに実力がなくては困る」

「おっ、最近身体が鈍ってたから丁度いい。臨むところだよ」

「それならば、場所を移そうか」


 そのまま太一は宋と共に、広い中庭へと足を進めた。


 ――氷華、どこに行ったんだろうな。



「あの、太一さん……」


 宋から借りた立派な装飾の剣を振りながら、太一は顔だけをサユリの方へ向けた。サユリは心配そうな顔でおろおろと太一を見て、次に宋を見て――再び太一を見て告げる。


「宋は、本城の騎士にも引けを取らないくらい強いんです。太一さんが怪我でもしたらと思うと、少し心配で……」

「大丈夫です、サユリ様。手加減しますから」

「手加減は無用だって」


 太一はサユリに向かって「大丈夫」と安心させるように笑い、目の前で自分と同じく剣を構えている宋を見据えていた。シュッと剣を前に突き出し、感覚を確かめながら、その鋭い刃先を宋へ向ける。


「なぁ、やっぱこの剣じゃないと駄目?」

「訓練用の剣だからな。安もので、切れも悪すぎて実践では使い物にならない剣だ。それならば確実に間違いは起こらないだろうからな」

「ちぇっ……重くて使いにくい」


 太一は剣に施されている煌びやかな装飾を見て「どこが安物なんだか」と悪態を吐き、「やっぱいつもの竹刀の方がしっくりくるぜ」と呟き、一歩踏み出した。


 ――――キンッ


 ――――シュッ


 ――――ガキィン!


 しかし、いざ剣を交えてみると――宋は予想以上の太一の剣技に圧巻され、どうにか太一の攻撃を防ぐ一方だった。太一もなかなかの実力者だと認めつつも、攻撃を受け流すその手は止めない――というか、止められなかった。そんな二人を見てサユリは心配そうに慌てるものの、宋と互角に渡り合う太一の強さを前に、思わず見入ってしまう。


「言うだけ、あるなっ……キタムラ」

「そりゃ、どーも!」


 ――――キイィンッ


 次第に激しい剣劇になっていき、宋も一切手加減はできていない。完全に太一の実力を見誤ったと、少しだけ自分の失態に苛立っていた。一方の太一も、久々の手合わせに心を躍らせ、楽しそうに剣を振るっている。修行の為にカイリと手合わせしている時とは、どこか違う笑みを浮かべながら。太一本人は気付いていないが、その笑みはまるで前回の任務で闘ったアキュラスに近いものを連想させている。

 そんな二人の様子を、城へ戻ってきた氷華とティルも「あれは……訓練?」「へぇー、やるじゃん。太一くん」と観戦していた。


「氷華さん、ティルさん! 今ですね、宋と太一さんが訓練をしているんですよ。太一さんって凄くお強いんですね。宋をあんなに圧倒して……!」


 サユリが興奮気味に話している横で、氷華は「ふふっ、太一は強いからね」と、彼の実力を信じきって笑った。そんな中、太一はちらりと氷華を一瞥して存在を確認すると、小さく安堵の息を漏らす。しかし、その行動を見逃さなかったティルは何かを企んだように、にやりと不敵な笑みを浮かべていた。


「あはは、太一くんがんばれー。宋先輩なんてやっつけちゃえ」

「!?」


 ティルは氷華の肩を抱き、自分の方へと引き寄せる。氷華は肩を抱かれる態勢となり、すかさず離れようとティルの身体をぐいぐい押し退けていた。しかしティルは氷華を気にする様子もなく、挑戦的に太一に対して手を振っている。その様子を見た太一はじっとティルを睨み付け、そして――。


「余所見している暇はないぞ、キタムラ!」

「…………」


 ――――シュッ


 ――――ガキイィンッ!


 次の瞬間、太一は目にも止まらぬ速さで宋の背後を取り、宋が手にしている剣を思い切り弾き飛ばした。何故か旋風と共に亀裂が入った剣だけが地面に虚しく落ち、カタンという音の後は静寂が周囲を包む。その人間離れした早業に、サユリや氷華は勿論、宋自身も何が起こったのか理解できないように茫然としていた。普段は穏やかに笑っているティルも、この時ばかりは珍しく目を見開き、太一の事を観察するように見つめている。


「やるじゃないか……キタムラ」

「そんな事ないっすよ。だって手加減してたんでしょ、宋さん」

「……ああ」


 ――少し、本気を出していたが……。


 冷や汗を流す宋を気にも留めず、太一はずかずかとサユリたちの方へと足を進めた。サユリは太一に「大丈夫ですか? お怪我は……?」等と心配の言葉を投げかけるが、太一は「大丈夫っすよ」とだけ答え、そのままティルの眼前でぴたりと足を止める。眉を顰めて不機嫌そうな顔の太一に屈する事もなく、ティルは張り付けた笑みを崩さず「凄かったね、お見事」と呑気に口を開く。


「ティルさん」

「どうしたの、太一くん」

「俺と勝負してください。あんたもここの使用人なんすよね」

「えー、面倒だなぁ。僕、訓練とか好きじゃないんだ」

「なら“実戦”でも構わない」

「言うねぇ」


 潔い太一の挑発に乗るようにティルも笑い、近くの石像から静かに細身の剣を抜いていた。宋は既にサユリの元へ待機し、サユリは再び心配そうな表情で太一を見つめている。氷華だけは特に気にする様子もなく、ぼんやりと二人を眺めていた。


「どうする? “実戦”か、それとも“訓練”か」

「任せるよ」


 ニヤリと笑うと、太一は素早い動きでティルに斬りかかる。相手の出方を窺う訳でもなく、太一は最初から全力で踏み出した。どうやら手加減をするつもりは全くないらしい。まるで好敵手を見つけたように、楽しそうに笑う太一を見て、氷華は「太一、いきなり飛ばすなぁ」と少しだけ嬉しそうに呟いた。


「じゃあ遠慮なくッ!」

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