第27話


 これは悪夢だ!

 ミラはそう思った。思ったところで夢は覚めない。

 覚めるはずがなかった。事実がそこにあった。

『我が同士よ、復讐は遂げられた。おかげで安らかに眠れるぞ』

 頭に亡霊の声が響いてくる。

 ミラは、ここにきてはじめて、亡霊に利用されたことに気がついた。しかも、取り返しのつかないことをしでかしてしまったのだ。

 頭上からばらばらと何かが落ちてくる。見あげると、子供たちを封じ込めていた宝玉が、パリンとはじけて落ちてきているのだ。

 ミラの耳に、宝玉がはじけるたびに、子供たちの断末魔の声が響く。天井の張り巡らされた枝に、悲鳴は木霊して止むことはなかった。

 落ちてきている破片は……青く透き通った水晶だった。


 グリンティアの秘密が解けた。

 しかし、それはミラにとっては、すでに何の意味もないことだった。

 彼女はこの森そのものだった。この森を夢見て眠る母。すべてを育む者。

 そして、シルヴァーンは森を侵入者から守っていたのだ。この森を維持するため、グリンティアの夢を壊さないために。

 今、次々と死んでいく子供たちは、シルヴァーンの妹や弟たちである。シルヴァーンの孤独な務めは、子供たちを守ることでもあった。


 一族を守る。

 母を、そしてこの世界を守る。


 愚かだった。

 父に代わって引き継いだ務めを、シルヴァーンが捨てられるはずはなかったのだ。それだけ、彼の背負っていたものは重たかった。

 ミラは、この美しい世界の破壊者となった。

 禁断の森に侵入し、母なる木に触れ、グリンティアの眠りを覚ましてしまったのだ。

 夢から覚めたとたん、グリンティアは、自らの体の一部でもある巨木に押しつぶされて、何もわからぬままに命を落としてしまった。

 今度はミラが悲鳴をあげた。

 泣き叫ぶミラの上に、次から次へと、青水晶が降りしきった。


 背後で、森が苦しみもだえている音を聞きながら、ミラは呆然と水晶の欠片を拾った。

 これほどまでの危険を冒して、冷たくありながらもグリンティアが自分を許していたことが、ミラには痛かった。彼女は予兆し、何度も警告していたのに……。


 どうして、シルヴァーンは私の命など、救ってしまったのだろう?

 どうして……。

 死ねばよかった。

 あそこで死んでいたら、こんなことにはならなかった。


 自分が犯したあまりに大きい罪に、シルヴァーンが苦しむだろう姿に、もう耐えることはできなかった。

 死をもって償おう……。そう思った。

 ミラは、水晶の鋭利な部分を手首に当てた。

 もう、背後の声は聞こえない。自分もその苦しみの中にいて、すでに痛感もない。

 助けてもらった恩を仇で返した命が憎かった。

 涙で潤んだ瞳を閉じると、力いっぱい水晶をひこうとした。


 ――ミラ!


 声がした。一瞬、ミラの手は止まり、目は開かれた。

 シルヴァーンの声だ。心臓が高鳴る。

 しかし、会いたいと思わなかった。それどころか、顔を見られる前に死んでしまいたいと願った。

 もう、あわせる顔などないのだ。許されるはずがない。

 再び水晶を手首に当てた。

 今度こそ死を! そう思ったとたん、手の中で砕けるはずのない水晶が、砕けて散った。

 死にそびれて、ミラは唖然とした。

 しかし、次にむらむらと湧いてきた感情は、亡霊に対する憎しみだった。

 死人に騙されて、このような結末に至った自分が情けないが、追いやった亡霊のみが昇天するとは許しがたい。

 恨みという負の感情が、ミラの中にわずかに残っていた生きる力を奮い立たせた。

 ミラは杖を握りしめると、崩壊し始めたのその場所を抜け、亡霊の待つ森の小道へと向かった。

 森の木々の根は、母なる木にすべて繋がっていた。

 木々はすべて身をもだえるようにしてねじり、みしりと音を立て、時に甲高い音をたてて真二つに割れた。木の葉はすべて枯れ落ちて、風に舞い、からからと悪魔のような笑い声を上げている。

 その中を、ミラは走った。


 亡霊は、すでに頭蓋骨のみを残して、あとは灰と化していた。

 そのままにしておけばすべてが灰と化し、ミラが叩き潰しても昇天するのみだ。どちらにしても、亡霊の望みは叶う。そう思うと、ミラはますます亡霊が憎かった。

「よくも私を騙したわね!」

 ミラが怒りのままに杖を構えると、頭蓋骨はからからと笑った。

『騙すとは心外だな。これは正式な取引だ』

 ミラはぐっと息を呑んだ。

 確かに、シルヴァーンへの思いのために、死人と取引をするなどというとんでもない過ちを犯したのだ。愛を欲するがゆえに盲目となったのは、間違いなく自分だ。

『この取引は、おまえに恵みという余剰まで与えたぞ』

「何?」

 ミラに苦しみと絶望以外の余剰はなかった。

『感謝したまえ、水晶がたくさん手に入っただろう?』

 ミラの手は震えた。何と低俗な男なのだろう!

 思い出した。亡霊ははじめてあった時、何と言った?


 ――同士よ、おまえも水晶が目的だったのだろう? 


「おまえは水晶泥棒?」

 頭蓋骨となった亡霊は、どのような表情を作ったのかわからない。だが、明らかに肯定の笑みを浮かべたのだろう。

『一世一代の大仕事だった。一角獣を殺し、森の奥にある巨木までたどり着き、あと一歩というところで一攫千金だったのに。やつらに、なぶり殺しにされた。殺された場所に心臓は残され、体は森の別の場所に埋められ、我は行き場なくさ迷った。恨みと憎しみのみを友にしてだ。冷たく長い年月だったが、解放してくれて感謝を言うぞ』

 ミラはすぐにでも頭蓋骨を叩き割りたかった。

 が、もうひとつだけ知りたいことがある。

「シルヴァーンの父親を殺したのも……おまえ?」

 からからと高らかな音をたて、頭蓋骨は震えた。そして、ミラの一撃を待たずして灰と化した。

『言わずもがな……』

 最期の言葉が風に舞った。

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