第23話


 村の入り口で、エルヴィルがにやにやとしながら、二人を待ち伏せていた。

「水浴びは楽しそうだったな」

 いきなりの一言に、ミラは驚いて目を丸くした。

「エルヴィル……」

 その言葉をまるっきり無視して、シルヴァーンはエルヴィルの肩を掴み、名を呼んだ。

 なにやら真剣な話をはじめて、ミラは無視された。会話の聞こえない距離まで離れていなかったが、途中、二人の会話は心話となって、音にならなかった。

 ミラに聞かれないためだろうか? それとも、純血種は話に夢中になると、お互いを読みあってしまうのだろうか? ミラは不安になった。

 向き合って話す二人は、鏡写しのように良く似ている。やや、シルヴァーンのほうが小柄で線が細いくらいだ。銀の髪も水色の瞳も、同族をよくあらわしている。

 やがて、エルヴィルがシルヴァーンの肩を抱くようにして引き寄せ、うなずいた。

 先ほどのどこかいやらしい笑いは、エルヴィルからは消えていた。彼は、ミラに軽く微笑むと、村の奥へと消えていった。


「何を話していたの?」

 ミラは、不安のままに聞いた。

「彼は、明日立つ。あなたのことをお願いした。ミラ」

 シルヴァーンの言葉に、ミラは一瞬息を止めた。昨夜の実にならない会話から、いつかはここを去れと言われるだろうことを、ミラはうすうす感じてはいた。

 でも、それが今すぐでなくてもいいではないか?

「ここは人里から離れすぎている。いくら歩けるようになったといっても、女の足では無理がある。それに、私もグリンティアも、あなたを街までは送ることができません。エルヴィルにあなたを託すしかない」

「でも、私は……」

「エルヴィルが去ってしまったら、あなたは一座に戻ってともに動くしか方法はない。彼らは、しつこくも時々このあたりを探りにきている」

 ミラはうつむいた。あまりにも甘美な夢を見たあとだった。

「私、あなたと一緒にいることはできない?」

「ここにいても夢は叶いません。あなたの夢は、誰か私ではない別の人と見なければ……」

 信じられなかった。

 ミラは思わずシルヴァーンの顔を凝視したが、彼は無表情のままだった。

「わ……私が、別の男のものになっても平気なの? エルヴィルに抱かれてもあなたは平気なの!」

 瞳が一瞬光ったが、彼は表情を変えなかった。

「エルヴィルはあなたを抱かない。彼もやがて時を終え、守るべき森をもつこととなるから」

 守るべき森、それはシルヴァーンにとって、ミラのことではない。

「私が守るべきは我がグリンティア。あなたの夢は摘み取るしかない」

 その一言に、ミラはとどめを刺されて絶句した。



 自由に動き回れるミラは、この村に置けない。

 というのが、グリンティアたちと客人たちの一致した考えだった。

 そう伝える優しいグリンティアの言葉に、ミラはこくりとうなずくしかなかった。

 シルヴァーンの考えも、常に終始一貫している。

 いつかはミラを自国へ戻すつもりだった。ミラの気持ちになど動かされることなく、彼はミラではなくグリンティアを選び続ける。

「……淋しくなるわ……」

 そう呟いた優しいグリンティアの心は、本心なのか、慰めなのか、ミラにはわからない。

 客人たちはさらに西の地を目指し、そこに新しい生活の場を作るのだという。しかし、まだ時に猶予ある者は、エーデムへ、ウーレンへ、そしてリューマの地に戻ってゆく。自由を満喫するために。

 そしてエルヴィルもリューマへと戻るのだ。

 旅路は長くなるだろう。リューについたならば、その地でエルヴィルが仕事を探してくれることになっている。

 エルヴィルが用意したリューマ風の服は、ミラがかつて着ていたような、木綿の安っぽい服だった。ミラは、シルヴァーンが着せてくれた白い服を脱ぐ。旅に絹は向かないだろう。

 底のしっかりしたブーツを履き、紐を編み上げながら横目でシルヴァーンを見ても、彼は目をそらしたままだった。そして、気まずそうに部屋を出てゆく。

 旅立ちは近い。別れが迫る。

 冷たいグリンティアも、ミラと視線を合わせない。彼女は最後まで冷めている。

 それに比べて、小さなグリンティアは、別れを惜しんで泣いてくれた。優しいグリンティアは、旅の口糧を整えてくれた。

 本当のグリンティアは、この森のどこかで眠っているのだ。

 彼女はいったい何を感じているのだろう?

 自分の分身たちがこのように様々な反応を示している。

 やっと安心できると思っているのか、それとも、泣いてくれているのか……。

 そのようなことを考えていると、窓辺でたたずんでいた冷たいグリンティアが口を開いた。

「本当の私は悲しんでいる。あなたが私の子だったならば、同族で結ばれる我らの慣例に従って、我がシルヴァーンとともに生きることができたのに」

 靴紐を結んでいる手の甲に、ぽろリと涙がこぼれた。

 ミラは涙をぽろぽろこぼしながら、冷たいグリンティアを見上げたが、彼女はやはり視線をそらして遠くを見たままだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る