ハレム!ハレム!ハレム!
大竹久和
第一幕
第一幕
頭上後方から、大型旅客機が離陸する際のごうごうと言うジェットエンジンの唸り声が聞こえて来るのと同時に、滑走路とターミナルビルとを隔てる窓ガラスがびりびりと震える。果たして今しがた飛び立ったのは、俺がここまで乗って来るのに利用したのと同じ旅客機だろうか。仮にそうだとしたら、俺はもう飛行機一本分の待機時間と同じだけ、この長い長い人の列に並ばされている事になる。
ここはトルコ共和国最大の都市イスタンブールの南西部に位置するアタテュルク国際空港の、入国ゲート前。その入国ゲート前に並ぶ入国審査を待つ人々の列に並んで待機しながら、俺は自分のパスポートをそっと確認した。パスポートに記載された俺の名は、
「次の人、どうぞ」
やがて順番が来て呼ばれたので、俺は入国審査を行う審査官の前に立った。そして菊花紋章が印刷された赤褐色の日本国のパスポートと、事前に必要事項を記入してあった入国カードをそっと差し出す。
「入国の目的は?」
「観光です」
いかにも現地人らしい肌の浅黒い中東系の入国審査官が鋭い目付きでもってこちらをじろじろと見据えながら英語で尋ねて来たので、俺もまた英語で素直に答えた。
「滞在期間は?」
「二週間ほど」
厳密な滞在期間は定まっていないのだが、大体の予定を伝えて、様子をみる。すると入国審査官はちょっとだけ考えあぐねてから、パスポートを返してくれた。
「ごゆっくり。トルコを楽しみなさい」
「ありがとう」
パスポートを受け取った俺はホッと安堵の溜息を漏らして胸を撫で下ろしながら入国審査の列から離れると、晴れて一介の自由人として空港のターミナルビルの中を自由に歩き回る。こう言う時、先進国であり平和主義国家である我が祖国日本のパスポートは実に頼りになる存在なのだから、これを利用しない手は無い。
「さて、と」
とにかく一仕事終えたら、無性に腹が減った。長距離路線ではなかったからトルコ航空の旅客機の中では機内食も出なかったし、もう夕暮れ時で窓の外も宵闇に包まれつつあるのだから、そろそろ晩飯を食べる頃合に違いない。そこでとりあえず空港のターミナルビル内のフードコートをうろうろしていると、世界中のどこの都市でも見かける、アメリカ資本のファストフードチェーンであるバーガーキングの店舗が眼に留まる。
「ハンバーガーか……。まあ、今日のところはここでいいか」
出来る事ならば味が均一化された海外資本のファストフード店ではなく現地トルコの名産品を高級レストランで食べたい気もしたが、そこはそれ、俺はしがないバックパッカーの貧乏旅行人だ。この際、バブル期のツアーの観光客の様な贅沢は言っていられないし、安価に腹が満たせればそれに越した事は無い。
「キョフテバーガー二つと、オニオンリングフライ。それにコーラのLサイズ」
バーガーキングのカウンター越しにそう言って注文した『キョフテバーガー』とやらは初めて眼にするメニューで、どうやらトルコ共和国のローカルメニューらしいが、出て来たのは意外にもパテが四角いだけで普通のハンバーガーとそれほど大差は無かった。そこでむしゃむしゃと食んでみればやはり味付けが中東風でスパイスが効いている点以外には一般的な挽肉のハンバーガーと大差は無く、それなりに美味しくはあったが、もっとエスニックで独創的な料理を期待していた身としては少し物足りない。
「げっぷ」
まあ何にせよ、腹は膨れた。そこで人心地付いた俺はコーラを啜りながら、財布の中身を確認する。
「もう残りはこれっぽっちと……」
財布の中の紙幣の束を取り出して数えてみれば、残りは日本円に換算して、およそ二十万円程度。この貧乏旅行に出立した際に必死で掻き集めた軍資金も、いつの間にやら最盛期の一割程度にまで減ってしまったと言う計算になり、つまりそれは旅の終わりが近い事を示唆していた。
「もう潮時か……。そろそろ日本に帰る準備を始めないとな。とりあえずはここから東南アジアをぐるっと回って、最終的には台湾から日本に入国するか」
そう独り言ちた俺は溜息を漏らすと、視線を巡らせて周囲をぐるりと見渡す。ここアタテュルク国際空港はアジアとヨーロッパが交差するトルコ共和国最大の空港なので、当然ながらターミナルビルの中は多くの人で賑わっており、がやがやと言った喧騒を生み出している人種や国籍も様々だ。事実フードコートの一角でコーラを啜っている俺の周囲も大きな荷物を抱えて歩く旅行客で溢れ返っているし、現地トルコやその周辺諸国から来た中東系のアジア人のみならず、ヨーロッパやアフリカから来たと思われる白人や黒人の利用者も数多い。また同時に、昨日まで滞在していた北欧とは違って、イスラーム教徒らしき頭にターバンを巻いた男性やブルカで顔を隠した女性の姿も数多く確認出来る。
「さて、と」
やがてコーラの最後の一口を飲み干した俺は、フードコートの席を立った。そして空き容器やトレイを片付けていると不意に膀胱を尿意が襲い、ぶるっと背筋が震える。
「やっぱり、無理しないでMサイズにしておけば良かったか」
冷たいコーラを飲み過ぎたせいで腹を冷やしてしまった事を後悔するも、今となっては詮無い事だ。そこで唯一の荷物である大きな軍用バックパックを背負った俺は空港内をうろうろと歩き回りながら、用を足すためのトイレを探す。
「トイレトイレっと……。ああ、あったあった」
ものの数分も歩き回らない内に、俺はスターバックスコーヒーの店舗の裏手にトイレの看板を発見した。しかしよく見れば、男子トイレの入り口の前に二つの大きな人影が立っている事にも気付き、またその二人組がトイレに入って行く人全てを呼び止めていたので首を傾げる。
「?」
日本でならともかく、海外では公共施設のトイレの入り口の前に人が立っていて利用者を呼び止める事は、さほど珍しくもない。そう言った人は大抵の場合、利用者から利用料を徴収するトイレの管理人か、利用者にトイレットペーパーを売って生計を立てている低所得者だ。しかしそれら管理人や低所得者の殆どが第一線の職場を退いた年金暮らしの高齢者であるのに対して、今俺の視線の先に立っている二人組は、仕立ての良い黒いスーツに身を包んでサングラスを掛けた若い大男達である。
ちなみにどのくらいの大男かと言うと、俺の身長が185cmで日本人としてはかなり大柄な部類の筈なのだが、彼らはそんな俺よりも更に一回り以上も背が高い。しかも胸板は厚くて肩周りもがっしりしており、腕も脚も丸太の様に野太くて、まるでプロレスラーか相撲の力士の様だ。まあ要は、明らかに
「おっと、お先にどうぞ」
すると首を傾げている俺のすぐ隣を、ブルカと呼ばれる布の装束を頭からすっぽりと被って大きなスーツケースを持ったイスラーム教徒の女性旅行客の一団がぞろぞろと無言のまま通り過ぎようとしたので、俺は脇に避けて道を譲った。そしてその女性旅行客の一団はぞろぞろと連なったまま、男子トイレの隣の女子トイレの中へと姿を消す。多分彼女らはこれから執り行われる長時間のフライトに備えて、今の内にゆっくりと用を足しておこうと言う魂胆なのだろう。ちなみに女子トイレの入り口の前には、特に黒スーツの男などは立っていない。
「失礼。トイレに入るのでしたら、その前にボディチェックをさせていただきます」
「はあ」
改めて男子トイレに入ろうとすると黒スーツの男の一人がボディチェックを受けるように要請して来たので、俺は素直に従う。正直言って、正当な理由も無く赤の他人に身体を触られるのは気分の良いものではないが、ここで無駄な抵抗をしても俺が一方的に損するだけだ。何せ相手は俺よりもずっと大柄だし、腕っ節も強そうだから、いざ喧嘩となったら勝ち目は無い。それに特に
「はい、ありがとうございます。どうぞお入りください」
胸元や腰周りに武器や爆弾を隠し持っていないかの簡単なボディチェックで問題無しとされた俺は、黒スーツの男の一人からトイレの中に入るように促された。そこでようやく男子トイレの中に足を踏み入れると、壁沿いに並んだ小便器の方には誰も居なかったが、反対側の壁沿いに並ぶ大便用の個室の内の一つだけは使用中らしく扉が閉じている。しかもトイレの入り口に立っていたのとはまた別の黒スーツとサングラスの大男が二人、やはりその閉じた扉を左右から挟み込むようにして立ちながら、無言のまま周囲を警戒していた。推測するに、どうやらあの扉の閉じた個室の中で用を足しているどこかの誰かさんが余程の
まあ何にせよ、しがない無職の貧乏バックパッカーに過ぎない俺にはまるで縁の無い世界の話だ。さっさと用を足して、こんな狭くて臭い場所からはとっととおさらばさせてもらおう。
「ふう」
壁沿いに並んだ小便器の一つでじょろじょろと排尿を終えた俺は、背筋をぶるっと震わせた。そしてパンツの中に
「髭も、随分と伸びたな」
洗面台の鏡で自分の顔を
「よく見りゃ、随分と酷いに身なりになったもんだ。せめてここで、髭くらいは剃って行くか」
そう独り言ちた俺が安全剃刀を取り出すために背負ったバックパックを洗面台に下ろそうとした、次の瞬間。眼の前の鏡に映る、ついさっきまで自分が用を足していた小便器が並ぶ壁がドンと言う轟音と共に爆発したかと思えば、粉々になったコンクリートの破片が粉塵となって狭いトイレの中を舞う。
「な、何だ何だ?」
おたおたと泡を食って狼狽しながら振り返ってみれば、小便器が並んでいた側の壁に大きな穴が開き、その穴から幾人もの男達が雄叫びと共に男子トイレの中へと雪崩れ込んで来る光景が眼の前で繰り広げられていた。しかも雪崩れ込んで来た男達はその全てが武装しており、手に手にカラシニコフ式自動小銃を構えている。
「■■■■!」
武装した男達の内のリーダー格と思しき一人が何事かを叫んだが、残念ながらトルコ語だかアラビア語だかの俺の知らない言語だったので、その内容は理解出来ない。しかしその叫びを聞いた他の男達が一斉に自動小銃を乱射し、しかも穴が開いたのとは反対側の壁沿いの個室を警護していた黒スーツの男達がそれに応戦し始めたので、狭い男子トイレの中はやおら戦場と化す。
「ストップ! 糞! ストップだってば! 糞! 何なんだよもう! 止めてくれよ!」
洗面台の前で身を屈めた俺は悪態を吐きながら必死で叫ぶが、そんな俺の叫びはカラシニコフ式自動小銃で武装した男達や、懐から取り出した大口径の拳銃でもって彼らに応戦する黒スーツの男達にはまるで伝わらない。そして男子トイレの中での苛烈極まる銃撃戦が展開される最中で、ずっと閉まっていた大便用の個室の扉がようやく開いたかと思えば、中からトルコの民族衣装であるカフタンに身を包んだ一人の小柄な老人が床を這うようにして飛び出して来た。
「何だよ! 糞! 何だってんだよ!」
洗面台の前で身を屈めてぶるぶると震えながら、俺は状況を整理する。とにかく大便用の個室から這い出して来た老人が何かしらの
以上の事から相対的かつ勧善懲悪的な観点から鑑みれば、老人と黒スーツの男達が善であり、カラシニコフ式自動小銃を構えた武装集団が悪と言う事になる。しかしどちらが善にせよ悪にせよ、今はこの場から一刻も早く退避して、身の安全を確保する事が先決だ。
「糞! 糞! 糞!」
悪態を吐きながら、身を屈めた俺は這うようにして男子トイレからの退避を開始する。するとその間も、武装集団と黒スーツの男達による銃撃戦の流れ弾に被弾した洗面台の鏡が粉々に砕け散ったかと思えば、その破片が俺の頭の上にばらばらと降り注いで来て生きた心地がしない。
「糞!」
再度の悪態と共に、俺はふと背後を振り返る。するとちょうど、黒スーツの男の一人が武装集団が乱射したカラシニコフ式自動小銃の凶弾に倒れ、全身を蜂の巣にされながらトイレの床に崩れ落ちる瞬間だった。冷たいトイレの床に、黒スーツの男の腹に開いた穴から真っ赤な鮮血とピンク色の内臓がボトボトと零れ落ちて、文字通りの血生臭い匂いが辺り一面に充満する。ちなみにもう一人の黒スーツの男は、俺が振り返った時には既に頭の上半分が無くなった状態でぐちゃぐちゃになった脳髄を周囲一帯にぶちまけながら床を転がっており、無残過ぎて見るに耐えない。
つまりこれで、大便用の個室から飛び出して来た老人を守る
ここで俺は、逡巡する。このまま自分一人で急いで逃げ出すか、それとも老人に手を貸して二人一緒に逃げ出すか、どちらの行動を選択して実行に移すかだ。勿論、武装集団と老人の素性も事情も知らない俺には眼の前で繰り広げられている銃撃戦などまるで関係の無い世界の話なのだから、このまま老人を見捨てて自分一人でさっさとこの場から遁走してしまったとしてもそれを責められる謂れは無い。しかし謂れは無くとも、一人の生きた人間、それも老人を見捨てて逃げたとなれば、今後の人生において少しばかり夢見が悪くなる事もまた疑いようの無い事実である。
「ええい! 畜生!」
やがて意を決した俺は、半ばヤケクソ気味に叫びながら立ち上がった。そして腰が抜けてしまったのか男子トイレの床に
「走れ爺さん! 走って逃げるんだ! ほら! 早く立て!」
俺に両脇を抱きかかえられながら、
「げっ!」
脱出してみれば、トイレの入り口に立っていた筈の黒スーツの男二人が既に物言わぬ死体となって、空港の冷たい床に転がっていた。道理で男子トイレ内で自分達が守るべき要人が襲撃されていると言うのに、増援として駆けつけて来ない筈である。また同時に、武装集団の仲間と思しき身なりの男の死体も三つばかり床に転がり、それら計五体の死体の周囲には銃口から紫煙が漂うカラシニコフ式自動小銃や拳銃や空薬莢が転がっていた。これらの事実から導き出される推論として、どうやら男子トイレ内で壁が爆破されたのと同時にこちらでも銃撃戦が繰り広げられた結果、最終的には二つの勢力共々死に絶えたらしい。とにかくこれで、老人を警護していた黒スーツの
「■■■■!」
すると背後の男子トイレの中から、再び俺の知らないトルコ語だかアラビア語だかの叫び声が聞こえて来た。勿論その叫び声の意味はまるで理解出来ないが、少なくとも俺にとって都合の良い内容ではない事だけは理解出来る。きっと俺と老人を「殺せ!」とか「捕まえろ!」とか「追え!」とか、そんな内容に違いない。
「逃げるぞ、爺さん!」
俺は腰が抜けていて今にも倒れそうな老人に発破を掛けながら、トイレからの遁走を再開する。どこを目指して逃げるのが最善の選択なのかは判然としないが、とにかくここでジッとしていては背後から追って来る武装集団にあっけなく鹵獲されて、殺されるなり拉致されるなりいいようにされるばかりだ。
「走れ! 走れ! 走れ!」
抱え上げた老人に尚も発破を掛けるように、また自分自身にも言い聞かせるように大声で叫びながら、俺は駆け出す。すると背後から、武装集団が俺達を追って来る物音と気配をひしひしと感じた。とにかく今は少しでも遠くへ、また空港内を巡回もしくは常駐している警察官なり警備員なりが居る筈の人の多い場所を目指して走らなければならない。
トイレの在ったスターバックスコーヒーの店舗の裏手から、空港のフードコートの中心に向かって走り続ける。しかし痩せて小柄な老人とは言え、一人の人間を抱きかかえたままではまるで速度が出ない。このままではあっと言う間に武装集団に追いつかれてしまう事は、火を見るよりも明らかと言えよう。
「■■■■!」
するとまたしても、背後から武装集団のリーダーと思しき男の叫び声が聞こえて来た。それと同時に、フードコートを死に物狂いで走り続ける俺に向かって、カラシニコフ式自動小銃が乱射される。空港内を轟き渡る銃声と眩いマズルフラッシュに、当然ながらフードコート内は大パニックだ。大きな旅行鞄やカートをその場に残したまま食事を楽しんでいた筈の空港利用者達は右に左に逃げ惑い、助けを求めて金切り声の悲鳴を上げる。勿論それら逃げ惑う人の流れや悲鳴の中心は、武装集団に追われて遁走するこの俺と老人に相違ない。
「!」
そして遂に、軍用バックパックを背負った俺の背中にドンと言う鋭い衝撃が走った。まるで大型トラックに追突でもされたかのように、もしくは屈強なプロレスラーか何かに至近距離から激しく突き飛ばされたかのように、俺の身体は前のめりに突っ伏す格好でもって弾き飛ばされる。この衝撃はつまり、武装集団が放った銃弾の一発が俺の背中に命中した事を意味していた。
「痛え!」
フードコートの床を転がって倒れ伏した俺の顔は、苦痛に歪む。撃たれた傷の深さは未だ分からないが、どうやら即死だけは免れたらしい。
「キミ、大丈夫か?」
抱きかかえた状態から前のめりに倒れ伏した結果として、まるで俺に押し倒されたかのようた体勢でもって床に組み伏せられている老人がそう言いながら、銃撃された俺の身を案じた。そう言えばこの老人と言葉を交わすのは、彼が男子トイレの大便用の個室から転がり出て来て以来、これが初めての事となる。
「……大丈夫……じゃ、ない……」
俺は喉の奥から掠れた声を絞り出し、老人の問いに対して呻くようにそう返答した。幸いにも即死こそしていないが、撃たれた背中の中央付近と、倒れた際に床にしたたかに打ち付けた右の前腕が凄まじく痛い。右腕は多分、骨が折れているのではないかと思う。
だが、いくら背中と腕が痛むからと言って、ここで老人を押し倒したまま床に寝転がっていては駄目だ。こうしている間にもカラシニコフ式自動小銃を手にした武装集団が迫り来つつあるのだから、一刻も早く立ち上がって逃走劇を再開しなければ、今度こそ確実に殺される。
「糞! 糞! 糞!」
悪態を吐きながら、折れていない方の左腕を支えにして俺は何とか立ち上がった。そしてちらりと背後を振り返れば、カラシニコフ式自動小銃の銃口をこちらに向けた武装集団が総勢五名ほど、今まさに発砲せんと引き金に指を掛ける瞬間を眼にする。もう、助かる
「糞……」
死を覚悟した俺はギュッと眼を瞑り、身構えた。そして最後の瞬間が訪れるのを、ジッと待つ。
「■■!」
次の瞬間、やはり俺の知らない言語での短い叫び声と共に、パンパンパンと言う乾いた銃声が三発分ばかり空港のフードコート内を反響した。しかし俺の身体に痛みは無く、勿論未だ死んではいない。そこで恐る恐る眼を開けてみれば、俺の視線の先では武装集団の男達の内の二人ばかりが血を流しながら床に倒れ、残りの三人はカラシニコフ式自動小銃を持った手を高く掲げて降伏を示唆している。そしてそんな武装集団を、拳銃を構えた空港の警備員か警察官らしき六・七人ばかりの制服姿の男達がぐるりと取り囲んでいた。どうやら先程の銃声はこの警備員らしき男達が発砲した音であり、その前に聞こえて来た叫び声もまた、警備員達が武装集団に対して発した警告と降伏勧告の言葉だったらしい。
「助かった……」
とりあえず直近の命の危機が去った事を悟った俺は、ホッと安堵の溜息を漏らし、身構えていた肩の力を抜く。するとそんな俺の眼前で、生き残った武装集団の男達は武装解除させられるのと同時に床に組み伏せられ、拳銃を構えた警備員達によって次々と拘束されて行った。
「キミのおかげで助かったよ、本当にありがとう。ところでキミ、身体の方は大丈夫なのかね?」
床から立ち上がるのと同時にそう言って俺の身を案じる、武装集団に追われていた小柄な老人。よく見れば真っ白な長い髭に覆われたその顔立ちは、十年ほど前に癌で亡くなった俺の父方の祖父に少しばかり似ている。本来ならば縁もゆかりも無い全くの赤の他人である彼を咄嗟に身を挺してまで助けてしまったのは、その風貌に大好きだった祖父を重ね合わせ、今回の武装集団による襲撃を他人事とは感じられなかったからかもしれない。
「ええ、俺は大丈夫です。大丈夫……です……」
不意にひどい眩暈に襲われた俺はぐらりと体勢を崩し、がくんと床に膝を突いて、その場にへたり込んでしまった。そしてゆっくりと意識が混濁し始めたのと同時に、視界が暗闇に包まれ始める。
「あれ? あれ?」
「どうしたキミ、大丈夫か?」
すぐ眼の前に立っている筈の老人の言葉がやけに遠くから聞こえて来るなと思った次の瞬間、精神的なショックによるものか痛みによるものか原因は分からないが、俺は突然意識を失った。最後に覚えている感覚は、頭から倒れ込んだ空港の床がやけに硬くて冷たかった事だけである。
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