第3章 ヴェニスの世界

第24話 反逆した無法の英雄集団①


 初任務を成功という形で終え、太一と氷華は久々に学校へ登校している。カイが太一、ソラが氷華の姿で登校した期間は実に十日間程度。その間に一体何があったのだろうと彼等は内心で期待に胸を躍らせた。だが期待するのは今回だけで、今後は心配で息を詰まらせる事になる。


「でさ、氷華! 今日も行くよね?」

「え、どこに?」

「やだわね、毎日のように買い物行ったりカラオケ行ったりしてたじゃない!」

「戦隊モノのテーマ曲を歌うのとか、すっごく上手くなったよね!」

「……ごめん、今日は遠慮しておくね」


 氷華は「ソラは一体どんなテンションで自分のふりをしていたのだろうか?」と頭を悩ませていた。とりあえず、友人たちが自分の性格の豹変を気にするような人ではなくてよかった、とも思った。

 一方の太一は――。


「太一、今日も部活休むのか?」

「え、俺って部活休んでたの?」

「何言ってるんだ。ここ最近はずっと休んでいただろ」

「ゲームなら俺とほぼ毎日してたけどな! まさかあんなに格ゲー上手くなってるとはね」

「……今日は部活行くから。ちゃんと」


 どうやらカイは面倒がって部活をさぼっていたらしい。太一は深い溜息を吐きながら窓の外をぼんやり眺める。


 ――もしもカイが俺よりタイム遅かったら怪しまれるかもしれないし……まぁ、誤魔化せたならいっか。



 ◇



 太一と氷華の様子を、向かいの棟の屋上から見守る人影が動く。カイとソラ、それにゼンだ。楽しげな雰囲気の教室をぼんやり眺めているカイ、ソラの両名に視線を向け、ゲンは「二人のその表情……学校に行けなくて退屈、ってところか?」と問いかける。


「いや、別に。太一のふりして行くのなんて疲れるだけし、解放されて清々してる」

「ソラは氷姉のふりでも楽しかったなー!」

「お前は全然氷華のふりできてなかっただろ。毎回毎回、俺が誤魔化すのにどれだけ苦労したか……」


 本人は皮肉を述べつつも、どこか楽しそうに語るカイを見て、ゼンは我が子を見つめる親のように穏やかな風貌で優しく微笑む。


「太一や氷華のふりではなく……お前たち本人として、学校へ行ってみたいか?」

「「!」」


 普通の人間らしい生活。それにどこか憧れを抱いていた二人は、ゼンの言葉にピクリと反応した。特にソラの方は学校に対して強く憧れを抱いている。本当の平和が訪れたら、もしも神に許されるのならば――行ってみたい。彼女は心のどこかで、人間らしく生きる事を諦め切れていなかった。しかし――今の自分たちは、そんな夢のような生活をしている暇はない。


「世界を救ってからなら、ソラは行ってみたいかも!」

「…………」


 一方のカイはじっと黙って何かを考えていた。自分が学校に通い、普通の人間らしい生活をしている姿なんて想像すらできず――ソラ同様に内心で葛藤している。だが、もしかしたら――今の自分ならば。そんな事を考えながら、カイは「ゼンの命令なら行ってやってもいいかな」と唇で弧を描いた。


「でも、今俺たちがやるべき事は、それじゃない」

「……そうだな、私たちはまだ世界を救っていない。世界を救った時に、また考えてみようか」

「ああ」

「うんっ!」


 カイとソラが自らの過去を思い出してぎこちなく笑う。過去へのしがらみを消し去るように、ゼンが指を鳴らすと――三人の影は一瞬で消え――それぞれ欠片の情報収集へと向かった。



 ◇



 氷華は「うぅっ……」と呻き声を上げて身体を起こす。視界に広がるのは、果てしなく広がる黒、黒、黒。冥界へと続く闇の中に落ちた感覚だった。まるで、自分も世界を構成する闇の一部と同化し、自分という存在をなくしてしまいそうで――どことなく心を不安にさせる場所だ。


「ここ、どこ?」


 氷華は宛てもなくふらりと足を動かす。前後左右どころか上も下の冥闇に支配されていて、平衡感覚をなくしそうだった。どれだけ歩いたかはわからないが、暫くすると遠方に小さな光が飛び込む。太陽のような光を渇望するように、無意識に身体はそれへ向かって走り出した。

 もう少し。もう少しでこの冥闇を抜けられる。陽光の世界が待っている。光へと手を伸ばす内、ぼんやりした光は“何か”をはっきりと形成していき――そこに現れた“何か”は、氷華が予想もしなかった姿へと変貌を遂げた。


「よお、また会うとはな」

「え……?」


 金の髪と、一部分だけ染められた黒の髪が揺れる。赤い瞳で高圧的に自分を見下したその男は、再会を喜ぶようにニヤリと口元を吊り上げた。氷華の目の前には、前回の任務で命を奪ってしまった――フォルスの姿が現れたのだ。氷華は瞳を丸くさせながら「どう、して……」と声と身体を震わせる。全身から、嫌な汗がじわりと吹き出した。


「お前らしくねえな。その面」

「だ、だって……私、あなたをッ……!」

「殺した、からか?」


 その言葉に、氷華はびくりと肩を跳ね上げる。頭の中で「殺した」という一部分だけが何度も響き渡った。現実から目を背けるようにぎゅっと目を瞑るが、脳裏でも現実と同じように自分を見下すフォルスが映る。激しい罪の意識に支配された。


 人々を理不尽に支配していたとはいえ、彼もまた人間だ。それに、本当は神力石の欠片が悪影響を及ぼし、狂暴化してしまっただけなのかもしれない。本来、ロフたちは警護等を生業としていた、正義の味方のような集団だったと聞いたし、もしかしたら。彼もまた、被害者だったとしたならば。


 ――もし、そうだったら……私が行ってしまった事は。


 太一が以前、氷華を励ます為にかけた言葉も、いざフォルス本人を前にしてみては全く効果がない。蒼い顔で膝を付く氷華を見下しながら、フォルスは苛立ちを押さえるように静かに口を開いた。


「だから、俺はお前に殺されたんじゃねえ。俺は自分自身で命を絶ったって言ってんだろ。お前みてえな小娘に殺されてたまるか」

「ち、違う――私がッ!」


 フォルスは氷華の様子を見て肩を竦める。そのままゆっくりと手が伸び――氷華は恐れるようにびくりと肩を上げながら目を閉じた。しかし、頭にポンっと何かが乗る感覚に――フォルスの予想もしなかった行動に――氷華は目を見開かせながら顔を上げる。その反動で、瞳からはキラキラとした涙が弾け飛んだ。


「っ……あなたは、人殺し、だけど! セリの、両親の仇だけど! それでも、あなたも……人間、だから……」

「俺の為に、恐怖以外の涙を流す女は初めてだ。だけどな……お前にそんな面は、似合わねえ」

「でもッ! 私はあなたも救いたかった!」

「……その言葉で充分だ。お前は大切なものを護んだろ。だったらこんなところで立ち止まるんじゃねえよ」


 そしてフォルスは喝を入れるように、氷華に対して叫ぶ。


「何回も言わせんな。俺はお前に殺されたんじゃねえ。だが、お前がこまで殺したと言い張るなら――別にそれでも構わない。……だったら! 俺を殺したって言うなら、お前は俺の分まで生きろ。生きて、お前が護るって言う世界を護り、救ってみせろ。それでチャラにしてやる」

「私、は」

「俺は……相棒を喪い、役人共の理不尽さに怒り、感情に身を任せていくつもの命を奪った。だが、俺の為に泣いてるお前を見て、俺は……少しだけ昔の俺を思い出した。全てを救うような救世主に憧れていた、あの頃の俺を」


 フォルスは目を閉じ、記憶の奥隅に封じた昔の自分を思い浮かべた。煌びやかな日々と、かけがえのない大切なものたちが、忌まわしい悪意によって奪われた過去を。



 ◇



 この世界の中でも大きめの都市に分類される、ブリュタルの街。その近郊に限らず、整備された街と街の間にある無法地帯には、獰猛な怪物が蔓延っていた。狼に乗る鴉、羽を生やした人喰い犬――何故そのような怪物が生まれてしまったのかは、人類は知る由もない。しかし人々は“街の外には危険な怪物が存在する”という事は常識として叩きこまれている為、その起因については誰一人として疑問視するものは居なかった。寧ろ、どのようにして怪物から身を護るかに重きを置いている。そして、辿り着いた答えが武力だった。


 怪物たちは無作為に人々を襲う。言葉も一切通じない。当然、和解はできない。だったら――武力による鎮圧しかない。この世界では、武力こそが正義であり、生きる為の手段だ。


 そんな世界の中、ブリュタルの街では二人の青年が名声を得ている。離れた街へ作物を輸出・輸入する荷運びの商人を護る為、今日も二人は警護の頼みを率先して引き受けていた。


「例のポイントに行ったぞ、ファシー!」

「ああ。任せてくれ、フォスル」


 人喰い犬たちの注意を惹き、崖下まで誘き出すと、上空からはガラガラと音を立てて岩石が降り注ぐ。それに巻き込まれないように青年――フォルスは駆け出した。激しい衝撃音が響き、土煙が晴れると、もう一人の青年――ファシリテが「成功だ」と微笑む。


「ったく、お前の作戦は無駄に派手だよな。本人の見た目に反して」

「ありがとう」

「別に褒めてねえよ……あと、いい加減降りてこい。ファシーの事だ、転げ落ちるぞ」

「好きなんだよね、高いところ……うわっ!?」


 楽しげな会話に釣られるように、物陰に隠れていた荷運びの商人たちは恐る恐る顔を出した。人喰い犬たちの撃退に成功した事を察し、商人たちは安心したような表情で「ありがとう」「助かったよ!」と感謝を述べている。


 二人の青年――フォルスとファシリテはブリュタルの街でも有名なコンビだった。知略のファシリテ、力のフォルス。二人はそれぞれ足りないものを補いながら闘い、人々を護っている。

 主に護衛によって稼いでいたフォルスとファシリテは、ある日組織を立ち上げようと計画していた。二人の日頃の活躍もあり、彼等を慕う仲間も増え――始めは二人だったコンビも、今では大所帯になっていたからだ。


「ここまで大がかりになったし、何か組織名でも付けようか」

「いいじゃねえか。かっこいいので頼むぜ、ファシー」

「んー……そうだな」


 そう考えるファシリテの傍ら、仲間のひとりが「聞いてくれよ、フォルスの旦那~」とフォルスの肩を組みながらに語りかける。今日の依頼人である役人が酷く不愉快な客だったらしく、それに対する愚痴らしい。


「役人だから金に物を言わせててよ。一番最初に警護しろって、予約してたお得意さん跳ね除けやがったんだ。俺もちょっとイラッときちまったから、無視していつものお得意さんの方の依頼を優先したら、そいつ何て言ったと思う?」

「あー……「この薄情者が」とかか?」

「それならまだいいぜ……そいつ「貴様等は金に群がる蝿じゃなかったのか」とよ。しかも「街の法を乱す無法者」とも言ってきやがったから、思わずその役人から報酬もらわないできちまったんだ。あ、旦那たちの評判にも響いたら嫌だから、依頼はちゃんとこなしたけどな」

「つまり、今晩の飲み代は俺が出せと」

「頼むよフォルスの旦那! あ、ファシリテの旦那も何か言ってくれよ!」

「よくやった」

「いや、俺にじゃなくてフォルスの旦那に――」


 フォルスに泣き付く仲間を見ながら、ファシリテは考える。

 無法者。街の町長たち役人は法と金で身を護るが、その法には“役人を優先する”なんて決まりはあるのだろうか。


 ――そんな決まりはない筈だ。それに、もしあったとしても私たちは従わないだろう。だったら私は、無法者でいい。


「反逆した……無法の、英雄集団」

「ん?」

「って意味で、Rebelled Outlaw Hero Unitなんてどうかな? 名前」

「長い。覚えられる自信ねえ」

「我儘だなぁ、フォルスは。じゃあその頭文字を取ってROHU(ロフ)はどう?」

「よし、それなら覚えられる」

「流石に二文字も覚えられないと人間性を疑うよ」


 そして彼等は自らを“ロフ”と名乗って活動するようになった。この街で生き抜く為に、皆で協力しながら。時折、役人より民間人を優先しながら。そんな行動もあって、ロフは街でも人気の、“弱き者を助ける正義の味方”として有名になっていた。


「この街だけじゃない。ここが落ち着いたら外に出て、世界中に私たちの名を轟かせよう。私たちならそれができるよ」

「俺たちで全てを救って、護って――まるで救世主みてえだな」

「いいじゃないか。全てを救う救世主。いつの日か、そんな素敵な救世主になろう」


 そう夢見ていた筈なのに。その夢を奪ったのは、街の外に巣食う獰猛な怪物でもなく、街の中に居る醜悪な人間だった。



 ◇



 いつものように仕事を終えて拠点へ帰還したフォルスは、生気を失ったような相棒の姿に言葉を失う。すぐさま「どうした!?」と事情を求めると、ファシリテは光がない瞳で「駄目なんだ」と呟いた。その声は震えていて、奥底からは激しい怒りと深い悲しみと――様々な感情が渦巻いている。


「どうしてこんな……フロア、アンジュエ、どこだ! 確かファシーと一緒の警護だったよな! ……クレールも!」

「……死んだよ。私が、殺したんだ」

「おい、笑えねえ冗談はよせ……」

「真実だよ」

「どうして! どうしたんだファシリテッ!?」


 鉛のように重い口から語られた真実は、フォルスの想像を超えるものだった。

 


 ファシリテたちは隣町に出ていた町長たち役人の警護に就いていたのだが、その帰り道、町長がファシリテに対してふと口を開いた。


「そういえば、近隣の町長が君たちを偉く評価していてね」

「それは、光栄ですね」

「……是非うちの街も助けて欲しいと頼まれた。だから私が丁重に断っておいたよ」

「それは大変だ。いつでも呼んでくださいと訂正しなくては――」

「“私の街で飼い潰す”からと言ってね」


 その瞬間、前を歩いていた仲間たちが苦しみながらバタバタと倒れ込む。慌てたファシリテが彼等に駆け寄ると、全員蒼い顔をしながら酷く呼吸を荒げていた。その様子を見ながら町長はニヤリと笑って「大変だ。どうやら隣町で振る舞われた水に毒が混じっていたらしいね」と続ける。


「だがこんな事もあろうかと、ここに解毒剤がある。街の者たちの味方である私が無償で施してやってもいいが……君たちは私に命を救われる事になるなぁ」

「傅け、という事ですか……ッ!」

「話が早くて助かるよ」


 そして、町長は「君たちは大きな存在になりすぎたのだよ。君たちがこの街に居てくれるだけで、他の街からは下手に手出しされない程に」と続けた。

 最初は快く思っていなかったロフが、次第に自分では御しきれない程の存在となった。御せないならば――利用すればいい。町長は、ロフを武力として保持しようと考えていたのだ。


「毒に侵されていない君ならば利口な判断ができるだろう。さぁ、どうするかね? ロフを束ねる者、ファシリテくん」


 ファシリテは必死に考えていた。もしも解毒剤を受け取れば、仲間は救われるだろうが組織は救われない。恐らく町長に私兵として利用され、一生扱き使われるだろう。だが解毒剤を受け取らなければ仲間を喪う事になる。それは、それだけは絶対にできなかった。

 ファシリテが恐る恐る手を伸ばし、懇願するように解毒剤を取ろうとした瞬間――。


「や、めろ……リーダー……」


 仲間の振り絞るような声が、それを止めた。


「こいつ等の、事だ……どうせ、それは……解毒剤、なんかじゃない……」

「こんな奴と、取引なんて……しちゃ駄目よ……」

「ほう、末端の割にはよく気付いたな」

「!」


 その言葉にファシリテは顔を上げた。そのまま町長は「貴様等のような末端に、いちいち施しなんてする訳がないだろう?」と残酷に笑いかける。その表情を見て、言葉を聞いて、ファシリテは絶望した。


「ロフの頭角であるファシリテとフォルスさえ居れば広告塔には充分だ。他の人間は必要ない。少しくらい減ろうが、私の知った事ではない」


 そのまま町長は「私の手を取ってくれる事を期待しているよ、ファシリテくん。その間、仲間が何人消えるかはわからんが」と言い捨て、街の中へと消えて行く。その背中をファシリテは追いかける事ができず、足元に倒れる仲間と共に呆然と見つめていた。



「私は仲間を助けられなかった。あの男の甘言など無視して、すぐに医者の元へ走れば……もしかしたら三人は救えたかもしれない。でも私は、あの男を少しでも“信じてしまった”んだ」

「くそっ……」


 全てを知ったフォルスは、怒りに身を任せながら乱暴に壁を殴った。血が滲んだ拳を強く握りながら「あの野郎……」と声を振り絞ると、ファシリテは「フォルス、頼みがあるんだ」と辛そうに口元を吊り上げる。無理矢理作った笑顔が、酷く痛々しい。


「フロアと、アンジュエ、クレールの家族のところに顔を出してやってくれないか。私は、ちょっとすぐには顔向けできそうにない……こんな事を頼んでしまって、すまない」

「……そうだな、お前は休んでいてくれ。俺が行ってくる」


 そして、それがファシリテと交わした最期の言葉となった。


 フォルスが再び拠点に戻った時、ファシリテは自害していた。フォルスへ宛てた「あんな奴も本当に救う必要があるのか? そう思ってしまった時点で、私はもう駄目なんだ。救世主なんて目指せない」という遺書だけを残して。



 ◇



 フォルスは怒りと憎しみに身を染めながら「救う必要なんてねえよ」と呟く。そのまま町長の屋敷の扉を容赦なく破壊し、声が枯れる程に叫んだ。


「だからって、お前が……お前が死ぬ必要もなかっただろうがッ!」

「ひ、ひぃっ!?」


 瞬間、フォルスの心中に真っ黒な感情が渦巻く。それに従うように、相棒と共に夢見た事は全て忘れ、フォルスは町長を容赦なく殺した。



 そのままフォルスは呼び寄せられるようにセリの家族が巻き込まれた惨劇の場所へ足を運び、神力石の欠片に魅せられる。欠片の力によって負の感情が増幅されたフォルスは、昔とは人が豹変したように、大切な仲間たちを蔑ろにした役人や一部の街の人を殺し――街の支配を始めた。



 ◇



「お前を見てると、本当……昔の自分を思い出して苛立つ」


 全てを救うと意気込んでいた、希望に溢れていた頃の自分。その時の自分と亡き相棒が、太一と氷華が重なり――フォルスはより一層、眉間に皺を寄せていた。


 自分は悪党に対して救う価値がないと失望し、信念を諦めた。自ら悪党に堕ちた。だが目の前の氷華は、悪党である自分に対して「救いたかった」とまで言い出し、涙を流す程のお人好しだ。


 ――こいつとあの剣士が本当に救いようのない悪党と対峙した時……どうするんだろうな。俺たちと同じように歪むのか、否か。


 心の片隅でどこか期待している自分に気付き、フォルスは自嘲気味にふっと口元を吊り上げた。するとフォルスの身体は徐々に淡い光を纏いながら消え始める。それに気付いた氷華はフォルスへ手を伸ばすが、それは虚しく空を切った。


「――っと、もう時間か」

「フォルスッ!」

「お前、いつまでもそんな顔してっと呪い殺すぞ。“こっち側”に引き摺り込んでやろうか?」


 まるで憑き物が落ちたようで、口調は対して変わらないが――何だか穏やかになったフォルスを前に、氷華は「自分はこの人になら殺されても構わない」とさえ感じていた。しかし、そんな事を口にした途端、またフォルスに怒られてしまうだろう。もしかしたら本当に呪い殺されるかもしれない。


「お前等は俺たちみてえに堕ちんな。本当に救いたいものは何か、それをはっきりしとけ」

「本当に、救いたいもの……」

「壊れる時ってのは大抵、何でも一瞬で壊れる。いざって時に迷ってると、本当に取り返しがつかねえからな」


 ――太一は救世主の意味を探し続けると言っていた。それを見つけた時、全てを救えるような救世主になれるんじゃないかって。


 氷華は静かに決意したように「私は」と口を開く。


「はっきりとはわからないけれど……救世主って人それぞれだと思うの。だから、太一が考える救世主と私が考える救世主は、たぶん違う。きっとフォルスが考える救世主も。昔、正義は人の数だけあるって教えてもらった。だから、それと同じ。救世主も人の数だけある」

「……ああ」

「今はまだ答えを出せない。でも時間は待ってくれない。立ち止まって悩んでる暇もない。だから今は……一先ずは、目の前の人を救えるような救世主を目指して頑張る。救えなかった人たちを背負いながら、仲間と一緒に前へ進み続ける」


 氷華はごしごしと目元を擦り、不格好だったが、今できる精一杯の笑顔をフォルスに向ける。その言葉を聞いて、フォルスは「ああ、その面だ」と満足そうな笑みを浮かべていた。


「これから先、お前等の旅の結末がどんなに苦しいものでも、悲惨な過去や未来に直面しても、残酷な真実が待ち受けていても……お前が護り通せよ。お前の大切なものを。お前自身の決意を」

「わかったよ。……ありがとう、フォルス」

「“こっち側”で、俺の相棒と一緒に待っててやるぜ。氷華」


 そして、フォルスは光に溶けるように消してしまった。同時に氷華の身体も輝き出し、ドクンと鼓動が高鳴る。何か温かな力が込み上げ、まるでフォルスが力を貸してくれたように錯覚した。


「お前等二人なら、なれるかもな……俺たちが憧れた……全てを救う救世主に」


 ――今そっちに逝くよ、ファシー……。


 フォルスの言葉を聞きながら、氷華はぎゅっと拳を握り――静かに目を閉じる。


「時間はかかるかもしれないけど、いつかなってみせる」



 ガバリと氷華はベッドから飛び上がり、「夢……?」と呟き周囲を見回した。そこは紛れもなく見慣れた自分の部屋で、氷華は「夢だけど、夢じゃないみたいだった」と声を漏らす。


「私、何があっても護ってみせるよ……大切なものを。だから、見守っててね」


 既に朝日は昇っていた。

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