第22話 魔王の告白①

 相談室は元教室を衝立で半分に仕切り、一方を資料や教具置き場にして、もう一方にパイプイスや長机を置いていた。


 俺たちはパイプイスに座り、舞が二つのお盆で運んできた三人分の給食を並べた。パック牛乳とコッペパンとシチュー、デザートのリンゴゼリー。みんな腹が減っていたのは本当で「これで全部よ」と舞が言うと、しばらく夢中で食べ続けた。


「俺は別に性的欲求を満たすことに不自由はしていなかった。俺が何か言えば、それぞれの部族の良い見栄えの者が近づいてくる。それを選べばいいい」


 真島が唐突にコッペパンをちぎりながらそう話し始めた。本当に突然で、俺や舞は飲んでいた牛乳やシチューを詰まらせ、何事かと顔を上げた。真島はそれにもしばらく気づかずに食べ続けた。


「だから、一の兄に言われて姫をさらったが、初めはすぐに兄に送るつもりだったんだ……なんだ、話を聞きたかったんじゃなかったのか」


 驚かされたのはこっちなのに、自分をじっと見ていた俺たちに気づいて驚く真島にけっこういらいらした。


「リア充自慢はいい。俺だって酒場に行けば『勇者さま〜』って黄色い声が飛び交って女達が集まってくる。肝心なのはカトレア姫だ。姫はどうだったんだよ、急にさらわれたりしてさ」


「姫は……」

 真島は遠くを見るように目を細めた。


「実に自然体で落ち着いていた。まるで俺が来ることを知っていたかのようだった。怯えることも恫喝することもなくそれが堂々としているように見えて、その態度に連れてくる奴らの方が戸惑っていたくらいだ。それなのに寝間着でいることをとても恥ずかしがって、それが面白くて『着替えさせてほしい』と言った時、好きにしろと言ったんだ」


「そうしたらセクシードレスで現れたわけか。舞、給食足りない」

「おかわりはありません。あるわけないでしょ」


「後で聞けば『縫製途中の服を渡された。第一の試練だ』と思ったらしい。どうしても足りないと思ったところは他のドレスや羽飾りなどで補い、髪もそれに合わせて自分で結いあげて来た。出来上がったその姿も所作も実に優雅で美しくて、俺も思わず手を取って案内していた。部下のいる広間に連れて行き、紹介したんだ。『これがあの有名な聖女カトレア姫だ。皆に挨拶したいそうだ』とな」


 俺は戦ったマレクの部下を思い出して唸った。マレクのように人に近い顔と体を持った強力な魔族は珍しいのだ。もっとも、それが正体だという確信はないが。そんな魔族の集まった広間なんて、魔族を見慣れない人が見たら心臓が止まってしまうかもしれない。


「姫は丁寧に膝を曲げて挨拶し、部下も礼儀正しく挨拶を返した。皆、姫の肌を褒め、声を褒め、柔らかい肉を褒め、その肌を赤き血で染めつけることを、その声が苦痛と快感の歌を歌うことを、その肉を皆で分かち合うことを望んだ。聖女の肉だ。精がつく。一の魔王様にほとんど献上するとしても、足の一本くらい……いや、膝から下くらい捕まえた我らが頂戴する権利はあるだろうと議論になった」


 舞は顔が青ざめ、咀嚼していたものをゴクリと飲んだあと、口を押さえて軽く嘔吐感と戦った。何かを思い出したらしい。血生臭い日常だった昔は随分神経が麻痺していたようだ。俺は食べ終わっていて本当によかったと思った。


「でもその議論はすぐに終わった。姫がほんの少し本領を、力をみせたのだ。ほんの少し……初めて殿方へ肩か足か自分の最も美しい部分をちらりと見せて誘惑するかのように、はにかみながら……。

 それで十分だった。浮ついていた連中は押し黙った。どうやら姫とまともに向きあえるのは俺だけのようだった。姫は微笑みながら静まり返った広間を見渡した後、俺に向き直り『一の魔王様にお会いしたいのです』と言った。『お話があります』と……。生贄として全てを捧げに来る者は珍しくない。しかし、あの目の強い意志は、対等な立場で、真剣に話をつけに来たんだ。しかも一の兄しか見ていない。この俺を……俺を目の前にして!」


「うちの姫がどうも失礼つかまつったようだな。明けの明星のマレク様を無視してしまったようで」


 俺は肩をすくめ、皮肉たっぷりに言ってやった。

 真島は笑いながら首を振った。


「いやいや、俺は知っていた。慎ましく揃えられた姫の手がずっと震えていたことを。柔らかな笑顔に隠された戸惑いと確固たる決意、不慣れな威圧……あれだけ強大な力を持ちながら……とんだがあったもんだ」


 真島の肩は小刻みに上下していた。込み上げてくる笑いを噛みころしているようだ。


「あの姫、自分の力と体と知識だけで乗り込んできた。戦いを挑みに来やがったんだ! しかも俺を飛び越えて一の兄の方に! 今まで守られていただけの小娘のくせに。人生で初めてのケンカを、一人で、魔王軍に、一の兄に売った! ドレスをまとって戦場デビューしたというわけだ」


 俺の脳裏には、初めて聖属性の力を発揮して戦った後、戦場跡を走り抜ける小さな姫の姿が蘇っていた。まだ殺伐とした空気の残る戦地を必死に翔ける金色の風のような少女──印象はあのまま、大きくなってもずっと変わらない。


「戦うのに何着ていようが関係ないわ。心が強くいられて力が出せるなら、それが鎧兜よ」


 舞が真面目な顔で言った。真島はにやけた口元に手を当てながら舞を上下に眺めた。


「そっちの舞踏家も鎧や鎖帷子など纏わずに戦っているんだったな。巨人族の長を倒し、彼らを降伏させた話は聞いている」


 舞はぶるっと身震いした。


「あなたにチェックされてるなんて、誉れたかくてゾッとするわ。ケンカを売られたにしては随分と楽しそうに話すのね」


「まあな。その時も配下の者達がいなければ笑い転げていた。かわいい初陣は、退屈していた俺の神経を心地よくくすぐってくれた……なあ、戦はもっとガンガンやりあおうぜ。どうせやらなければやられるんだ。長引かせても時間の無駄だろう?」


「こっちはそうは思わない。話を続けろよ。まさか一の魔王に姫を送ったんじゃないだろうな」


「送れば終わりだ。一の兄からは『生きていればどんな形でも良い。ただ、よく飾りたて、金の鎖につなぎ引き立ててくるように』と言われている。最高の戦利品、最も価値ある虜として持って来いとさ。はなから話なぞ聞く気はないんだ。姫の力は確かに強力だが、一の兄にはかなうまい。戦うにはただ力を解放すればいいというわけではないからな。

 この余興も終いだ。せめて俺が話を聞いてやろうと思って『一国の姫がどのような話をしに来たのですか』と聞くと、あの顔を強張らせて『一の魔王様にしか話せません。この戦争を終わらせる重要な話です』と言う。気になるじゃないか。

 そんじゃまあ、俺にも話をする気になってもらおうかと、しばらくここに留めておくことにしたんだ」


 だからあの時姫がいたのか?──俺はマレクの砦に乗り込み切られた光景を思い浮かべた。姫の姿は見ていないが、姫の声は聞こえた。「魔王様! アトレウス!」と天井に響く絶叫──。


 一体姫が何の話をしにきたのか。何の話をすれば魔物との争いを収めることができるのか、俺は思いつくことがないか、少し頭をひねった。しかし思い当たることがない。

 代わりに別のことを思い出した。


「お前、一の魔王の命令をきかなかったのか」


「なに、俺は一の兄に気に入られている。『兄上のおこぼれをいただきたく、少々可愛がらせてもらっています』とでも言っておけば、しばらくは待っていてくれるのさ。一の兄は“でる”事には興味なくてな。俺と趣味が被らないことも重宝がられているんだ」


 俺は一の魔王に会ったことがない。噂によれば、その力は他の魔王をはるかに超越しているので、彼らもおいそれと逆らうことができないのだという。少し前にさる魔王クラスの魔物が一の魔王にたてついたが、散々いたぶられた挙句に食われてしまったという伝説がある。この暴走気味のマレクが大人しく命令通りに動いているのだから、魔王軍の恐怖を煽るための嘘ではないようだ。


 他の魔王にも恐れられるほどの力と残虐性を持っている一の魔王。マレクの元に留まることでカトレア姫が命拾いしたことはまちがいない。


 真島は戸惑いながらも真剣に話を聞く俺と舞を面白そうに見ながら続けた。


「姫も『一の魔王様にお会い出来るのならばいつまでも待ちます』と了承してくれた。楽しい共同生活の始まりだ。聞きたいか? まだ話を。聞かせてやろうか? 」


「要点だけ聞きたいわね。姫は一の魔王に話そうとしていた事をあんたに話してくれたの?」


「まあな。話せばまた長くなるが」


「それを聞いて、あんたはどうなの? やってみたいと思った? 魔族と私たちの戦争が終わる……休戦かしら? 実現できると思った? 叶いそうなことなの? あの姫様の夢物語なんてことだったら……」


 舞は矢継ぎ早に質問した。かなり動揺している。真島は横に視線をそらし、少し間をおいて答えた。


「そうだな。できるかどうかは分からんが、俺たちが結託した理由の一つを姫が知っていたことには驚いた。お前たちが話に乗るなら、実現するかもしれない」


「私たちが? もうあの世界にいないのに?」

「帰れるとしたら、どうする?」

「帰れる?」

「帰れるのか?」


 俺と舞は同時に聞き返していた。真島は頷いた。


「俺の剣の片割れ”ティーン”を姫の下に置いてきた。ティーンとダロスは双子だから引き合い、その繋がりは時空も阻めない。それを道しるべに帰ればいい」

「ダロスっていうのはなんだ?」

「俺の剣だ。さっき見ただろう。あの犬は二匹で一対なんだ」


 舞がこっちを向いた。驚きと戸惑いの色が交互に浮かんでいる。多分俺も舞と同じ顔をしている。色々なことをいっぺんに聞かされて、何がなんだか頭の整理がつかない。せめて最後に姫の姿を見たかった。どんな扱いをされていたのか、それである程度はわかったかもしれない。幸せだったのか、それとも──?


 いろいろな情景が混雑している頭の中で、何かが警鐘を鳴らす。姫の絶叫、その下で膝をつく第六魔王マレク、あの大剣を支えに微かに顔を上げ、もう一度俺を睨む──。


「ダウト!」

 思わずそう叫んでいた。

「証拠がない。全部お前の作り話だ」


「証拠……」

 舞もハッと顔を上げた。

「確かに本当だという証拠はない……」


 真島の顔から楽しげな笑みが消えた。

「信じられないのか、俺の話が。お前が話をしてくれと言ったんだぞ」


「俺が誰に殺されたのか、俺が忘れたとでも?」


「そうだったな」

 真島は額に手を当て息を吐いた。

「それは忘れてはいないが……俺が嘘をついているというのか? 剣にかけて、俺は嘘はついていない」


「姫の話に賛同したなら、なぜ俺たちの前に立ちふさがった? なぜ俺たちとお前が戦わなければならなかったんだ。なぜ……なぜ俺たちに姫を返さなかったんだ!」


 握った拳を机に叩きつけていた。何度も、何度も、何度も。姫の意志をこの男が語ることがひどく不愉快で、全てを打ち壊したいほど我慢がならなかった。

 真島がその手を握って抑えたが、振り払った。真島は再びため息をついて言った。


「それは……それは、姫は関係ないんだ。その責を負うために俺はここへ来た。頼む、信じてくれ。話はまだある」


「いいや、信じられない。何を言われたって信じられるものか。お前のあの時の目には確かに殺気が宿っていた」


「確かにあの時は殺すつもりだった。だが、変わったのだ。信じてくれ。姫が待っている」


「それも……なぜなんだ。なぜ姫は俺に、俺たちにそんな大事な話をしてくれなかったんだ! よりによって、魔王に話すなんて。俺はずっとそばに仕えていたんだぞ!」


「それは、お前が……」

 真島は何かいいかけたが黙った。そしてすぐに鋭い視線を投げてきた。

「いや、もう何を言っても信じないのなら仕方がない。力づくでも従ってもらう」


「再再戦か? 望むところだ」

 俺たちは立ち上がっていた。

「今度は間違いなくとどめを刺す!」


「ちょ、ちょっと待ってアーティー!」

 舞も慌てて立ち上がった。


「なんだよ! 舞は……ミーナは信じるのか。俺たちが戦ってきた相手の、魔王の話だぞ」

「それは、急には信じられないけど、また戦っても同じことの繰り返しじゃない」


「そうよ! あんたたち、暴れるのはおやめなさい!」


 保健室側のドアがバタンと開いて、子猫を抱いた涙目の立川先生が入ってきた。


「なかなかエキセントリックな話で先生ついていくのが精一杯だけど、落ち着いてちょうだい。やっとまともな学校になりそうなんだから。ほら、この猫ちゃんでも見て気を鎮めて! フワフワモコモコよ」


 立川先生の胸元で白い子猫がにゃーと鳴いた。

 舞がその猫を受け取って俺の前に突き出した。


「ほら、この子、元は回復スライムじゃない。これを持ってきてアーティーの傷を治したの誰だったっけ? ね?」


 子猫の青い大きな瞳がプルルンと揺れて、またにゃーと鳴いた。


 目の奥から何かがこみ上げてきた。見られたくはなかった。机に肘をつき、顔を両手で覆った。唇を噛み締めて耐えたが、戦場を駆け巡った記憶は、抑えられた何かの代わりに次々と脳裏に溢れ出した。その記憶の最後には、いつも金髪の青い目の少女が元気に手を振って迎えてくれていて、血と泥で冷めきった心に人間の温もりを灯してくれていた。


 マレクの襲撃以来見失っていた小さな火種は、誰かの息に煌々とたかれ、時空を超えて火の粉を飛ばし再び俺の心を安堵感で満たしていった。

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