第21話 魔王の秘密

 不意に屋上の床がグラグラッと揺れた。胸の傷に響いてうめいた。


 横を向いたマレクが、担いでいた魔剣を素早く振る。投げられた包丁が魔剣に払われてクルクルと森の方へ飛んでいった。床を揺らしたのは包丁を投げた舞の振動クエイクタップだ。

 遠くからから舞が叫んだ。


「それ以上アーティーに近づかないで! 校舎ごと崩してあんたを生き埋めにするわよ!」


 マレクが笑いながら応えた。

「下の生徒もろともか。崩れる建物の上で俺がじっとしていると思うか?」

「飛んだら最後よ。ジェイル! こいつをハチの巣にしてやって!」


 舞もマレクも弾の飛んできた森を鋭く睨んだ。返事はなく、森も静かだ。

 それでいい。攻撃したり動いたりすれば、ジェイルはすぐにマレクに捕捉されてやられるだろう。ジェイルも舞もそれは分かっている。

 俺は舞が時間稼ぎをしている間に胸に魔力を一層集中させた。


 舞は更にマレクを煽った。

「リハビリって言ってたけど、まだ気が済まないなら私のステップを鑑賞したら? でも、カトレア姫にやられちゃったんなら女の相手はきっついかなー? 魔王様は繊細そうだもんね」


「じっとしていろ。おしゃべりダンサー」

 マレクは剣を振って左右に衝撃波を放った。


 舞は顔を腕で覆って、両側を駆け抜ける衝撃波に耐えたが、一歩も下がらなかった。でもマレクに剣を向けられ動けない。


「聞いてどうする……」

 マレクに向こうを向いたまま尋ねられた。

「聞いてどうするんだ、姫の事を。聞いて何になる」


 俺は二、三回呼吸を整えてから胸の痛みに丸まっていた背中を伸ばし、一気に喋った。


「死んでしまったのなら俺たちみたいに転生しているかもしれないだろう?……探しに行く」

「見つける気か。話をする代わりにお前の命をもらうと言ったら?」

「話をしてくれ」

「アーティー! 話が本当だとは限らないじゃない!」


 離れた所で聞いている舞が叫んだ。その舞をマレクは鋭い視線で牽制している。


「また死んだら、もう転生しないかもしれないぞ」

「そうだな……普通に死ぬんだな。でも、転生しようが普通に死のうが……多分変わらない。俺は俺で、そのうちきっと姫を探しに行く事になると思う」


 マレクが俺の方を向いて嘲笑った。こめかみが少し痙攣している。


「大した自信だな。姫のことは何が何でも覚えていると言いたいのか。どうしてそうなんだ。運命の伴侶とでもいうのか」

「ははは、痛っ。いやー、姫が……俺の伴侶だったら、気を使いすぎて参っちゃうよ」

「じゃあ、なんだっていうんだ」

「そうだな。何というか……俺が死んだ事は間違いない。死ぬ時の事は覚えている」


 覚えている。痛さがだんだん痺れていって、力が抜けて意識が薄れていく様を。


「だけど、死を経験しても今の俺は俺のまま。今思えば、思い出した前も後も、中身というか魂は俺そのままだったなって。それならそれが本質なんだ。どこの世界に行ったって、そこで王様であっても孤児であってもたぶん変わらないんだ。

 そして、その魂の一部に姫と繋がっている部分がある。あの時、姫からもらった力だ。だから何か危ない事があると姫の声が聞こえる気がするんだ。事故にあった時も。そして今も……」


「だからなんなんだ、それは」マレクは歯ぎしりをしながら言った。「赤い糸で結ばれているとか何とかじゃないのか」


「例えが古いなぁ。そこはサムライ」

「真面目に答えろ!」


「姫は……姫だよ。俺の頭じゃそれ以外に言葉がない。姫が小さい頃に『お願い』と言われて力をもらった時からずっと、俺と姫は何にも変わっていないんだ。あの小さい姫にお願いされたから断れないっていうのもあるだろうけど。

 俺はその人の下で俺の目的を果たすんだ。魔物は殺す。俺という存在はその感情から始まっている。俺はその力を与えられた。ならばその力を使い続ける。力を与えてくれた姫に感謝しているよ。

 そして姫はより大きな力を持っていて、より多くの魔物を殺せる。だから探すんだ。俺はどちらかといえば、さっきのハーピーやスライムに近いのさ。それなら姫は『魔王』だな」

「姫が魔王だと? 呆れた言い草だな。姫に聞かせたら何と言うかな……」


 マレクが呟くように言った言葉を聞いて、俺は何とか踏ん張っていた腹の力が傷から抜けていくような気がした。


 なあんだ。その言い方だと、姫は、生きているんだな……と感じて。


 傷はまだ塞がらなかった。残念だが動けない。壁沿いにズルズルと体が下がっていった。


「……殺せ」

「そういう訳にもいかんのだ」


 マレクも気が抜けたようにため息をついて大剣を床に刺した。大剣は器用に体をねじって元の黒い犬の体に戻ると、校舎の裏の森に走っていった。

 代わりに舞が駆け寄ってきた。


「大丈夫? まだ治らないの?」

「うーん……ジェイルが念入りに何か仕込んでいたみたいで……」

「怖いわねぇ。私は絶対当たらないようにしよう」


 犬はすぐに戻ってきた。ジャンプして柵を越えてくると、口にくわえている透明なクラゲのような物体をマレクの手に乗せてきた。

 マレクはそれを俺の傷口に押し付けた。


「いってぇ……」

「回復スライムだ。こういう奴もこっちに来ている。毒も吸う」


 スライムは傷口に吸い付くと、体の色が緑や黄色に波打つように変化していった。少し体が楽になってきた。


「有難いけど、どういうつもりなの、一体」

 舞は訝しげにマレクの顔を覗き込んだ。マレクは険しい顔でそっぽを向いたが、急にあっと小さく声を上げた。


 背にしている階段室から足音が聞こえる。誰かが上がってくるようだ。舞もそれに気づいた。

「昨日みたいに柵を越えるか。吉留起きろ」

「まだ無理無理無理。いってぇー」


 マレクから手を引っ張られたが、まだ立ち上がれない。手と一緒に傷に張り付いていた血染めのシャツがつられて、更に痛覚を刺激した。

 舞は俺の手の刀を取って藪に放り投げた。


「真島先輩、肩貸して。アーティーも下に放り投げられないかしら?」

「舞やめろ! 受け身はまだとれない!」

「回復スライムを抱いていろ。全身骨折くらいなんとかなる」

「うそ! やめてくれ!」


 二人に担がれようするのを必死に抵抗していると、ガチャガチャと鍵を回してドアがバッと開く音がした。


「うわあ、あそこ崩れているよ。ひどいな」

「あれ、君たち。真島も。ここで何をしているんだ」


 男の先生が二人上がってきて、屋上を見回していた。一人は安倍先生だ。階段室の裏を覗き込んだ先生は俺たちを見つけてビクッとのけぞった。


「それは血か! わあ床にも! ケガをしたのか、さっきの地震で」


 地震?──俺たち三人は顔を見合わせた。すぐに思い当たることといえば、マレクの衝撃波や舞の振動タップだろうか。


「大丈夫か。とにかく病院に行こう」


 舞がハッとして俺の後頭部をバシッと叩いた。


「病院だなんて大げさだなぁ。先生これ鼻血ですよ。もう、お兄ちゃんたらこんな所で何考えているのかしら」

「え? なんだよ鼻血って……」


 急に変な役を振られて思わず舞を見上げると、舞は眉間から何か絞り出るんじゃないかと思うくらい力んだ深い縦シワを寄せて俺に囁いた。


「それ銃創じゃん。医者になんて言うのよ」


 そうか。銃弾で負った傷なんて、この国じゃヤクザの抗争か犯罪ぐらいでしかお目にかかれないものだ。学生同士でふざけましたなんて言い訳が通るわけがない。確実に説明を求められて面倒くさい事になる……


 真島の表情に戻ったマレクは、先生に見えないように俺の前に立つと真っ赤なシャツと傷の間に回復スライムをねじ込んだ。

 しかも自分のポケットから大判のハンカチを取り出して、シャツに着いた血を拭うと、俺の鼻の穴に突っ込んだ。


「吉留君。気持ちはわかるけどね、こんなに出血するほど妄想全開にしたら、さすがに体に悪くないかい?」


 真島に戻ったように見えたが、俺を見下ろしほくそ笑む顔には魔王が八割ぐらい入っている。


「それにしても出血が多すぎるぞ。吉留、本当に鼻血なのか?」

「そ、そうですね。世界一いい女ってどんな人だろうって考えたら、ドバーッと吹き出ちゃいまして……」


 戸惑う先生に引きつった笑顔で答えた。心の中で舞とマレクにどっさり悪態をつきながら。


「吉留は今時珍しい肉食系なんだな。先生もわからんでもないが……」

「髪の毛のツヤツヤした人もいいなあ。いや、やっぱりバストがふっくらツヤツヤした人かなあ……」


 真島マレクが低く唸った。


「お兄ちゃんもう考えちゃダメ! 鼻血が出過ぎて死んじゃう!」

「そうだ! そんな恥ずかしい死に様で転生したくないだろう。早く保健室に連れて行かないと!」


 真島が俺の腕を肩に回して俺を立たせようとしたが、俺はめまいがして足元がフラフラした。

 すると真島は俺の膝裏に手を回して俺を抱え上げた。当たり前だが真島の顔や体の熱が一気に近づいてくる。顔が赤くなるのを感じて無意識にジタバタ暴れていた。


「おおおお姫様抱っこは勘弁してぇー」

「歩けないんだから仕方がないだろう。先生、ちょっと行ってきます」

「ああ……ほんとに大丈夫か」

「大丈夫です。立川先生はこういう思春期系やまいのスペシャリストですから」

「確かにそうだな。よく診てもらうんだぞ」

「はーい」


 舞がにっこりと先生に手を振りながら、真島の背中を押して進ませる。俺は真島に抱えられたまま階段を降りる羽目になった。


 真島が早足でバタバタと下ると、体が上下に揺れて傷が疼く。それも痛いが心もイタい。下ろせ!魔王にそんな事をされる義理はない!と勢いよく飛び降りたいが、足の力は入らないし、自分より小柄とはいえ同い年である俺を腕をぷるぷるさせながら歯をくいしばって運ぶ真島を見ていると何も言えず、もうじっと耐えているしかない。


 身を固くして縮こまりながら、後ろから小走りについてくる舞に問いかけた。


「ま、舞! 誰も、誰も見ていないよね? これ」

「誰も見ていないわよ……あ、いた」


 階段そばの教室から女子生徒が何人か顔を出した。


「血染めのシャツを隠せ! 怖がられる」


 真島の胸にギュッと押し付けられて、ひいいい!と声を上げそうになったのをぐっと飲み込んだ。

 声を飲み込めたのは、後ろの舞からすごい形相で圧力を加えられたからだ。


「足をねん挫したみたいなんです。どうも~」

 舞が驚いている生徒にニコニコ笑顔で手を振った。


 やっと保健室に到着して舞が戸を引いた瞬間、真島はベッドに俺を放り込み、その場にゼイゼイ言いながら座り込んだ。


「お、重たすぎる。普段なに食べているんだ」

「父さんや母さんの作った飯と給食だよ。ちゃんと中身が詰まっているってことだ」


 立川先生は俺たちを見て悲鳴を上げて何か言いかけたが、舞の拝むようなゼスチャーに気づくと、ぐっとこらえてウエットティッシュと救急箱を持ってきてくれた。


 保健室には俺たち以外誰もいなかった。傷口以外の血をぬぐい、しばらく横になった。真島も隣りのベッドに転がった。

 舞は立川先生と丸椅子に座って話をしている。


 嘉川さんたちは傷の手当てをした後、早退したらしい。

 防火シャッターを閉めた後、建物が何度か軽く揺れたので、念のため先生たちで校内を見回ったとのこと。微妙な揺れだったのと速報も流れなかったので避難まではしなかったそうだ。


 胸にポツンと一点だが深く開いていた傷はスライムの下でだんだん閉じていき、最後に鉛の玉を吐き出して治った。


 回復スライムは俺の胸の上を這い回りながら真っ白な子猫の姿に変わっていった。

 立川先生が目を輝かせて抱き上げた。


「やーん、かわいいー。この子私がもらってもいいかしら」

 誰も了承の声を上げないうちから既に頬にスリスリしている。


「いいですけど、たまにスライムに戻りますよ」

 真島が興味なさそうに答えた。


「いいのいいの。そんな不思議ちゃん大好き。ねぇ、どんな時にあのプルプルちゃんになるの?」

「少なくとも、血に触れるとスライムになると思いますが」

「そうなんだ。吉留君、気持ちよかった? うふふ、楽しみねー」

「それどころじゃなかったんですよ。お願いですから事件になるような事しないでくださいよ、先生」


 俺と真島は学生ジャージに着替えて一息ついた。

 子猫を膝にのせてスマホをいじっていた立川先生がフフッと笑った。


「やっぱりね。あなたたちのこと載ってるわ。『M様、男子生徒をお姫様だっこして廊下を爆走。尊い! でも相手の造形がイマイチ』……画像はないわね」

「俺はプラモデルか。なんですか、それは」

「ファンサイトの掲示板よ。スマホ投稿だわ」

「学校にスマホ持ってきたらいけないんじゃないんですか」

「誰かが隠して持ってきているのね。いけない子……。いろいろコメントがついているけど、あなたの名前や出血のことは載ってないわよ」

「そうですか。じゃあ、ひと段落したところで、話してもらおうか」


 俺は隣りのベッドに腰かけている真島の方を向いて座って言った。


「いつから惚れていた?」


 真島はふむ……と、真剣な面持ちであごに手を添えてじっと俺を見つめた。


「まあ、確かに俺は『明けの明星レプカテボルカ』と讃えられるほどの男だ。気持ちはわかるが、ちょっと抱かれたからって勘違いするのも甚だ──」

「誰がそんな話をしているんだ。姫の話をしているんだ、姫の! 時間をもっと巻き戻せ。リハビリに付き合ったら話すと言っていただろう」

「急に惚れたハレタだの言うからだ。なんでそんなことになるんだ」

「俺の勘だよ。お前が昨日夢に見ると言っていた子は『姫』のことなんだろう? 前世を思い出していないうちからそんな風に夢に見るってことは、よっぽど気持ちがこもっているんだ。違うか?」


 問い詰められた真島は不機嫌に眉をひそめ視線をそらした。


「金髪の子なんてたくさんいる」

「でも、あんな素敵バストを持った子は他にはいない」

「お前見たのか。 やっぱりお前ら──」

「長くお傍に仕えていたら、ドレスの上からでも形ぐらい分かるんだ! お前こそ見たのか!」

「全体像はまだだぞ! さらってきた時、寝間着が汚れたから、奴らがふざけて淫魔族のオープンなドレスを着せたんだ!」

「いつも清楚な姫になんてことを! ずるいぞ! この俺ですらそんなコスプレ頼めないのに。ギャップ萌えじゃねえか!」

「俺が命じたんじゃない! 気がついたら立っていたんだ。姫だって結構ノリノリで──」


「すみません、せんせーい」

 今まで隅の丸椅子に黙って座っていた舞が俺たちを睨みながら大きな声を出した。


「なあに? 舞さん」

 事務机のオフィスチェアで膝上の子猫を撫でながら先生が応えた。


「今からまた最っ低の戦いが始まりそうなんで、どっか別室を借りてもいいですかぁ?」

「そこの相談室を使ったらいいんじゃない? でも、また暴れられて怪我されたら困るわね。子猫ちゃん寝ちゃったから起こしたくないし」


 立川先生は俯いてちょっと考えていたが、すぐに明るい表情で顔を上げた。


「あんた達、給食食べながら話しなさいよ。お腹すいたんでしょう? どんな野獣もエサを食べている時は大人しいもの。もう届いているからこっちに運んできなさい。舞さんも一緒に食べてちょうだい。万が一のために」


「そうします。私も姫が拐われて国中が大騒ぎになっている時に、このなんちゃら魔王が何やっていたか、知りたいですから」

「そうだぞ。俺たちがどんな覚悟で部隊を編成して攻め込んだか分かるか。分からないだろう! しかも俺たち死んだんだからな!」

「こっちだって配下を失った。お互い様だ。簡単にさらわれる方が悪いのだ」


 相談室は保健室の隣の部屋で、保健室の隅のドアからでも出入りできる。俺は真島の襟首をつかんでドアの方へ引っ張った。


 真島は「無粋な奴らだ」とか何とかブツブツ呟きながらなすがままについてきた。


 舞も肩をいからせ「私、ものすごくつまらない事で死んだんじゃないかしら」とか何とかブツブツ言いながら廊下の方へ出て行った。多分給食を持ってきてくれるだろう。


「なるだけ穏便に済ませてねぇー」

 立川先生が笑顔で手をひらひらと振って俺たちを見送った。

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