第11話 注目の的④

 鉄骨や目の荒いシートで覆われた足場をどのくらい上り続けたかわからない。

 まだマンションの骨組みは上に続いていたが、シートから透けて見える眺めが相当高い所まで来たようだったので、シートの隙間から顔を出してみた。


 案の定、この辺り全ての建物が眼下に収まっている。

 この建築物と同等か、より高そうなビルはそばの川を越えたより賑やかな街の方にある。


 俺は鉄骨から身を乗り出して、足元に広がる夜の街の屋根の海を観察した。

 風に煽られて体が浮きそうになり、シートがばたばたとはためいて、俺の顔を打つ。

 片手でシートを抑え、もう片方の手で鉄骨をしっかり掴んだ。


 屋根やビルの屋上がひしめき合う光景の中で、目を細めて見つけたのは、遠くの方で飛び回る二つの影だ。

 屋上や壁を器用に伝って、大小二つの影がこちらに移動してくる。


 一つは人間、おそらくジェイルだ。


 そしてもう一つ──ジェイルらしき人間を追いかけているもう一つの影は、なんと言えばいいのだろう……今もまだ遠くて顔などはわからないが、幻惑の中で見た時よりははっきりしている。

 俺は故郷の森の上を飛んでいるところを見たことがある。

 懐かしくも想像を絶する形をしていた。


 コウモリの翼、ツノ、筋張った四肢から生えるかぎ爪──体の大きさはジェイルの二倍はある。


 この世界のモンスターに詳しい人は「ガーゴイル」とか「サキュバス」、もしくはずばり「悪魔」なんて呼ぶかもしれないが、俺たちはこう呼んでいた──「ヴァンパイアサイレン」。


 ジェイルは身の軽いやつで、森の中では枝から枝へ、街では屋根から屋根へ、戦場では兵士の頭から頭へ、猿のように軽々と移動して行けた。


 その体技を使って素早く静かに近づいて、ターゲットを「死んだことすら悟らせずに殺せる男」と言われた奴だった。


 その男が、今、明らかに死に物狂いで逃げていた。


 生まれ変わっておっさんになったからか、空中では翼あるものにかなわないのか、ヴァンパイアサイレンの爪を寸でのところでかわしながらこっちに逃げていた。


 たまに振り返ってナイフを投げているが、簡単に叩き落されている。

 拳銃は使っていないようだ。やはりニセモノだったのか。


 そんな必死な様子で、宣言した通りにこっちに魔物をあぶり出しているのを見ていると、今まで怒りで燃えるように熱かった頭の中が、すーっと冷めていった。


 それに、不思議な違和感に気づいた。

 街にあいつらの''存在''がほとんどない、という……。


 俺は近くの六階建てのビルがうんと下に見えるくらい高い所にいるが、それでも繁華街のの喧騒や車の行き交う音が聞こえている。

 いくら高い場所を風のようにかけていけたとしても、あれだけの大きさの動物が翼をはためかせて移動するのだから、それなりに物音や振動がするだろう。


 でも、周りの街は彼らに気づいた様子がほとんどない。


 まさか俺も幻惑の中にいるんじゃないかと目やら頬やらこすってみたが、二つの影は消えたりしない。

 よく目を凝らしていると、たまに上を向く通行人や、時々ビルの上のパラボラや看板が吹っ飛んだり穴があいたりするリアルな現象が起きているから、幻というわけではなさそうだ。


 そうしているうちにジェイルは街を外れ、堤防を越えて土手に降りた。

 ヴァンパイアサイレンも後を追いかけている。


 俺はシートの内側に身を潜めて観察した。


 ジェイルは川原の砂に足を取られながらこっちに向かって走り、魔物はその斜め上を静かに追撃してくる。


 俺は違和感の正体が''音''であることに気づいた。

 はばたく皮膜で空気を切る風音や、ジェイルが草や石を踏む靴音も聞こえない。


 ヴァンパイアサイレンがノイズキャンセラーの能力を使っているのだろう。

 この能力で自分たちの周りの音を全て消しているのだ。


 しかも、堤防付近を歩く何人かは街灯に照らされた漆黒の魔物を目撃しているが、最初唖然として立ち止まったあと、首をかしげながらまた普通に歩き出すので、多少幻惑の能力も使っているのかもしれない。


 しかし、俺には滑らかな黒い皮膚が灯りに照り映える魔物が間違いなく見えているし、ジェイルは明らかにピンチの状況だ。

 それに以前も俺はこの魔物に襲われている。現にさっきもこいつに操られたらしい人間に殺されかけていて、そのうちの一人は”友達”だ。


 再び頭の中が熱くなり、刀を握っていた手に力が入ってきた。


 ジェイルは宣言通り、魔物をここまでおびき出してきた。ここまで連れてくれば、二人でやっつけられると考えていたのか……そこまでは言わなかったが。


 ジェイルが、こけた。


 魔物がそのジェイルに追いついた。彼の足元の砂地に降り立つ。

 これまでだって追いつけたのに、わざとゆっくり追いたてていたのだ。


 いよいよ爪をたてようと腕を振り上げた。

 獲物として狩るのだ。俺の”仲間”を。

 やつは今、自分の絶対的優位に酔いしれ、すぐに訪れる歓喜の真骨頂の想像に集中しているに違いない。


 俺は再び発火した感情を燃料にシートから飛び出した。

 そして、足場の側面にピンと張られているそのシートの上を走る。

 多少揺れたが、一度発射したものは進み続けるしかない。

 万有引力に引き寄せられ、俺はミサイルのようなスピードになる。


 マンションとあいつの間には、堤防がある。道路もある。

 それを越えて、あいつに届かなくてはならない。

 ここまでたどり着いたあいつに。

 それに──にははっきり言ってやらなきゃ気が済まない。


 刀を抜いた。

 そして空中に方向転換──ジャンプした。

 シートのたわみを、トランポリンみたいに利用して跳ぶ。

 道路を越えて、堤防を越えて、川に身を踊らせる魚の気分。

 でも飛び込むのは川じゃない。

 放物線を描いて、目指すは漆黒の魔物の頭だ。


 ヴァンパイアサイレンがこちらに気づき、振り上げていた爪をこちらに向けてきた。

 俺も両手で柄を握って、刀の銀爪をたてる。


 魔物の爪と爪の間に刃を滑り込ませ、指に突き刺す。

 その刀を軸に体を回転させ、魔物の顔へ、重力も乗せて思いっきり踏んづけて着地した。


 驚いて目を見張るジェイルがチラリと見えた。

 ''やめろ''とかなんとか口が動いたが、聞こえないから無視する。


 魔物も目を見開いていた。人間のものの形をした瞳孔を。

 俺もその瞳をまっすぐ見据え、拳を振り上げた。


「お前のせいで、俺は安永を殴っちまった!」


 俺がやつに言いたいこと──魔物の姿をしていても、人間の目をしているなら通じるだろう。

 叩き込んだ拳と共に、叫んでいた。


「今度からは、俺だけに来やがれ!」


 正確には、叫んだつもりで、声はノイズキャンセラーの範囲内で周りに響き渡ることはなかった。


 しかし、ヴァンパイアサイレンは水音をドボーンと派手にたてて、川の中に倒れた。

 俺は川原に着地して濡れずに済んだ。


「どこから飛んできた⁉︎ まだ早いわ!」


 尻もちをついたままのジェイルが喚いた。声がちゃんと聞こえる。ノイズキャンセラーが解けたらしい。


「うるさい! 俺はそこで散々な目に……」


 再びザバァーと水音がして、魔物の黒い体が起き上がった。

 二人共そっちを向いて身構える。

 魔物は美術品の彫刻のような均衡のとれた顔でこっちを凝視した。


 突然、キィーンと立っていられないほどの頭痛がして、頭が真っ白になった。代わりに何十人もの声が響き渡って自分がその渦に飲み込まれそうになる。


 この状態は知っている。精神攻撃が得意な魔物がよく使う''錯乱''だ。

 うっかり気を抜くと、自意識が吹っ飛んで一生操り人形状態になる。そうでなくても、しばらく体の自由が効かなくなる。


 俺は頭を抱えながらも、ヴァンパイアサイレンの美貌を睨みつけた。

 そして、好きなもの、好きな言葉……とにかく自分が「自分だ!」と思うことを考える。


 デスメサ、デスメサのアリサ姫、その他ゲーム、かわいい系女子胸はでかく、母さんのご飯、父さんのカツサンド、父さんのバイク、レグルスの剣技、舞はまあまあ、ちょっぴりジェイル、安永たちとのゲーム談話……。

 そして、その奥でずっと流れているカトレア姫の祈りの声……。


 膝が折れそうになるのを踏ん張る。

 痛みで顔がぐしゃぐしゃにしかめっ面になるが、目は魔物から離してはならない。

 手は拳を握って後ろに引く。まだまだやるぞと戦闘態勢は崩さない。例えハッタリでも……いや、本気だ。絶対、また殴ってやる!


 急にヴァンパイアサイレンが夜空に舞い上がった。

 赤い液体をぽたぽたたらしながら、まっすぐ上っていく。

 錯乱の頭痛は、やつが高く遠く見えなくなるにつれ、だんだん薄れていった。


 俺と同じように頭を抱えて中腰の姿勢で耐えていたジェイルが、腰や肩を揉みながら立ち上がり、夜空を見上げてため息までついて、とても残念そうに言った。


「せっかく手負いのフリしてここまで連れてきたのに、骨折り損かよ。あーあ、俺の評価査定が……」

「相変わらずだな。 俺の命でどんな評価が出るんだよ。とにかく安永を治せ!」


 盗賊ジェイル──生まれ変わっても、やっぱりいけ好かない。



      × × × × ×



 俺がビルから飛び降りる様を誰かが目撃したらしく、しばらくするとパトカーが赤色灯をつけながら様子を見にやってくるのだが、そこで分かったのは、ジェイルが本当の刑事だったということだ。


 幸いなことに、安永はパトカーがくる前に隠すことができた。


 魔物が去った後、ジェイルは回復魔法で安永の俺の当て身でできたあざや擦り傷などを治し、俺はジェイルのスマホで母さんを呼び出した。

 事情を聞いた母さんは、言われた通り、家のワンボックスカーで建築現場の裏に来て、そこで元戦士レグルスとジェイルが再開することになったのだが、俺はその様子をはらはらしながら見守った。


 愛妻家で子煩悩だったが魔物に家族を殺されて戦鬼と化したレグルスと、女だろうが子供だろうがなんだって金に換えてきたジェイルは、互いの価値観が合うはずがなく、昔からしょっちゅう衝突してきたからだ。


「あんたが警察やっているなんて、日本は大丈夫なの? 百歩譲って『自分の知っているじゃの道を生かしてる』って風に考えればいいのかしら。あんたを捕まえて吐かせたら、芋ずる式に感謝状がいっぱいもらえそう」

「ご明察だ。おかげで真っ当によく稼がせてもらっている。てめえこそ、ますますアットホームな雰囲気になりやがったな。似合いすぎて不気味だぜ」

「ストーップ! 二人ともどうどうどう……」


 俺は急いで、真っ向からにらみつける母さんと、斜に構えて受け流すジェイルの間に割って入った。


 もうすぐ安永はヴァンパイアサイレンの幻惑の支配から解かれ、目を覚ますはずだ。目覚める前にうちに連れて帰り、道に倒れていて介抱した事にしようという計画だ。

 まだ眠っている安永を、母さんが脇を、ジェイルが足を持って車に運び入れた。


「ところで、何であんたがうちの周りをうろうろしていたわけ? 気づいてくれるタイミングを狙ってた訳じゃないよね」


 母さんがジェイルに尋ねた。


「この辺では、たまに妙な奴が捕まる事があってな。二、三日行方不明になっていた奴が夢遊病のようになっているところを発見されたりとか。その捜査している時にお前らを見つけた。何か絡んでくるんじゃないかと機会がある度に巡回していたら……睨んだ通りというわけだ」


「ヴァンパイアサイレンが、前からこの辺りをうろうろしていたってことか?」

 と、俺が口を挟む。


「そうだろうな。そうだろうと思うが、そのまま報告したら、俺は何とかファイル捜査班やら特命怪奇捜査係やらの変な名前の部署に飛ばされてしまいそうだなぁ」


 ジェイルが頭をかきながらぼやいていると、軽のミニパトカーが赤色灯を回転させながら、何かを探しているように堤防沿いの狭い道路をゆっくり走ってきた。

 ジェイルは「ここにいろ」と俺たちに言って、パトカーの方へ駆け寄った。


「刑事課の鈴木だ。ちょうどいいところに来たな」


 停まったミニパトの窓が開いて、制服の警察官がジェイルに敬礼をした。


「ご苦労様です。あの、このビルから人が川へ飛びこんだようだと通報があって来たのですが」

「それは知らん。猫か何かじゃないのか。あの現場で凶器を振り回して喧嘩している二人組を発見した。手錠が一つしかなくてな。気絶させて適当につないであるから、行ってちゃんと確保してくれないか」

「了解しました。あそこの車は?」

「この辺りの様子を聞いていたところだ。ご協力ありがとうございます。もう、いいですよ」


 ジェイルがこっちに軽く会釈をしたのを見て、母さんは車を発進させた。

 道路端に停めなおしたミニパトから警官が二人降りてきて、ジェイルと一緒に建築現場に走っていった。


「あいつ『鈴木』っていうんだね」

 運転しながら母さんが言った。

 確かに、緊迫した場面で見せてもらった警察手帳には「鈴木陽介」と書いてあった。


 安永は、家で俺のベッドで寝かせていると、だんだん目を覚ましていった。

 話を聞くと、部活から帰る途中から記憶が曖昧になっているようだ。

 俺は帰宅途中で意識が朦朧として歩いている安永を発見し、声を掛けたら突然倒れたので、家で介抱していたことにした。


 安永の家に電話すると、もう少しで捜索願を出すところだったらしい。

 家の人が迎えに来る間、安永と話をした。


「熱中症かなあ。そんなに疲れていたつもりじゃなかったんだけど」

「そうか。他に気になることはなかった? 変なものに触ったとか、”見た”とか」

「あ、そうだ! 俺もデスメサの夢みたよ。魔王の城のラストシーン。デスメサってさ、ハマるとヤバいゲームなのかもな」

「……そうだな」

「でもさあ、こんなこと言って回って、このゲームヤバいって言われて、回収されたりしたら嫌だな」

「そうだな。週末のゲーム大会、俺、楽しみにしているんだ」

「俺も。絶対やるから、絶対来いよ」


 安永は元気になったが、迎えに来た家の人は、一応明日病院に行ってみると言っていた。


 翌朝、俺はいつも通り登校した。梅雨の晴れ間のいい朝だった。

 昨日のことがなければ、もっと気持ちよく行けたのだろうが、人目があるからヴァンパイアサイレンなんか出ないとわかっていても、怪しいものはないか、ついあちこち見回してしまう。


 怪しいものはないが、珍しいものは発見した。

 真島将道が歩いて登校していた。


「おはよう、真島君」


 横に並んで声をかけた。

「歩きだなんて珍しいな」と言いたかったが、気にさわると悪いので、口には出さなかった。


「おはよう、吉留君」


 いつもの爽やかな笑顔で真島も挨拶してくれた。


「今日は朝練がなくってさ、余裕があったから歩いてきたんだ」


 自分から聞きたかったことをしゃべってくれた。


「へえ、何かあったの?」

「朝、急にママが出掛けることになってしまって。俺一人だと人数が多くて仕切るの難しいから、もう中止にしたんだ……どうしたの? 足元なんか見て」

「何でもないよ。俺、用事あるから先に行くね」


 俺は真島に手を振って、そそくさと別れた。

 足早に歩きながら、背中にかいた冷や汗を乾かすために、シャツの襟をパタパタと振って、中に風を送った。


 同じ流派に属している武闘家たちは、型の手さばきや足さばきだけでなく、日常の様々な所作も似てくるという。

 弟子は師匠の真似をしたがるし、横に並ぶ生徒同士も互いの動作を観察しながら切磋琢磨していくから、自然にそうなるのだ。


 俺は真島の歩く姿に、昨日戦ったグール男の足の運びを見てしまった。

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