第17話 再会
二人で階段を駆け上がり、屋上へ続くドアの取っ手をガチャガチャ動かすが、開かない。今日は鍵がかかっている。
また降りて鍵を借りてこないといけないのか、面倒だなぁと思っていると、目の前に何かがカチャリと落ちてきた。鍵だ。拾ってみると『A棟屋上東』とキーホルダーに書いてある。
「一体どういう仕組みになってるの?」
舞が怪訝そうに天井を見上げている。階段室の最上階なので、頭のすぐ上が埃っぽいコンクリートの天井になる。何かが姿を隠して飛び回るような広い空間はない。
「これが俺に依頼してきたM.M FCの蝿だよ。いるのはわかっても、どこで見ているのかさっぱりわからないんだ」
いやぁぁぁ、『蝿』はやめてぇぇぇ……
FCのFはフェアリーのFにしようよ〜……
俺は声を無視して鍵をドアに差し込んだ。カチャリと軽い音がして手応えがあった。ドアレバーを下げて、チラリと振り向いて舞の緊張した顔を確認してから押した。
ドアは普通に開いた。思い切って全開にすると、外は校舎の屋上のはずだが、霧が立ち込めていて真っ白だ。見通しが効かない。
俺の肩越しに舞も覗き込んだ。
恐る恐る足を上げてドアの敷居をまたぎ、一歩踏み入れてみると、固いコンクリートのような床に立つことができた。やはり屋上らしい。舞も入って横に並んだ。
「屋上ってこんな風になってるの?」
舞が小さい声で聞いた。
「まさか。この間と全然違うよ。どうなったんだ?」
振り向くと、入ってきたドアの向こうには上ってきた校舎の階段がちゃんとある。まるで別の世界同士がここでくっついているようだ。
「なんか聞こえるわ」
舞の言葉でハッと前を向いた。耳をすますと、霧の奥からしくしくと泣く声が聞こえる。女の子のようだ。複数いるらしい。
「誰かいるのかあ。返事しろぉ!」
叫んでみるが返事はない。でも、微かだが確かにすすり泣く声が聞こえる。
しかし、その声をかき消すように頭の上で甲高く笑い合う声が飛び回り始めた。キャッキャッと自由を謳歌してはしゃぐように。校舎の中よりも声量が大きくはっきりしていて、神経を張り詰めているこっちがイラつくくらいだ。霧の世界の影響を受けて奴らの力が強くなっているのかもしれない。
「うるさいなぁ。力有り余っているならもっと手伝ってくれよ」
蝿って呼ばないなら……
「じゃあ、フェアリーズ。ここのドア、開けっ放しにできるか?」
わかった。ねんりき〜……
「念力かよ。大丈夫かな」
ドアレバーから手を離してみたが、ドアは開いたままで校舎の空間もそのまま留まっている。
「霧は晴らせないのか? 明かりは?」
それはむーりー。 霧の力つよすぎー……
これでもこっちの力も強くなってるのにねー……
舞が階段室に立てかけてあった箒を二本持ってきた。それぞれ一本ずつ持って、四方に突き出したり地面を叩いたりして声のする方に進んでいった。
そう長い距離は歩いていない。へっぴり腰で、ゆっくりと10メートルくらい進んだだろうか。不意に視界が開けた。背後は霧に覆われたままなので、霧が晴れたのではなく、霧のない空間に入ったのだ。
「どこ、ここ……?」
俺たちは辺りを見回して唖然とした。
建物の中だ。でも、校舎ではない。石造りの壁に囲まれたテニスコート2面は取れそうな広い空間、真ん中に二階の奥に続く幅広い木製の階段があり、手すりの様式や所々に掛けられたタペストリーは西洋風で手のかかった仕様で、まるで貴族のお屋敷だ。
でも……なにか引っかかる。全く初めてという感じじゃない。ゲームのダンジョンぽいからなのか、映画か何かで観た建物と似ているのか……。
泣き声は階段裏から聞こえてくる。
霧は無くなったが、どこから何が出てくるかわからない。あたりに用心しながら影になっている階段の下にゆっくり近づいてみると、舞と同じセーラー服を着た女の子が三人、肩を寄せ合って座っていた。
近づく俺たちの気配が怖かったようで、左右の生徒は泣きながら後ろ向きで縮こまっていたが、真ん中の生徒は竹刀を構えて俺たちの方を睨んでいた。
この子には見覚えがある。前に保健室で真島に話しかけていた女子の一人だ。真島を主将と呼んでいたから、剣道部なのだろう。名札に「嘉川」とある。よく見ると、嘉川さんはおでこに赤いコブができていて、手の甲やすねには青アザ、制服も埃だらけだ。
「大丈夫ですか? 助けにきたんですが」
舞の声で一同ホッとした顔になった。
「君たちだけ? 真島はいないのか?」
俺の言葉では三人の顔が強張った。
嘉川さんが俯いてポツリと言った。
「真島君は、どこかに行ってしまったわ」
「一体ここで何があったんだ?」
「……試合をしたの。真島君と私と」
「その傷は試合でついたものなのか。なぜ真島と試合をすることになったんだ?」
嘉川さんは口をギュッと結んで何も言わない。なぜ黙るんだ──俺がそう言おうとした時、舞が口を挟んだ。
「ねぇ、いったんここを出たらどうかな。傷の手当てもしないといけないわ。ここだと何が起こるかわからないから、なんだか落ち着かない」
「わかったよ。真島のことが気になるけど……」
舞は嘉川さんに手を差し出した。嘉川さんは黙ったまま舞の手を掴んで立ち上がる。他の二人も互いに支えあいながら立ち上がった。
舞と嘉川さん、他二人、俺と続いて来た方に戻る。相変わらず霧の壁が立ちふさがっている。この三人を連れて霧の中をまた慎重に進まなければならない。それに──俺はホールの真ん中で振り返って、また屋敷の中を見渡した。
「なあ、舞。ここ、どこかで見たことないか?」
「え、ここ?」舞は嘉川さんの手を握ったまま辺りを見回した。「えー、よくわかんないなあ。初めてだと思うけど……」
舞はピンとこないようだが、俺には何かもやっとしたものがある。記憶の中の何かとそっくり同じではないのかもしれない──でも、何かに似ているのだ。
それに、このままここを出て、また屋上のドアを開けてここがつながっているとは限らない。次のフラグがたったら消えてしまうかもしれない……と、ゲームで全クエストをクリアしたいのなら、ここはセーブするところだ。そのあと、ここを探索する。
「俺、やっぱり真島を探してくるよ。ここにいるんだろう? 舞は三人を立川先生の所に連れて行って」
「わかった。でも、私だけでちゃんとドアにたどり着けるかな」
「フェアリーズいるかー?」
頭上に叫んでみる。いるかー? るかー?……とホールに何度かこだました。
いーるーよー……いーるーよー……
俺とは違う声が、複数で合唱するように返ってきた。
「こいつらを出口まで導いてやってくれ。ドアは確保してあるんだろう?」
こっちへおいでー、女の子たち……
私たちと遊ぼー。いいものあげるよー……
霧の中からフェアリーズが呼びかける。
「もう、不審者みたいな声かけやめてよね」
舞はぶつぶつ言いながら手を引いて歩き出した。
「ちょっと待った。それ貸してくれ」
俺が嘉川さんの竹刀を指差すと、嘉川さんはつかをこちらに向けて渡してくれた。代わりに俺は箒を渡した。長い箒は霧の中の方が役にたつだろう。
おいでー、おいでー……
こちらにカモーン……
舞は箒を霧の中に突っ込んでから、自分も中に入った。舞と手を繋いだ嘉川さんと他二人も互いに手を繋ぎあってから、舞の後に入っていった。
俺は三人が霧の中に消えるのを見届けると、もう一度ホールを見渡した。
飾られているタペストリーや絨毯、調度品の細工などは手が込んでいて質も良いようだが、数は貴族の屋敷にしては少ない方で、壁は頑丈な石積みがそのまま出ている。ここは街にある邸宅ではなく、城か砦のような建物なのだ。
中央の階段が、二階の奥に来訪者を導いているが、階段を上がらなくても一階の奥にも回廊が続いている。
しかし俺は、階段を上がって二階の廊下に進んだ。
なぜかというと、昔そうした気がするからだ。何回か廊下を曲がり部屋をいくつか通り過ぎる──そうだ。記憶の通りだ。わかってきた。
頭が痛い。古傷なんてもんじゃない。産まれるより以前の記憶を遺伝子より深く掘り起こさなければならない痛みだ。顔をしかめて耐えながら歩く──。
あの時は、ここへ来るまでにレグルスもカーナもいなくなっていた。ミーナはこの城に俺を入れるために手前でおとりになったんだ。あいつは中を見てないんだ。ここは、俺しか知らない。
確かここの廊下にも何匹も魔物がいて、俺はそれを切り捨てながら進んでいった。中をうろついていた連中は大した奴らじゃなかった。大将クラスの魔物は、外で俺たちを待っていたので全部だったんだ。道を開くのに三人犠牲にした。あ、ジェイルも入れておくか。パーティーの中では四人だな……。
あの時と違って、今日は魔物は一匹も出なかった。何か武器になりそうなものがあれば拾うつもりで途中の部屋を覗いたりもしたが、そんなもの、暖炉の火かき棒すら置かれていなかった。持っているのは竹刀だけ……なんて心もとない。ここで待っている存在を思えば、首を差し出しにいくようなものだ。しかし、あの時と全く同じではないのだから、これでもなんとかなるかもしれない。
そしてついに、この建物で一番大きな扉にたどり着いた。両開きの表面に細かく見事な彫刻の施された扉。そこは、ここの主人に謁見する為の部屋だった。
俺がまだアトレウスで、仲間を犠牲にしながらやっとここまでたどり着いた時、この扉を目の前にしてこんなことが頭をよぎった──こんな襲撃の時に、律儀にわかりやすく「謁見の間」で待っている奴がいるか? 別の部屋に、あの奥の塔の上にいるんじゃないのか? 最後まで立て籠もるのに相応しいじゃないか。あそこで増援が来るのを待てばいい。来れたらの話だが。今の体力じゃ無事に上がれないかもしれないから、ここにいてくれるとありがたいけれど、そんなうまい話があるか? 最後まで生きていた方が勝者じゃないか……否! 何をうだうだ考えているんだ。『奴』なら絶対ここにいる。若い魔王のプライドが、下僕を犠牲にした主人の無様な籠城など許す訳がないのだから──そう確信して、開けたのだった。
同じ扉が、時を経て、世界すら超えて俺の目の前に現れている。
中で待っているのは誰なのか、やはり魔王なのか、それとも……?
いろいろ考えていても仕方がない──頭を左右にブンブン振った──今回、俺は探しに来たんだ。真島って奴を。探しているんだから、こんな怪しい部屋、通り過ぎる訳にはいかないじゃないか。
左右の取っ手に両手をかけた。大きく息を吸って、力いっぱい引く──。
軽く開いた。軽かった。ドアに重さがないんじゃないかっていうくらいに。思わず後ろに転がりそうになった。
ブリッジができそうなくらい思いっきり背中を反らしながらもなんとか転ばずバランスを保って、俺が頭を上げると、視界に入り口のホールよりも広い部屋が開放されていた。今度はテニスコート四、五面分くらいか?
ゆっくりと部屋に入って中を見回す。
記憶によれば、石壁に魔物軍の旗が壁紙がわりに何枚も飾られていた──現在のこの部屋は、石壁なのは同じだったが、飾られているタペストリーには軍旗の模様ではない、めちゃくちゃな図形が描かれていた。
正面の玉座の後ろにも大きな旗が掲げられていた筈だ。
確かに旗らしい布はあったが、何も描かれていない。記憶が確かなら、第六魔王軍の軍団章が描かれていたのだが。
そして、アトレウスがこの部屋に飛び込んだ時、玉座の前には第六魔王軍の軍団長が立っていた──立っていたのだ、若い第六魔王マレク=レプカテボルカが。
今は──。
俺は正面を見据えた。
今は、玉座に誰かがうずくまっていた。
白いシャツに黒い学生ズボン。俺と同じ服装。竹刀を抱え込んでいる。
そいつがゆっくりと顔を上げた。正気のない死んだような目で俺を見て言った。
「どうして、夢の通りに、お前が来るんだ」
「なぜだろう、正夢だったっていうオチかな。お前はどうしてだと思う?」
軽く返しながら、そいつをよく観察する。
切れ長の目が特徴の端正な顔立ち。最近見慣れた風貌だったのだが……気づかなかった。似ている。第六魔王の面影がある。だが、そいつは、間違いなく俺が今探していた奴だ。
しまったな──ちょっと後ずさりしそうになった──竹刀じゃ''太刀打ち''できないかも……言葉のあやではなく、マジで。
真島将道──なぜ、お前がここにいる。
お前が魔王マレク=レプカテボルカなら、俺と相討ちになったあの時、お前も死んだということか。そして、お前も転生したと……。
敵かもしれない奴の前なので、表面は一応冷静な態度を保ったが、本当はドアを開けた時と同じくらい仰け反って頭を抱えたかった。
近いだろ!
パーティー仲間が家族として転生しているのはまだ……まだ、良しとするとして。なぜ? なぜ魔王まで俺の家のそばに転生している⁈
死んだ場所の所為なのか? それともこれが「
真島の方は、俺を見ても玉座の上で膝を抱えたまま暗い表情を変えなかった。それが、ここで女子生徒と何かあったからなのか、それとも俺が来ることを予測していたからなのか、この様では全く判断がつかない。
奴が「自分を魔王だと気づいているか?」ということも──。
真島は再び呟くように言った。
「正夢なら、お前は俺の大事なものを取りにここへ来たんだな……」
「……前言撤回。つまらない夢だなぁ。俺はそんな大事なものを取りにきたんじゃないよ。お前を探しにきたんだ。何があったか知らないけれど、ここから出ようよ。一緒に帰ろう」
優しく呼びかけながら、必死に考える。
俺は今、どのくらい
そして、奴はどのくらい
俺のことは気づいているのか。
場合によっては、ここで決着をつけることになるのかもしれない。
前世の決着を──あの時、終えたと思っていた闘いの終焉を。
無意識のうちに竹刀を背中に隠していた。後ろに回した手に力がこもる。
真島の顔からは、奴の考えていることが未だうかがうことができない。
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