第6話


 日を重ねた。

 いや、日を重ねていることが、数えられるようになったというべきか……。

 胸の傷は消えることはなかったが、すでに包帯を必要としなかった。ひきつった星のような傷は時々痛んだが、すでに薬も不要だった。

 シルヴァーンが出かけてしまうと、日々、村の女たちが交代でミラの様子を見張りにくる。ある時は、あのグリンティアだったり、小さな少女だったり、ミラとそれほど変わらない年齢の女だったりする。

 この村はみな、血縁なのか? と思われるほど、彼女たちはよく似ていた。純血種だからなのだろうか? だが、ウーレンやエーデムなど、純血種の国にも行ったことのあるミラには、やはり血が近いのだとしか思えなかった。

 名を聞くと、ある者は「名乗る名がない」と言い、別の者は「よそから来た人は知るべきことではない」という。

 木の葉をちらつかせたあの小さな少女だけが名乗った。

「グリンティアよ」

「グリンティア?」

 それは、この村に来て初めてあった冷たい瞳の少女と同じ名前だ。

「それは……一族の姓なの?」

「知るべきことではないわ。でも、私はグリンティアよ」

 ミラはかすかなため息をつく。

 

 この村の人々は、誰一人としてミラに余計な話をしないし、シルヴァーンさえも、ほとんど口をきくことはない。

 ミラは、出会った人すべてに自分の名前を名乗っている。しかし、誰も……シルヴァーンすらも、ミラを【よその人】と呼び、名を呼ばなかった。

 同じ年頃の女性は、やはりレースを編んだりして時間をつぶしているが、時々微笑んでくれる優しさがあった。

 彼女の瞳も青かったが、冷たくはない。だが、友達になれそうだ……と思ったのはつかの間で、彼女は一番口が堅かった。

「よその方に名乗る名前も、語るべきこともここにはありません」

 微笑だけが奇妙なほどに美しいので、ミラはますます落ち込んだ。

 体の調子はよくなりつつあるが、逆に自分はだんだんと薄っぺらくなっていくような気がする。

 体が良くなった分、余計に寂しさを感じてしまう。


 夜、ミラはついに行動に出た。

 いてもたってもいられずに、食事を出すシルヴァーンを呼び止めて、質問を浴びせた。

「ここはどこです? あなたはなぜ私を助けたの? 私はいったい……?」

 しかし、彼の瞳はいつも冷たい。そして答えはいつも同じだった。

「早くよくなり、ここを出て行くことだけを考えなさい」

 取り付く島もない。ミラは切なさに震える。

 きりりと痛む胸元に手を当てたまま、そこから声を絞り出す。

「……あなたのことを知ってはいけないのですか? ありがたいとも思ってはいけないのですか?」

 彼は何も答えずに、一瞥だけを投げて部屋を出て行ってしまった。

そして……自分で身を起こせるようになったミラに、彼は触れることもない。

 ミラは震える肩を自ら抱きしめて、まるで塔に囚われた孤独の姫君のように、一晩中泣いた。



 丸天井を透過してふりそそぐ光の中、椅子にちょこんと座ってレース編みしている小さなグリンティアは、まるでお人形のように可憐だった。

 この子が一番話しやすそうだと感じ、ミラは思い切って話しかけた。

「あの……私は少し歩きたいのだけど……」

 少女は、その言葉の意味がわからずに、きょとんとしている。

「私……ここを出て行くにしても、体力をつけなきゃならないの」

 村の様子を見てみたい、外の空気に触れてみたい……と言ったところで無理だと感じ、ミラは少しだけ頭をひねった。このお願いならば、断られるはずはないだろう。

 少女は少し躊躇したが、椅子から飛び降りると外に飛び出して行った。ミラががっかりしたところで、なにやら棒を持ってきてミラに渡した。

「私は支えにはならないわ。自分で歩くこと、むやみに人に話し掛けないこと、勝手にどこにも行かないこと。それが守れるわね?」

 まるで年上であるかのように、小さなグリンティアは言い含めた。

 ミラは大きく頷くと、杖代わりの棒を受け取った。


 かすかにめまいがする。

 長い間、病床にあるということは、体をそれだけで弱めてしまうのだ。

 血が逆流し、心臓が激しく打つ。ちくりちくりと、胸が痛む。

 初めて扉を開け、外に出てみる。

 森の圧された空気が、鼻をくすぐった。木漏れ日がキラキラと輝き、眩しさにミラはよろめいた。

 しかし、グリンティアは支えようともせず、小屋の戸口の階段を飛び降りて、よろよろと歩くミラを待っていた。

 足がうまくつかない。あの時、ひねったまま、おかしな状態で固まってしまったのだろう。踊りはもう踊れそうにない。

 それでもひさしぶりの外が気持ちよかった。

 棒に体を預けながら、ミラは一歩一歩、ゆっくりと階段を下りた。


 村は静かだった。

 誰も人がいないかのようにひっそりとしている。

 何件か立ち並ぶ小屋は、すべて同じような形をしていて、木々を折り合わせたような細工の壁、そして屋根を持っていた。そして、自分が療養していた小屋も、まったく同じ造りだった。

 この村には、金持ちとか貧乏とか、そういうものはないらしい。皆、同じような生活をしているに違いない。

 派手さはないが、貧乏臭くもない。生活臭がしない。

 あまりにも不思議な空気だ。よくいえば癒される……悪くいえば麻痺させられるような、気が遠くなるような心地よさだった。

 まるで、絵の中に迷い込んだような感覚に、ミラは引き込まれていった。

 ゆっくりと、感覚のない足を引きずりながら、歩き回った。どこかに、生活の雑多さを見いだしたかったのだが、どこにも見当たらなかった。

 ひとつの小屋から桶を持った少女が現れた。冷たい目をしたグリンティアだった。

 どうやら、村の中央部にある井戸に、水を汲みに出たところらしい。その姿を見つけると、小さなグリンティアが服の裾を翻しながら駆け寄っていった。

 何やら真剣な話を交わしているが、ミラには聞き取ろうにも近寄ることすら困難だった。

 久しぶりに立つと、ここまで体がだるく、不安定なものなのか? と、ミラは自分の体を信じがたく思う。

 小さなグリンティアはいさめられたのか、小さく下を向いている。並んでいると、やはり姉妹なのだと思われた。よく似ている。

 やっと近くまでたどり着いたミラに、冷たい目のグリンティアは、さらに冷たい目をもって答えた。

「おまえは我がシルヴァーンに悪夢をもたらす。歩けるならば、そのまま去るがよい。私が村境まで案内しよう」

 いきなり言われて、ミラは驚いた。

 確かに出て行かなければと思っている。でも、まだ一人では満足に歩けない。

 一角獣に襲われたら、今度こそ死ぬ。いや、襲われなくても人のいるところまでたどり着けないだろう。もちろん、リューマの一座が座長殺しの罪人を探してうろついているならば、すぐにミラを見つけてくれるだろうから、話は別だが。

 それに、命を救ってくれたシルヴァーンに、挨拶もせずに村を発つわけにはいかない。

「……まって、私は……」

 ミラの言葉など、グリンティアは聞かない。

「挨拶は不要だ。誰もそれを無礼とは思わない」

 誰も……。

 ミラはすっかり打ちひしがれた。確かにシルヴァーンは、自分のことなど眼中にはないだろう。いくらミラが気にかけても、迷惑にすら思っているのだろう。

 死にかけていたから、義務的に助け――それも奇妙な話だが――あとは勝手に巣立っていけと言わんばかりだった。

「早く去ることだ」

 シルヴァーンの言葉が頭の中で木霊して、ミラの胸を空虚にする。あまりにも切な過ぎる。ミラはグリンティアに従うしかないと悟った。

 その様子を見て、冷たい目のグリンティアは、桶を小さなグリンティアに託すと、おいでと言わんばかりに顎で合図して、すたすたと歩き出してしまった。

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