第51話 誓った約束①
太一は疲れ果てていた。原因は自分に纏わり付くリナという少女の存在だ。彼女は事ある毎に自分に抱き付き、なかなか解放してくれない。太一はこのように異性に抱き付かれる事に対して慣れていない為、毎回慌てながら「離れろ!」と引き離しては再びくっ付かれ――という攻防の繰り返しだった。
「いい加減離れろ……リナ」
「いや! 僕はタイチ様と一緒がいいの~!」
「……はぁ」
そうして毎回、太一が面倒そうに溜息を零すと、何故かリナは即座に太一から離れる。やっと離れたかと思いきや、次はじっと太一を愛おしそうに見つめていて――その行動が理解できず、太一の調子は狂わされっぱなしだ。何となく、前回の任務でスティールをあしらっていた氷華の気持ちが理解できた気がする。
――一体何なんだ、この子……。
「太一、ちょっと話が」
「ああ、俺も氷華と相談したい内容が――」
太一とリナの応酬が終わった頃を見計らって氷華は太一に近付き、誰にも聞かれないようにこそっと耳打ちをしていると――氷華の身体は驚異的な怪力で簡単に引っ張られてしまい、強制的に太一との距離を取らされた。そこには曇りのない目で笑いかけるリナの姿が映る。
「ねえ、タイチ様と何話してたの?」
「え……いや、あの」
「ねえねえ、タイチ様もヒョウカと何話してたの? 僕にも教えてよー!」
「えーっと」
そして、氷華は途端に話し辛くなり――やむを得ず沈黙。こうやって数日間共に生活しているものの――太一と氷華は二人だけで話す機会を完全になくしていた。太一の周りには常にリナが纏わり付いているので、これでは今回の任務についても話せず仕舞いだ。太一は困った表情で氷華を見つめ、氷華は「どうしたものか」と頭を悩ませる毎日が続いている。
「ま……また今度でいいや、うん……」
「そうか……」
こうして問題は先延ばしになるばかりだった。
◇
氷華はとぼとぼと荒れ果てた廃墟の市街地をひとり歩いていた。アンドロイド勢力のアジトを抜け、市街地だった場所をぶらぶらと充てもなく歩く。
「あれじゃあ太一と話せない」
太一の周りには常にリナが居る。それはもう、海外セレブのガードマンという感じに。氷華が太一に話したい事は任務の内容――神力石の欠片の情報だったので、どうしても二人だけで話したい。しかし太一と呼び出そうと声をかけても、結局はリナまで一緒に付いてきてしまい、二人きりになれたと思ったらすぐ背後にリナが現れ――いつまで経ってもその応酬の繰り返しだ。
「リナちゃんは太一の事を……きっと大好きなんだろうなぁ」
盛大な溜息を零しながら、氷華は荒廃した街並みを眺め、瓦礫の上に座る。こうして景色を眺めると、自分たちの世界にどことなく似ている気がして不安を覚えた。まるで、未来の自分たちの世界を見ているようで――そうではない、ここは異世界だとわかっていても、心の中ではどこか胸がざわつく。
「こんな風にさせない為に、私たちは闘っている。だから、私たちは――」
――だけど、欠片はきっと……ノアの……それを奪うなんて、できない……。
「何をしている」
「ノア……」
そんな氷華の元に、ひょこりとノアが現れる。氷華が座っている瓦礫の下からちょこんと頭を覗かせている姿は、何だか無性に可愛いと思った。くすくす笑っていると、ノアは瓦礫の上に飛び乗り、氷華の横に腰掛ける。
「ちょっと考え事をしていて」
「自分の世界の事か?」
「うん、最終的にはそれに繋がる事だね」
ノアは氷華の言葉の意味がいまいち理解できなかったのか、その後はずっと口を閉じていた。性格上、ノアは気の許している仲間に対してでも、常にそっけない態度や冷たい態度を見せる。その事に関して、仲間たちはもう慣れているので特に気にしていない。そして、太一や氷華に対してもノアの冷たい態度は変わらなかった。
しかし、ノアは氷華にだけはどこか心を開きかけている傾向がある。稀に自分から氷華に話しかけてみたり、氷華がこうしてひとりで居る時には隣に座ってじっと黙っている事が多くなっていた。
一方の氷華も、こうしてノアが隣に居る事にどこか安らぎを感じ、そのまま嬉しそうに「私たちね、救世主を目指してるの」と、いつの間にか自然に身の上を話し始める。
「笑わせるな。お前みたいな奴が――」
「本当だよ?」
「…………」
「私ね、救世主になりたいんだ」
氷華が少しだけ微笑みながら、まるで自分自身に言い聞かせるように告げると――ノアはむっと口をへの字に曲げ、鬱陶しそうに氷華を睨み付けた。そのままノアは「それで」と口を開く。
「――え?」
「それで、その救世主志望者がどうしたんだ」
自分の話をノアが信じてくれた事を嬉しく感じ、氷華は楽しそうに自身について語り始めた。ノアは照れたように氷華から視線を離し、ぼんやりとしながら鉛色の空を見上げている。
「普通の女の子のつもりだったんだけど、私たちの世界の神様だった人に出会って……助けて欲しいって頼まれてね。私たちの世界の裏で起こっている事も聞いた。裏って言っても、大体は人間には関係ない神様事情って感じだけど」
「…………」
「それで、この力を手に入れて……闘って、負けて、修業して……自分の力に自信を持ってるつもり……だったんだけど……」
顔を伏せながら氷華はじっと自分の右手を見つめる。
普段のように魔力を集めて発動させても、いくらやっても――氷華にはできない魔術があった。それは、初めて任務に行った帰り以降――突然できなくなってしまった事。この世界にきた時、初めてできなくなっていると実感した。気が付くまでは魔力切れや修業不足なのかと思っていたのだが、万全の時に試し続けても、何故かそれだけが発動しない。
「何故か“一部の魔術が自分自身に使えない”んだ。……わからないけど、何故かできなくなってて……前まではできていた筈なのに」
氷華の魔術は時空系以外、“自分以外”に発動する事は可能だが“自分自身”には何故か発動できなくなっていた。
つまり、魔術で他人の傷を癒せても自分の傷は癒せない。魔術で氷の防御壁を作っても、自分の前には現れない。魔術で一時的に他人の身体能力を上げる事ができても、自分の身体能力を上げる事はできない。
攻撃は最大の防御という言葉通り、今の氷華は諸刃の剣だ。攻撃や補助面では圧倒的な力を見せるが、いざ氷華自身に攻撃が向いてしまうと――氷華は必死にかわす他ない。万が一ダメージを受ければ、前回の敗北した時のように、すぐに倒れてしまうだろう。
「最初の任務の頃は、自分が受けた刀傷とかも回復する魔術は使えたんだ。でも今は、何故かそれができない……これじゃあ魔術師失格だよね」
「…………」
「私、本当に強くなれてるのかな……逆に弱くなってたりしないかな……本当に、こんな私が世界を救えるのかな……」
膝を抱えながら悩む氷華に対して、ノアは「恐らく、そんな風に迷っている奴には世界は救えないだろうな」と容赦なく言い放った。氷華は「せ、正論です……」とうろたえ、返す言葉もなく押し黙る。するとノアは「要は、他人の傷は癒せるが自分の傷は癒せない」と続けた。
「う、うん……」
「だったら、僕がお前を怪我させなければ問題ない」
「――え?」
「お前は魔術で僕を護る。僕はお前を護る。それでいいだろう」
ノアは珍しく優しく笑って氷華と向き合うと、互いの視線がぶつかり合う。ノアも珍しく視線を逸らさずに氷華を見つめ、氷華もノアから目を離さなかった。
――あれ、なんだろう……この既視感……。
――――ドォオン!
そんな二人の前に爆音と共に現れたのは、二体の巨大なロボットだった。これは科学者が開発した“対アンドロイド用戦闘ロボット”。ロボットはノアと氷華を挟み撃ちにしようと動くが――二人は既にロボットの視界から消えている。
「はぁっ!」
「『エクスプロジオン』!」
ノアは氷華の背後のロボットに強烈な回し蹴りを決め、氷華はノアを狙うロボットを火炎系魔術によって爆発させた。初めてとは思えない程の華麗な連携を前に、二体のロボットはそれぞれ吹き飛び――大きな爆発音と共に粉々に砕け散る。氷華は「太一並に連携が取り易かった」と思いつつ、ノアの超人的な身体能力があるからだろうと判断した。ノアならば、他人の動きでも咄嗟に合わせられそうだ。
「危なかったね」
「ほら、お前は立派な魔術師だ」
「ありがとう、ノア」
氷華は心の底から笑いかけるが、ノアはそっぽを向いてしまった。そのまま彼は苦し紛れに「ぼ、僕が認めたんだから……もう少し自信を持て!」と赤い顔で叫んでいる。ノアなりに励ましてくれた事を嬉しく感じ、氷華は再び笑みを溢したが――。
「目標、生存、排除、排、除――」
「!」
刹那、ロボットの一体が壊れかけながらも最後の抵抗と言わんばかりに、ノアへ向けて銃弾を放った。氷華は咄嗟に自分の身体ごとノアに飛び込み、二人で地面へ転がるように倒れ込む。
「『グロス・ヴァーグ』!」
――――バシャァア!
氷華が水天系魔術を叫ぶと、ロボットには大波が降り注いだ。機内に水が浸入した事でバリバリとスパークが生じ、ロボットは完全に活動停止に陥る。氷華はほっと安堵するように息を下ろしながら「間に合ってよかった」と安心していた。しかし、ノアは安堵できる状況ではない。
「あ――」
「?」
「あ、あ……り、が……とう……」
ノアは氷華に抱きしめられたままの態勢で硬直し、小さな小さな声で感謝を述べた。その言葉に氷華は「ノアが珍しく素直だ」と思いながら微笑み――そのままノアを立たせると、氷華はうーんと背伸びをして口を開く。
「私、ここにきてからノアに護られてばかりだね。だから、次は私がノアを護るよ!」
その言葉に、ノアは目を見開かせて驚いた。頭の中で繰り返される、“護る”という言葉。
ノアは人間ではなくアンドロイドで、しかも仲間たちの中でもリーダーというポジションに居る。心のどこかでは誰かに護られる事に憧れを抱いていたが、だけどそれは無理だろうと決めつけ、諦めていた。そんな、無意識に自分が欲していた言葉を、目の前の氷華は平然と言ってのけたので――ノアは呆然としながら言葉を失っていた。
皆から憧れられるようなヒーローの姿と、一見すれば只の人間である氷華の姿が、僅かにだが重なるように見え、ノアは内心で「まさかな」と呟く。
「頼りないかもしれないけど、私が護るよ。この魔術でね!」
「……僕も……皆のついでに、お前の事も護ってやる。“約束”する」
「ふふっ。ありがとう、ノア。じゃあ私も“約束”だね」
氷華という存在により、ノアの心は少しずつだが確実に変わりつつあった。
◇
「それでね、その時のお姉ちゃんったら――」
「…………」
「タイチ様?」
「ん……何だ?」
太一の返答に、リナはむっと顔をしかめさせた。ぎゅうっと腕の力を強めながら、対照的に弱々しい声で口を開く。
「何か考え事? もしかして、ヒョウカが言いかけてた話?」
「…………」
思わず太一は黙ってしまった。あながち間違いではなかったからだ。太一が考えていたのは「神力石の欠片を捜さなければならない」「氷華はどこに行ってるんだろうか」「カイたちは上手く自分になりきれているだろうか」等の事。反論も否定もしない態度の太一を見て、リナはそれが肯定であると理解したのか、つまらなさそうに顔を膨らませる。
「タイチ様ったらヒョウカの事ばっかり。僕つまんなーい」
「いや、それだけって訳じゃ――ってか、氷華は俺の大切な仲間であって、相棒で――」
「相棒? ねぇ、タイチ様。ヒョウカってタイチ様の何なの? 仲間? むしろ仲間って、どんな事してる仲間?」
――またきたか、この手の話題。一緒に世界の為に闘ってるとか、この子に言っても大丈夫かな……。
レナならば特に詮索もしないで疑わないだろうが、リナは理解するまで根掘り葉掘り問い質されそうだ。太一はどこまで真実を話すか悩みつつ、テンプレート的な回答を面倒そうに答える。
「俺と氷華は幼馴染。家族みたいな感じ」
「それだけ?」
「一緒に闘ってる大切な仲間で、相棒」
「ほんとにそれだけ?」
「…………」
「ほらまたタイチ様が黙った! 何か隠してるんだ?」
――いや、レナはともかく……この子にワールド・トラベラーの事とか言ったら絶対面倒な事になる!
そうしてリナは、タイチの身体をぶんぶんと乱暴に揺すり始めた。ぐらぐらと揺れる脳に不快を感じながら、太一は「や、やめろ」とうろたえながらリナを引き剥がす。それを見兼ねたのか、今まで黙っていたレナが口を開いた。
「リナ、タイチが困ってるだろう」
「お姉ちゃん……むむぅ~、お姉ちゃんに言われちゃ仕方ない」
相変わらず無表情で武器の手入れをしていたレナが助け舟を出すと、リナはあっさりと引き下がる。しかし態勢はそのままだったので、太一は相変わらず動けず仕舞いだった。
――近隣の様子もまだちゃんと見れてないのに……ったく。
すると、入口の扉が開く音と共に、ノアと氷華が姿を現す。二人の帰還に太一は苦笑いで「おかえり」と声をかけ、レナは二人を一瞥すると、再び目線を武器に戻していた。
氷華の姿を確認したリナは、太一からパッと離れ、カツカツと氷華に向かって笑顔で歩み寄る。そして、この場の誰もが予想もしなかった言葉を彼女は言い放った。
「ねえ、ヒョウカ!」
「ん? リナちゃん、どうしたの?」
「タイチ様を僕に頂戴?」
「――はい?」
言葉の意味が理解できず、氷華は目を点にしている。それと同時に太一も固まり、我に返って「お、おい、リナ!」と声を荒げていた。
「頂戴って、どういう――」
「だーかーらーっ。僕にタイチ様を頂戴って意味! タイチ様ってヒョウカの相棒なんでしょ? だから僕等の仲間に――僕の相棒になるの! そして、ずっと一緒に暮すんだー!」
「……えっと、それは……ちょーっと困るかな」
「むう~、ヒョウカがそんな態度なら僕にも考えがあるよ!」
そう言ってニヤリと笑ったリナは、氷華の手を引いてダダダッと全力で走り出す。その後、太一は慌てて二人を追い、ノアとレナも至極面倒そうな雰囲気で続き――面白がったミラも後を追っていた。アガルだけは首を傾げ、その場に留まっている。
氷華は抵抗する暇もなく、リナの見た目以上の力に圧倒されながら、彼女と共に強制的に外へと飛び出す事になった。というか、リナの腕力と脚力によって自分の足が若干浮いてしまっているので、逃げる事はできなかった。
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