第36話 敗北


「!」

「気が付きましたか、太一さん!」


 太一が目を覚ますと、心配そうに自分を覗き込むサユリが視界に飛び込む。医務室に搬送された太一は、あれから数日間ずっと眠り続けた。いまいち頭が覚醒せず、太一はぼーっとサユリを見つめながら尋ねる。


「……俺、どれくらい寝てた?」

「五日程お休みになられていました。あの……大丈夫でしょうか? 専属の医師に治療は施してもらったのですが、酷いお怪我で……」

「そっか、俺……負けたんだ」


 無残に破れてしまったワールド・トラベラーの隊服を見つめ、悔しそうに顔を手で覆っていたが――太一は何かを思い出したようにガバリと起き上がった。勢いよく起き上がると、全身から身を裂くような痛みを感じ、太一は思わず顔を歪ませる。


「駄目です、太一さん! まだ起き上がられては――」

「氷華! 氷華は!?」

「大丈夫です。氷華さんも隣に居ます」


 そう言ってサユリは隣のベッドを示した。細い指の先には、未だに眠っていて目を覚まさない氷華が寝ている。太一は氷華も無事だった事に安堵すると、「よかったけど……起きないのはちょっと心配だな」と声を漏らした。


「……そんな、そんな……に……食べれな……アイ、ス…………」

「うん、心配とか全部吹っ飛んだ」


 氷華の寝言に静かにツッコミを入れる太一を、サユリはくすくすと楽しそうに笑う。とても嬉しそうに、少しだけ羨ましそうに。


「太一さんと氷華さんが倒れているのを発見して、急いで治療を施しました。一体何があったのですか? スヴェル様の私兵たちは、既に倒れている様子でしたし……」

「サユリさん、スヴェルの首にかかってた石って、どうなったかわかる?」

「確か……仕事の報酬で譲ってしまったと伺いました。スヴェル様はわたくしの臣下となってくださいましたので、後で詳しい話を本人に訊いてみましょう」

「そうか、やっぱり奴等が……って……えっ!?」


 欠片はアキュラスとスティールに奪われてしまった事を確信した太一だったが、サユリの方の状況はいまいち把握する事ができなかった。



「まぁ、サユリさんが決めた事ならいいんじゃないか? 宋さんも目を光らせるだろうし」


 スヴェルの処遇について、サユリから話を聞き終え、太一が発した第一声はこれだ。サユリは驚いたように、だけど嬉しそうに太一を見つめると同時、宋が医務室に現れる。宋は太一が起き上がっている様子を確認すると「大丈夫なのか?」と太一を案ずる言葉を口にした。


「どうにか」

「……ミナヅキはまだ起きないのか?」

「宋さん、氷華に何か?」

「謝りたいと思ってな」

「あぁ、危険な役を買わせたから?」

「私はミナヅキをアンティーム殿のスパイと疑っていた。そして、ミナヅキは私がそう疑っている事をわかりながら、危険な役を買っていた――と思う」


 宋は申し訳なさそうに顔を俯かせる。サユリの大切な友人を疑い、危険な目に遭わせてしまったと言っても過言ではない。宋は一方的な罪悪感に支配されていたのだ。


「私、宋さんがそんな事を考えてたなんて知らなかったなー」

「氷華!」


 太一は嬉しそうに振り返ると、氷華はベットからよろよろと身体を起き上げ――宋に、そしてサユリと太一に笑いかけていた。ぼーっとする頭を無理矢理覚醒さえ、氷華は淡々と続ける。


「まぁ、疑われてたにしても、今はもう疑ってないでしょ? 別に気にしてないよ」

「……ありがとう」

「それよりアイスとかない? アイス食べたくて」


 いきなり畏まった態度で謝罪の言葉をかけられ、氷華は少し照れたように笑っていた。宋も、氷華が優しい嘘を付いている事に気付き、再度心の中で彼女への感謝を述べる。



 ◇



 数日後。体力もだいぶ回復した太一と氷華は、闘いの傷が残っているものの、すぐに自分たちの世界へ帰還する事を決意した。敵に神力石の欠片を奪われてしまった事を、早くゼンに伝えなければならない。そして、早急に次の対策を練る事も必要だ。その一心から、太一と氷華はこの世界に別れを告げる事を決意する。


「もう、行ってしまわれるのですか……?」

「敵の調査隊に隕石を奪われちゃったし、ちょっと早く帰らなきゃいけないんだ」

「奪い返す方法も考えなきゃいけないからね」


 太一と氷華が申し訳なさそうに告げると、サユリは胸に手を当てながら「わたくし、皆と共にアルモニューズ王国を和平へ導いてみせます」と決意を表明するように宣言した。


「わたくしがトランキル王国、グルーヴ帝国へ直接赴き、その国の情勢もしっかり自分の目で見てみたいんです。そして、いつか必ず、他の二国と手を取り合ってみせる」

「とてもいい事だと思うよ。簡単ではないだろうけど、皆で協力すれば、きっと何だってできるよ。宋さんたちやスヴェル、他の使用人や臣下も――サユリさんには頼れる仲間が居る」

「サユリさんの仕事っぷりを直接見れないのはちょっと残念だけど、応援してるよ」


 太一と氷華の激励を聞いて、サユリはしゅんとした顔で二人を見つめる。太一と氷華も少し寂しそうな表情を浮かべたが、二人はここで立ち止まっている訳にはいかなかった。自分のやりたい事――世界を救い、大切なものを護る為――二人は前に進まなければならない。


「今までお世話になりました。ありがとう、サユリさん」

「わたくし、氷華さんに出会えて――友達になれて、本当によかったです!」

「俺も、ありがとな。宋さんも、サユリさんも」

「近くにきたらまた寄ってくれ。次は国賓として、アルモニューズの本城へ案内しよう」

「ちょっと恐れ多いけど……楽しみにしてるよ」

「あの、た、太一さん……」


 そうしてサユリは何か言いたげに、太一の袖をぎゅっと握った。勇気を出し、サユリは一世一代の行動に出ようと声を振り絞る。


「太一さん……わ、わたくし……太一さんの事が……好きなんです!」

「俺もサユリさんが好きだよ」

「え――」


 その即答っぷりに、サユリは顔を真っ赤にさせて太一を見つめるが――どうやら彼女の想いは太一に伝わっていなかったらしい。サユリの言いたい事を理解し、太一に対して嫉妬に近い感情を抱いた宋は、矢のような鋭い眼光で彼を睨み付けていた。


「姫なのに、しっかり自分の意思を持ってるし、考え方だって真面目で立派じゃないか。友達として凄く誇らしいよ」

「あ、あの……太一さん、そうではなくて!」


 そう言って、太一は「え?」と首を傾げる。いつもボケる氷華に対して、太一は普段からツッコミ担当だった。しかし、太一は時たま大ボケを発動する。それが残念ながら今日だったのだ。氷華は「はぁー」と盛大な溜息を吐き、哀愁漂った目で太一の肩をぽんっと叩く。


「太一の鈍感」

「なっ――お前に言われたくないよ!」

「今回は私が言わせてもらうよ。太一の鈍感、どーんかんっ」


 そして氷華は無理矢理太一の肩を押してサユリと向き合わせようとするが、それをサユリ自身が「いいんです、氷華さん!」と止めた。


「でも……サユリさん、太一の事を……」

「大丈夫です……今度また、話を聞いていただくのでッ!」


 恥ずかしさを堪えつつも、どこか真剣なサユリの表情を見て、氷華は何かを察したのか「そっか、わかった」と素直に引き下がる事にした。深く追求しなかった氷華に対し、サユリは「ありがとうございます」と微笑む。一方、話に付いて行けずに取り残された太一は、ひたすら首を傾げる事しかできなかった。

 そのまま氷華は「さ、行こうか!」と足を動かすと、太一は氷華にずるずると引き摺られながらも、ぶんぶん手を振って叫ぶ。


「え、あ……サユリさん! 宋さん! またな!」

「は、はいっ! 氷華さん、太一さんも……お元気で!」

「また会おう」


 氷華は笑顔で振り返って、宋と、そしてサユリを見て笑いかけた。


「またね!」

「はいっ! またお会いしましょう! 次は、この国の女王として、友人として……二人を盛大にお迎えしますっ!」

「楽しみにしてるよっ!」


 こうして――管理者ヴェニスの世界、大国アルモニューズを後にした。



 ◇



「という訳で……負けて、しまいました……」

「任務、失敗だ」


 ――二人共、結構落ち込んでいるな……。


 ――立ち直れるのか? この二人。


 ――氷姉も太一も、これから大丈夫かなぁ。


 太一と氷華は申し訳なさそうにしゅんとしながら、ゼンとカイ、ソラに今回の報告をしていた。ゼンはふっと優しく二人に微笑み、そのまま「頑張ったな、二人共」と言って頭をポンっと撫でる。太一と氷華は、予想外の行動に驚きを隠せなかった。


「一つくらいいいじゃないか。こっちは既に一つの欠片を手にしている。次の任務、期待しているぞ?」

「……ゼン」

「私たち……」


 ゼンの言葉に太一と氷華は顔を上げる。その表情は、いつもの二人のように、決意に満ちた強い瞳だった。


「次は負けない。やっぱり負けるのって死ぬ程悔しいし。次は絶対……絶対、あいつのスカしッ面を殴り飛ばす!」

「私もあの片目男に絶対勝つ! 完全勝利して、アホ毛女なんて呼んだ事を撤回させてやるんだ……!」

「「そして次の欠片は手に入れてみせる!」」

「!」


 カイとソラは驚き、ゼンは太一と氷華に応えるようにニヤリと笑った。


 ――何だ、全然落ち込んでいないじゃないか。


「今は、起承転結で表すと転の部分だ。次で勝利を決められるか?」

「「任せとけ!」」


 ――ゼンの期待に応えなくちゃ。私たちは、救世主になってみせるんだから。


 ――落ち込んでいる暇なんてない。俺はもう負けるのはごめんだ。次は絶対に勝つ!


 こうして、異様な速さの立ち直りを見せた太一と氷華は、新たな任務へ挑むのだった。



 ◇



 ――やはり太一さんは、私の知らない事を沢山教えてくださいました。こんなに寂しくて切ない気持ち、初めてです。


 キキィッという音と共に立派な城門が閉まり、太一と氷華の姿が見えなくなった後もサユリは城門をずっと見つめ続けていた。城門の遥か先の太一と氷華を見つめているように、快晴の青空を見上げる。そんな様子に宋は「サユリ様、戻りましょう」と手を取った。


「宋、素敵な方たちでしたね。太一さんと氷華さんは」

「ええ。愉快で、屈強で、規格外で――突如現れた英雄のような奴等でした」

「ふふっ……宋がそんな風に言うのは珍しいですね」

「ところでサユリ様」

「何です?」


 宋はコホンと咳払いをし、そして少し赤くなりながらサユリに訪ねる。サユリの真意を確かめる為だった。


「ミナヅキが作った機会を止めていましたが……あれでよかったんですか?」

「ふふ。いいんですよ、宋」


 そしてサユリは、自分の考えを素直に口にする。


「わたくしは、太一さんに想いを伝える事で、この関係を崩そうとしました。でも、できなかった。わたくし、今ならわかるんです。この関係は、まだ崩してはいけないものなんだって」


 太一の成し遂げたい事と、サユリが成し遂げたい事は異なる。今は、それに向かって歩むべき時。目を背ける時ではない。


「互いの成し遂げたい事。それを叶えていない今は、まだ崩しちゃいけないものなんです。それが終わった時……アルモニューズ王国と、トランキル王国、グラーヴ帝国、全ての国が崩れる事なく、この世界の三角関係が崩れた時に……太一さんに、もう一度想いを伝えてみたいと思います。その時ならば、きっと……今回みたいに、誤解されずに、ちゃんと伝えられると思うから」

「ですが、その」


 すると宋は少し言い辛そうに「キタムラとミナヅキは……」と口を開くと、サユリは少し得意気な表情で「あら、宋は気付きませんでしたか?」と笑いかける。太一と氷華の絆は、二人の信頼関係は深い。そこにはサユリが付け入る隙はないだろう。でもそれは、少なくとも今は、恋愛感情ではなく――。


「二人は、きっと――」



 ◇



「はっ、はく、しょーい!」

「何だよそのくしゃみ……風邪か?」

「んんー? 誰かが噂してるのかも」


 氷華は鼻を擦りながら呟く。久々に見上げる自分たちの世界の空は、綺麗な青に染まっていた。


「帰ってきたな」

「そうだね」

「あっ、そういえば。氷華」

「ん?」

「俺って、お前の何だと思う?」


 太一はスティールからの「ナイト気取り」という言葉を気にして、何気なく問いかけた。すると氷華は「何を言ってんだこの男は」と言わんばかりの目を向けている。


「な、何だよその顔?」

「いや、やっぱ太一って鈍感だなぁって思って。どーんかんっ」

「だから氷華に言われたくないって!」


 そして氷華はその場でくるりと回り、嬉しそうに言い放った。


「サユリさんから聞いたよ。自分で得意気に語ってた事忘れんなよ、相棒っ!」

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