第24話 魔王の告白③〜もしくは魔王の語り部スキル全開にしちゃった編

 魔王連合第六軍を指揮するマレクが、長い銀髪をなびかせながら丈夫な二肢で歩行する竜馬に乗って、砦の視察から第六軍駐留地の城へ帰還したのは、真夜中近くだった。


 魔物のなかには活動時間を昼か夜に限定する種族もいるが、マレクの場合はいつ起きていつ寝ようと関係なかった。

 敢えていうなら、夜目が効く分夜の方が戦闘に有利な事が多かった。

 しかし、最近は昼に仕事を片付けて夜は静かに過ごすパターンが定着していた。

 それは、ある者の生活サイクルに合わせてそうなったことだった。


 自室に帰って部屋着に着替え、置いてある蜂蜜酒を飲もうとしていると、寝室の前にある衝立の陰で何かが動いた。


〈おかえりなさいませ、マレク様〉


 魔物の言葉の挨拶と共に大柄の美女が顔を出した。

 そのままマレクのそばに進むと、薄物の上着に袖を通した上半身と蛇の様に細長く鱗で覆われている下半身が出てきた。

 蛇身族をまとめる中将アデルカである。


〈来ていたのか〉

〈はい。我が兵士達はお役に立っておりますでしょうか?〉

〈ああ。皆、よく励んでいた。頼もしい者たちばかりだ〉

〈もったいないお言葉。蛇身族の誇りにござりまする〉


 マレクは二つのグラスに酒を注ぐと、一つをアデルカに渡した。

 アデルカはうやうやしく受け取ると一口飲み、蜂蜜酒で濡れた唇をそっとマレクの顔に寄せて甘く囁いた。


〈お耳に入れたい事がいくつかございますの〉


 アデルカはマレクの目を見つめながらその腕を掴むと自分が出てきた衝立の方へ誘おうとした。


〈失礼したします〉


 衝立の反対側、この部屋の入り口がある隅にこの辺りには珍しく人間が立っていた。

 声は低めだが、少年の様に小柄で細身だ。髪は金色で短く、黒い上着とズボンを着て直立姿勢を取っている。


〈まぁ、ティーン。姫の真似事かえ?〉

 アデルカが口に手を当て、大げさに目を丸くして驚いてみせた。


〈はい。お世話する方の容姿に寄せたほうが馴染んでいただけるかと思いまして〉

 ティーンと呼ばれた少年は言葉に反して感情のまるでこもっていないイントネーションで話した。

〈マレク様、カトレア姫がお会いしたいそうです〉


 マレクとアデルカは顔を見合わせた。


〈では、この場で短く〉と、アデルカはニコリと笑い、今まで声に含まれていた妖艶さのない真面目な口調で話し始めた。


〈ロクシア国の軍に大きな動きがございます。大規模な編成がなされたようです。

 そして、一の魔王様も使者を遣わそうとしています。用向きはあの姫のことで〉


〈そうか〉マレクは軽く頷いた。


〈その姫のことなんですが……〉

 アデルカの青白く透明な眉間にしわが寄った。


〈皆がブツブツ言っているのです。あの姫の服飾……もう少し肌を見せていただきとうございます。

 きめ細やかなあの肌を見るのも良いですが、そこから匂い立つかぐわしい聖女の香気は、もうそれだけで我々に活力を与えます。

 味わえぬのなら是非香りだけでも。そこにいるのに手を出せぬなんて酷でございます。

 カルダンなど、初見でお披露目された薄桃の柔らかな足が忘れられぬようで、姫に足輪の宝飾品を送り、その場で付けさせておりました。マレク様のいない間に〉


〈姫は戸惑っておられましたが、私がつけるよう助言いたしました〉

 ティーンがまた無感情に報告する。

〈カルダン様が、かなり興奮なさっていたので〉


〈あの者は短気ですからねぇ。自分の意が通らぬと何をするやら〉


 マレクは自然にため息をついていた。自分でも驚くほど滅多にない事だった。


〈姫に手を出せば、無事で済まないのはお前達の方だと思うが……わかった。何か考えよう。姫を呼びなさい〉


〈では、私めはこれにて。いずれ私の為にお時間を取ってくださいまし〉


 アデルカはマレクに軽く目配せをすると、さっさとティーンのいる方とは別のドアから出ていった。


 マレクが真ん中の長椅子に座ってくつろいでいると、銀色のワゴンを押したティーンとカタリナ姫が入って来た。


 カタリナ姫は赤いベルベット風の深い光沢のあるロングドレスを着ていた。

 捕虜にしていた人間の仕立て屋が作ったものだ。


 上半身は体形に沿ったシルエットで、細いウエストからふわりと優雅に広がるスカートは歩いても裾を引きずらない程度の長さだ。

 その陰でオープントゥの小さい爪先が時々ちらつく。


 襟元は大きくスクエアに開いており、ほっそりとした首から肩のライン、鎖骨やふっくらした胸元が下に着たスタンドカラーのブラウスの極薄のレース地を通してよく見えた。


 このデザインを、マレクは自分の要望を仕立て屋が取り入れたのだと思っていた。

「姫のうなじから胸のあたりは特に美しい」と仕立て屋のそばで呟いてみせたからだ。

 ブラウスをつけたのは、姫が落ち着かないからだろう。


 マレクも本当はアデルカ達のようにもっと肌を露出してほしいと思っていたが、もしそうなって魔族の誰かが誘惑に負けてパクッとどこか齧ってしまえば──まず自分がやってしまいそうになるのだが──戦力である魔族が確実に一人減るだろうし、せっかく打ち解けてきた姫が殻に閉じこもることになるのが容易に想像できる。


「魔王様。遅い時間に申し訳ありません」

 カトレア姫がしおらしく挨拶した。


 その涼やかに響き渡る声に軽い目眩を覚えて、マレクはこめかみを押さえながら人の言葉で言った。


「足を出せ」

「え?」

「足を出すんだ。話は聞いている」


 姫は恐る恐るスカートを膝下までたくし上げる。

 人と足の形がよく似ている淫魔族のサンダルを借りて履いているのだが、その右足のきゅっとしまった足首に宝石で飾られた足輪アンクレットがつけられていた。


 姫が頬を少し赤くしながらか細い声で言った。


「あの、あまり波風を立ててはよくないかと、思いまして……」


 もうとっくに波風が立っているよ。姫がここに来た時から──マレクは心の中でぼやいた──波風どころか今度は大嵐が来るのだ、兄の使者という嵐が。


 マレクが足輪を手で指すと、ティーンが姫の足元に跪き、足輪を外した。


「これはいかがいたしましょうか」


 ティーンの問いかけに、マレクは軽く手で合図した。

 足輪を持ったティーンは口端を少し歪めて部屋を出て行った。


 マレクは返してこいと手を振っただけなのだが、ティーンが黙って返す性格の持ち主ではないことも承知している。

 しばらくすれば、みせしめとなった白鬼族カルダンの野太い悲鳴が聞こえてくるだろう。


「そして、姫。それは一体なんなんだ?」


 マレクはワゴンに乗っているドーム状の銀の蓋が被せられた大皿を指した。食べ物であることは察しがつく。


 カトレア姫の顔がパッと明るくなった。


「これはですね。魔王様が疲れて帰ってくると思って作っておいたのです。一緒に食べま……」


 さっと蓋を取って白いものが見えたと思った瞬間、姫はすぐ蓋を閉めた。

 ガジャーンという金属音が部屋に響き渡る。

 姫はおろおろして明らかに狼狽の色が見えた。


「ど、どうした。何があったんだ」

「あ、いえ、あの……また今度にします」

「いやもう、今見せてくれ。かえって気になるから」


 姫は震える手でそっと蓋を取った。

 白いホールケーキが現れる。

 なんの飾りもないシンプルなケーキだが、指ですくった様な跡が三、四箇所ついていた。


「あの、味見をしようと私が……」

「何回もか?」


 おそらく姫の部屋にいる子供達の仕業だ。指も小さい。


 姫は捕虜がいると知った時「この人は掃除ができます」「この子はお話を読むのが上手」と何かしら理由をつけて老若男女全員を引き取った。

 姫の部屋の周りは、現在難民キャンプの様な有様で、子供の何人かは姫が自分の部屋に預かっている。


 マレクにはあまり興味のないことなのだが、食糧班や砦の修理班等から「材料の選択が一つ減った」「新しい労働供給がない」などの苦情が寄せられていた。

 でも面倒くさい苦情処理と比べたら、指でほじくられたケーキのほうがマレクにとっては何倍もマシだった。


「かまわんよ。切ってくれ。俺が腹痛を起こして死んだら、その子は魔王になれる」

「そ、そうですか。私も食べます。レアチーズケーキなんです」

「れあちーず? あの乳を腐らせて作るという……」


 いっそで腹を壊すのではないかとマレクは思いながら、皿に乗せられた三角の白い物体を口に運んだ。

 滑らかな口触りで甘酸っぱいが、これで正解なのかがよくわからない。

 しかし、隣に座った姫がおいしそうに食べているのをみると、大成功の味のようだ。


 カトレア姫は一切れ食べ終わると、魔王の方に真っすぐ向き直った。


「魔王様。お尋ねしたいことがあります」

「なんだね」

「一の魔王様にはいつお会いできるのでしょうか?」


「まだ会えぬ」

 マレクは二つ目を食べながらそっけなく答えた。


「そして、姫。俺も言いたいことがある」

「なんでしょうか」


「そなたは城から出て、この敷地の離れで暮らすのだ。人間たちは連れて行っても構わない。ティーンがいれば、人肉を好む者たちも手を出せぬ。

 少々波風が立ちすぎた。穏やかになるまでそこにいなさい」


「あの、それは、一の魔王様には会えないということでしょうか」

「まだ、しばらくは会えぬな」


 姫の目が泳ぎだし、両手をこすり合わせたり急に落ち着かない態度になった。


「あ、あの、あの、では……魔王様から、一の魔王様へお伝え願えないでしょうか。なるだけ、急いで」

「急いで?」

「はい。アトレウスが来ます。私を助けに」


「俺が負けるというのか! そやつに!」

 さすがのマレクも声を荒げた。

「俺は自ら飛び込んできた蝶を野に返すつもりはない。惹かれた炎のまわりでさ迷い、力尽きれば焼け落ちよ!」


「いいえ、魔王様は負けません!」

 カトレア姫も珍しく声を張り上げた。

「でも……アトレウスも負けないのです」


 今ここで、この傍若無人な小娘を──マレクは怒りで牙をギリギリ鳴らし、飛びかからんと四肢の筋肉が震えたが、暴走しそうな魔力と共になんとか体を抑えこんだ。

 姫を睨む眼光は止められなかったが、姫も悲しげな瞳でこちらを見つめている。


 マレクはこれまで考えてきた事を反芻した──魔力を出せば、姫の聖属性の力も上がる。あの広間で遠慮がちに見せたあの力と自分の力がぶつかれば、ここは間違いなく吹っ飛ぶ。それになんのメリットがある。例え姫を食えたとしても、腹を立てた一の兄が来るかもしれん。他の魔王もだ。アデルカ達を巻き添えにして、どこまで戦える──。


「……なんと、言えばいいんだ」

 マレクは歯ぎしりの止まない口から、なんとか言葉をしぼりだした。

「一の兄に何を話すつもりなんだ……」


「あの、海の話を……」

「海? あの海か?」

「はい」姫は嬉しそうに頷いた。

「魔王様は海をご存知ですか?」


 マレクは顔をしかめて頷いた。

 海がなんなんだと食って掛かりたかったが、抑えた。


 この辺りにはないが、見に行ったことがある。

 海を縄張りに持つ四の魔王に招かれて、外洋まで乗り出したこともある。


「私は、アルデ国の港町で初めて見ました。それから、アトレウスとレティシアと三人で海岸へも行きました。本当に果てが見えません。

 アトレウスも初めて見たとかで『でかい湖じゃないの? 泳いで確かめに行こうかな』と言って、レティシアに『もし対岸がなければ溺れ死ぬんだぞ。ばか者』って怒られていました」


 またその男の話か──マレクは適当に聞き流した。

 今度来る使者になんと言おうか考えていた。

 姫は上の空の魔王を気にすることなく話を続けた。


「海は遠くまで広がっているようですが、人間はそこまで行けません。内海か沿岸を船で進むくらいです。その先は魔物達の領域だからです。

 魔物達はよく争います。食べ物を巡って、伴侶を求めて、あらゆる理由で力を試します。そして、時に命を落とし、海岸に亡骸が打ち上げられたりします。

 不思議なことに長い年月の間では、その中に、魔物でも人でもない私達が知る生き物とは“異なる何か”が発見されることがあるのです」


 マレクがカトレア姫を注視した。

 姫は調子を変えることなく話を続ける。


「アルデ国やその周辺にいくつか記録があります。『生き物のようだが、我々のように柔らかくない、まるで鉱物が生物になったようだ』と。

 ロクシア国にも古い歴史に残っています。海を漂流した記録だけでなく、空から落ちてきた事もあるのです。それは、次第に大きくなっているのです」


「なぜ、大きくなっていると?」

 マレクが姫を見つめながら尋ねた。

「そなた、その話をどこで聞いた?」


「聞いたのではありません。記録が古ければ古いほど“それ”の大きさが小さく書かれてあるので、きっとそうなのだと思うのです。

 私達より遠くに行ける魔物達は、その生き物が生きている時にもう会っているのでしょう」


 カトレア姫は呆気にとられたような表情のマレクの瞳を覗き込むようにして語りかけた。


「私、いろんな本を読みました。私の国には沢山の本がありました。王家の者や大神官様以外読んではいけない書物もあるのです。私の力の使い方、魔物のお話、想像された海の向こう、盾と矛の伝承……」


「俺たちの中では『鍵と鍵穴の言い伝え』と言われている……」

 マレクは自分に向けられら姫の圧にたじろぎながら呟いた。

「鍵と鍵穴が合わさって、何が開くのかはわからないが……」


 姫は長椅子の上のマレクの手に自分の手をそっと重ねた。


「魔王様達が連合してまで求めたものは、きっと私の中にあります。私の力は魔物達にも役に立ちます。人と魔物は、一緒に歩めます。だけど……」


「だけど?」


「アトレウスには話せませんでした。アトレウスはとても魔物を憎んでいます。他の人たちもそう。

 私のような事を言えば、王家は支持を失い、大事に保存してきた本も力も伝承も全て壊されてしまうかもしれません。だから門外不出だったのです。

 お願い、魔王様。他の魔王様にも伝えてください。私たちが対峙する相手は他にいるのです。

 アトレウスは、自分の野心の為に戦っているのではありません。戦争が終わって少し時間が経てば、誰にでも優しいアトレウスに戻ります。そうすれば、魔王様とも一緒に海の向こうを見ることができるでしょう」


 マレクは四の魔王の背に乗って海に行ったことを思い出した。

 四の魔王は体が長く、地上よりも海中の方が俊敏で本人も心地よさそうだった。


 そこで、自分は見たことのない硬質な生物に遭遇した。

 大きさは自分より数倍大きいが、四の魔王と比べたら虫のようなもので、石のようなものを投げてきたが、四の魔王は瞬時に殺してしまった。

 ばらばらになった生物は、深い海底に沈んでいった。

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