転生家族
汎田有冴
第1話 そして、俺は思い出す
夢の中で、俺はいつももやもやした気分を引きずって生きていた。
自分が「自分」ではないような、何かが欠落しているような……何かを忘れているような……。
だが、とても平和な安穏とした日々を送っていた。
母がいて、父がいて、妹がいて。
朝、ご飯を食べて、学校に行って、勉強の合間に睡眠……いや逆か!
学校でも寝て、しゃべって、食って、その合間に勉強。割合から並べたらこれが正しい。
そんな緊張感のないのんびりした生活だった。
しかし、六月の小雨が降る中、俺は買い物に出て自転車で急いで帰宅する途中、飛び出してきた猫を避けようとしてハンドルをきり、でかいトラックが目の前に──。
とんでもない衝撃で夢が終わった。
俺はハッと顔を上げた。
目の前の消えた焚火跡から薄く煙が上がっている。巨木の森の外が明るくなってきている。
夜が明けようとしていた。
屈強な戦士のレグルス。戦闘補助の舞を舞える舞踏家ミーナ。魔法使いのカーナ。
三人はもう起きていて、出発の準備を整えている。
俺は傍に置いていた剣を持って立ち上がると、森の外にそびえる砦を見上げた。
ここは俺たちの国を侵略し、蹂躙していた魔王国の第一の砦だ。この奥に魔王の一人の根城があるはずなのだ。
これまで、この灰色の石を積み上げて作られた高い壁が、俺たち人間の反撃を阻んできた。
だが、俺が魔物を打ち払う聖なる力『勇者』の能力に目覚めた以上、俺たちは絶対この壁を越えて魔王の城にたどり着いてみせる。
もう少しで王都が陥落して滅亡しようとしていたその時、カトレア姫はしがない一兵卒だった俺の中に勇者としての資質を見いだし、王家の者に備わる聖なる力で、俺に眠っていた勇者の力を引き出した。
俺は今までの恨みも込めて、その力を存分に発揮し、魔王軍を押し返した。
しかし、その戦闘の最中、カトレア姫は魔王の一人にさらわれてしまう。
俺は姫を救出するために、各地の強者たちを仲間にして、その魔王を追ってここまで来たのだ。
姫の情報を集めていた
援軍を呼ぶことはできない。敵を一度は元の国境付近まで押し返しはしたものの、戦況は拮抗している。どこかの戦力をここに裂けば、そこからまた攻め込まれる可能性があった。
ここに来るまでにも多くの仲間が倒れた。砦の情報をもっと集めてくると出て行ったジェイルも長く帰ってこない。
俺たち四人は顔を見合わせ頷き合うと、砦に向かって歩き出した。俺たちがここまできていることは魔物達も知っている。決戦の覚悟を決めて出てきた魔物たちに、俺たちも各々立ち向かっていった。
砦に入ってからは、戦いはさらに熾烈を極めた。
レグルスが倒れ、カーナが倒れ、ミーナは行方不明に……。
俺はその仲間の犠牲を乗り越えて、遂に魔王の間にたどり着いた。
六人兄弟の中で最も若いという魔王。二〇代の俺と同い年くらいに見える。
「姫は返してもらう!」
ここに来るまでに魔力は尽きていた。
俺は勇者の剣を構えて、渾身の力と思いを込めて飛びかかっていった。
魔王もマントを翻して剣を抜く。
相討ちだった。
「魔王様! アトレウス!」
高い天井にカトレア姫の悲鳴がこだました。
腹が燃え上がるような激痛。だが、力を抜くわけにはいかない。
眼前の魔王の顔も苦痛に歪んでいる。
カトレア姫の泣くような声が聞こえる。
祈っているのか? 俺に? 魔王に……?
視界に霞がかかって、何も見えなくなっていった。
カトレア姫の声もだんだん遠くなっていった……。
× × × ×
まるで雲の上にいるようだな……。
なんだかふわふわした感覚を覚えて、俺はゆっくり目を開けた。
やけに真っ白な天井が見えた。
どうしてふわふわしているのかがわかった。すごく寝心地のいいベッドに寝ているんだ。布団も白い。壁もだいたい白い。
こんな寝心地のいいベッドは久しぶりだ。しばらく野営続きだったから。
ふと気配を感じて、横を向いた。
一人の女の子がベッド脇に座っていた。
窓を背にして顔はよく見えないが、幼さがまだ大いに残っている十代の雰囲気がある。ロングヘアを二つに分けて頭の高い位置で結んでいた。夏用のセーラー服を着ている。
彼女は開いた本を持ったまま、俺を見て固まっていた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、大丈夫?」
お兄ちゃん?
管のつけられた手を額に当てて、眩しさを遮った。
彼女も俺の顔を覗きこんだので、顔がはっきり見えた。
「ミーナじゃないか……」
幼いけど、ミーナだった。
でも、ミーナはもういい大人だったはずだ。俺より年上の、はちきれんばかりの胸とヒップ、それをつなぐ締まった腰をくねらせ、魔物も魅了されるステップを踏める姉御肌の
「どうしたんだ、ミーナ。化粧落としたのか。胸もしぼんじゃって……」
ミーナの子供みたいな顔が真っ赤になった。
「それに、なに着てんの。セーラー服? 新しい舞でも……」
「なに妹の胸ジロジロ見てんのよ! 変態兄貴!」
「いたっ!」
ボカッと殴られた。
そういえばミーナは手が早かった。よくこんな風に殴られた。
でも、いつものミーナと比べると手が小さい気がする。力も弱かった。
……けれども悪くない。なんだか懐かしい。
「なにヘラヘラしてるの。頭打ってバカになったんじゃないの! まるで━━」
あっとミーナの目が丸くなった。
「まさか、お兄ちゃん……私のこと、今なんて呼んだ?」
「え? ミーナって……あれ? でも、お前は妹の……」
俺には妹がいた。名前は『
こいつは妹の舞だ。中学一年生の。
でも……あの時別れたミーナの面影がある。
「ねえ、名前言える? 名前。自分の」
「俺は、
涙が溢れてきた。
「『アーティー』とも呼ばれていた。『勇者アトレウス』とも……あの世界では……」
「やっぱり、そうだったんだ! アーティーだったんだ! ママに、ママに連絡しないと……」
ミーナ━━のような舞は、震える手でポケットからキッズスマホを取り出し、画面を操作しようとしたが、うまくいかない。
「も、もう! 手が震えて……い、いや、看護師さんが先かな。意識が戻ったんだから。よ、呼んでくるから。看護師さん! 看護師さあーん!」
ベッドにぶら下がっているナースコールには目もくれず、舞はばたばたと病室を出ていった。
舞のことは笑えない。俺は俺で涙の止まらない顔を両手で覆って、泣き声を抑えるので精一杯だった。
俺は
だが、その前の世界ではアーティーという名前だった。
魔王と相討ちになった後、この世界に生まれて来た。
忘れていた「自分」を、今、思い出した。
なにもかも夢じゃなかったんだ。
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