第4話
朝の点呼の後、守備隊の諸業務をタバークル准尉に任せると、フランソアとジェスタス少尉は二人の兵卒を連れて、河を遡るインディオの舟を二艘雇った。二人の士官は別々の舟に乗り込んでいくこととなった。彼らが雇ったインディオたちは普段は漁師をして暮らしているのだが、タバチェンゴから半径五十マイルの支流のことなら何でも知り尽くしていた。舟は大きな蓮の生える池のように静かな河を分け入り、対岸の巨大樹に寄りかかった巨大な倒木の下をくぐり抜け、両岸から密度の高い緑樹を迫らせて人間の上陸を許さない岸辺のそばを通り過ぎた。幅の広い支流に合流し、陸から隔絶された島々にはスペイン苔を枝から垂らした幽霊のような樹が立ち、岸辺では鰐が日向ぼっこをしていた。白い花をつけた樹の幻想的な拱廊を通ったかと思えば、空をつかみ取ろうと高々と幹を伸ばした椰子の群生地に出くわしたりした。この手の椰子の樹はピエーテルバルクやセント・アリシアにも見られるもので、ヨーロッパの作家なり学者なりが植民地を訪れ、そのときの体験を帰国後に発表するとき、必ずこの椰子の樹がとても高いことについて述べる。それに椰子の実のジュースのうまいことも著述されるが、年に一度、落下してきた椰子の実に額を割られて死ぬものが必ずいることはなぜか丁重に無視される。
蛇行した河を根気よく遡り、インディオたちが〈死の水〉と恐れている黒い 水を湛えた支流のそばを抜けて、いくつもの漁村や農村、それに農園や交易所を通り過ぎて、ようやく最前線の監視所についた。十字型の丸太作りの砦で五十以上の銃眼があらゆる方向に向けて作られていた。逆茂木を放り込んだ堀と巻き上げ式の橋があり、士官も兵卒もこの十字型砦で寝食をともにした。調理用のストーブで釣った魚や干し肉、豆の煮込みをつくった。材料が揃えばコーンブレッドもつくった。
この監視ポストの主な仕事は空飛ぶ宝石の異名をとる妖精たちを捕らえにいく無鉄砲な連中に引き返すよう促すことだった。
「で、連中のうち、戻ってきたのは?」フランソアがたずねた。
「一人も戻って来やしません。食事がいけないんですね。粗糖と焼酎、干し肉ばかりの食事をとっていれば誰だってあそこまで無謀になれます。案内役のインディオをつけずに奥地へ行った連中もいるくらいです。でも、あんな馬鹿たちでも人喰い族に捕まって、晩のディナーにされたと思うと流石に心が痛みますね」監視所指揮官のレルー少尉が答えた。「まあ、わたしが思うに妖精たちの集落はここから十マイル以内の場所に必ずあります。それも結構な規模のです。見つければ金鉱みたいなものです。一攫千金を夢見る連中がドッとノヴァ・アルカディア植民地に集まってくるでしょう。妖精は死なないから事実上宝石と同様の扱いで取引できる。山師たち垂涎の金のなる木ですよ」
ジェスタス少尉は少し考えながら、あちこちの銃眼を覗いてみたり、守備隊の兵士と話したりした後、レルー少尉に質問した。
「もし、本当に妖精がいて、それを持ち帰ったものがいたら?」
「さっきも言ったとおり、ゴールドラッシュのように人が押し寄せてくる」
「でも、不帰順インディオは? 彼らが妖精狩りを許すとは到底思えないんですけど」
「ああ、そういうことか。不帰順インディオの討伐隊が編成されるかどうかは政府の具合によるな。妖精は儲かるのは間違いないし、一度やってきた山師たちがそのまま居ついて、都市が成長するかもしれない。セント・アリシアがパラやカイエンヌくらいの都市になることだって夢じゃなくなる。それにゴムの木。奥地では結構見つかっているという話だ。政府がもし妖精とゴムの採取のために本気を出したら、おそらくおびただしい流血は避けられない。不帰順インディオたちは必ず抵抗するのは分かっている」
「ぼくらは矢面に立たされるわけだ」フランソアはそう言って、上流を臨める銃眼に顔を寄せた。赤い泥の河が流れていて、淵でできた泡がくるくるまわりながらパチンパチンとはじけている。銃眼は対岸の先から根元まで全て射程に収めていて、不帰順インディオが吹き矢を手に姿を見せたら、即座に発砲することになっていた。だが、この監視ポスト周辺に不帰順インディオが姿を見せたことは一度もなかった。三年前、不帰順インディオの子どもが雨季で増水した河を流れてきたが、どうやら溺れているらしく、水面でジタバタしているうちに淵に巻き込まれた。デタラメに手を動かしながら、空気を求めてもがいたが、結局はそのまま水のなかに引きずり込まれて見えなくなり、そのうちぴくりともせずに背中を上に向けた少年が頭をがっくりと水のなかに浸けて、そのまま赤い泥の流れへと吐き出され、勢いのある水の勾配の向こうへと流れ去っていった。
タバチェンゴの士官用宿舎に帰ってから、ジェスタス少尉は暑さで蒸れた自慢の尻尾に空気を送るようにして従卒の起こす風に当たっていた。南アメリカの大河は人が住めない環境だというが、思ったよりも多くの人間がこの河にかじりつくようにして生きていた。インディオはもちろんのこと、人間や人狼、蜥蜴人、猫のイエズス会士などの住民のほかにタバチェンゴから遡った河岸にも交易所や漁村があった。
大農園の原始の姿も見た。一人の男が絡まりあう固い蔦の壁を前にして、密林の王にならんと決意して鉈をふるっていた。彼の味方は鉈、若さ、家族、カカオの苗、国有地払い下げの権利書、当座しのぎの小さな椰子の葉葺きの小屋、そして密林に己の腕で立ち向かおうとする精神であり、味方とともに彼は孤独と毒蛇、羽虫、疫病、そして盗賊やインディオと戦いながら、森を切り開かなければならなかった。だが、その報酬は莫大なものになる。どこまでも広がる〈彼の〉カカオの木であり、白い宮殿であり、その姿を見れば誰もが帽子を取って頭を下げる奴隷や小作農たちがいる。彼は君臨者になれるのだ。
白い宮殿を夢見て鉈を振るう男たちと平らな鍋を火にかけて、キャッサバの炒め粉でパンケーキを作る女たち。あらゆる種族が同じ夢を見て、密林に噛みつき、そのうちの大半が逆に密林の噛みつき返されて飲み込まれ、その後、その存在を誰にも省みられることはなくなるというわけだ。
それを言うならタバチェンゴだってヨーロッパから忘れ去られているじゃないか――と、ジェスタス少尉は思った。
そのとき、自分が犬のように舌を出してハアハアと息をしていることに気づいた。少尉は恥ずかしくなり、天井の布を左右に動かす紐を必死に引っぱっている従卒のほうを見た。紐を引っぱっては戻す、引っぱっては戻すという単純な作業で従卒はまわりの出来事への関心を失っているようだった。
「ご苦労だった」少尉は言った。「戻ってよろしい」
従卒はふらふらになっていたが、何とか敬礼し、自分の寝台に戻るとどさりと倒れこんだ。
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