夕陽の中で

灯花

夕陽の中で

『明日ヒマ?』

『うん』

『買いものつきあって』

『いーよ』


 今日も彼にメールを送る。


 ばふっとベッドに身を沈める。


 毎週金曜日の夜、彼に宛てたメッセージの送信ボタンを押すのが習慣化してきた。


 いつからだっけ。たまにそんな疑問が頭をかすめるが、たいてい思い出すことなく思考のかなたに消えていく。


ゆい~、ごはん~!」


 階下から母の呼ぶ声がする。


「は~い!」


 返事をするも、体は動こうとしない。起きなきゃ、と思うほど意識は遠のく。


 明日、何着ていこう。


 そう考えたところで、私の意識は眠りの海に落ちていった。





 ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ……


 スマホのアラームが私を眠りの淵から引き揚げた。


「まぶし……」


 窓から差し込むに目を細めた。アラームを止め、時刻を確認する。


 12:00


 冷たく表示されたその数字は、まぎれもなく丁度正午をさしていた。冷たい汗が背中を流れる。


「……やば」


 慌ててスマホに指を走らせると、大量の未読メッセージ。


『おはよー』

『きょう何時?』

『おーい』

『ねてる?』

『いつものとこで待ってるからね』



 私は無言で手早く着替えてかばんを引っ掴むと部屋を飛び出した。


「唯?今起きたの?ご飯は……」


 2つ上の姉が声をかけてくるが聞いてはいられない。


「外でなんか買って食べる!人と約束してるから!」


「そう。じゃ、気を付けてね」


 姉は基本的に「人と干渉しない」を信条としているため、会話は実にシンプル。


「いってきます!」


 私は玄関を飛び出した。





「あ、おはよー」


 ぜえぜえと肩で息をする私に、彼はいつもの笑顔を向けてくれた。


「ごめん……思いっきり……寝坊した……」


「あはは。そーかなーと思ってた」


 私が長らく待たせてしまったにもかかわらず彼、蒼真そうまは神対応。


「はい、クレープ」


「わぁ! ありがと! 昨日も今朝も食べてなくて……って、なんで!? 確かにご飯食べてないけど!」


 ナチュラルに渡されたクレープ。疑問を抱くより先に食べそうになる。


「唯はマメだから、ずっと既読も返信もないってことは寝坊かなと」


「……よくお分かりで」


 すとん、と近くのベンチに座ると蒼真は文庫本を開いた。


「ゆっくり食べなよ。俺は本読んで待っとくから」


「……じゃ、お言葉に甘えて」


 私も彼の隣に腰を下ろす。


 蒼真がくれたクレープは、まだほんのり暖かくておいしかった。


 あたりは人の行き来でざわめいている。休日のショッピングセンターは相変わらず人が多い。だから早く出るつもりだったんだけどなぁ、と考えながら、クレープをかじる。


「ごちそうさまでした」


「ん。食べ終わったね。で、今日はどこ行くの? 」


 私がクレープの包み紙をたたむと、蒼真もぱたん、と本を閉じた。


「えーっと、蒼真は何が見たい?」


「俺?唯に合わせるけど。なんか見たいものがあったんじゃないの?」


 きょとんとした彼の双眸そうぼうが私をとらえる。


「あのね、蒼真の誕生日プレゼントを見に来たの」


「……覚えててくれたんだ」


 ふっと目を細めて彼は笑った。


「もちろん」


 忘れるわけがない。私の好きな人が生まれた日だ。


 初めて出会ったあの日から、ずっと好きなのに。ずっと伝えきれずにいる。


 こうして休みの日は一緒に買い物をしたり、遊びに行ったりするけど、恋人ではない。「友達以上恋人未満」って言葉が、一番しっくりくる。


「ねぇ、蒼真は何が欲しい? 」


 心の内はみじんも態度に出さない。彼の「特別」になりたいけど、それ以上に今の関係を壊したくない。もし、フラれたら。そんな“ Ifもし ”にとらわれて、踏み出せずにいる。


「んー。基本なんでも嬉しいよ? 」


「それ一番困るんだけど……」


 彼に何を贈るのが一番いいのか、散々悩んで、結局決められないからこうして訊いているのだ。


「決めきれなくて蒼真に選んでもらおうと思ったんだよ? 何かないの? 」


 すっと視線を私から外し、しばらく彼は黙考した。


 時間にして、わずか数秒。


 再び彼の瞳が私を映した時、その視線は何か覚悟を決めたような光に満ちていた。


「唯、今いくら持ってる? 」


「お金は気にしなくていいよ。結構多めに持ってきたから」


「わかった。じゃ、駅に行こう」


 駅? 私には彼の真意がつかめなかった。


「いいけど……」


「今からなら丁度いいくらいかな……」


「え? 何が? 」


 聞き返すが、「何でもない」としか返ってこない。





 ゴトン、ゴトン、ゴトン、ゴトン


 ショッピングセンターとは打って変わって、時間帯のせいか、たまたまなのか、電車は意外にもすいていた。


「どこ行くの? 」


「内緒」


 人差し指を口に当てて、にっと笑って彼が言う。「それ反則! 」って言いたくなるくらい100点満点の笑顔。ズルいよ……と言ってしまいそうで、慌てて窓の景色に目を移す。


 海が近づいてきた。日もかなり傾いて、後ろに流れていく景色は薄いオレンジ色に染まっている。


「次、降りるよ」


「あ、うん」





 ガタン、ガタン、ガタン、ガタン


 電車を降りると、すでに日は落ちかけて、少し肌寒い。電車の音が次第に遠ざかる。


「ここ? 」


「うん。ここ」


 彼が歩き出した。慌てて後を追いかける。私の歩幅の方が小さいから、どうしても少し遅れ気味になってしまう。途中で彼が気付いて、歩調を緩めてくれた。


「……ありがとう」


「何が? 」


 こんな小さなことに気づいて、さりげなく気を遣ってくれる。そのちょっとした優しさに、胸がときめく。


「着いたよ」


 不意に、そう言われて顔を上げた。


「わぁ! 」


 そこには、見たこともないくらい大きな夕焼けが広がってきた。はるか向こうまで続く水平線に、真っ赤な太陽が半分ほど沈んでいる。水面が夕陽を反射して時々白く光る。


「すごいでしょ? 俺の秘密の場所」


 目をキラキラさせて蒼真は言う。ちょっとクールな普段とのギャップがなんだか微笑ましい。


「えーっと、それで、俺が欲しいもの」


 きゅっと彼の顔が引き締まる。


「はい」


 つられて私も緊張してきた。


 ザザザ、ザザザ、と波の音だけがあたりに響く。


「俺は、唯に彼女になってほしい」


 一瞬、完全に思考が停止した。「オレハ、ユイニカノジョニナッテホシイ」?


 数秒の後にようやくその意味を理解する。


「そ……れって……」


「だから! 」


 照れくさいのか、少しいらだったように彼が言葉をつなぐ。


「俺は、唯のことが好きです。付き合ってもらえませんか?」


 顔が、体が熱い。言葉が出てこなくて、口が空回りする。


「だめ、かな」


 少し悲しそうに彼の顔が曇る。慌てて私は言葉を紡ぎだした。


「……ううん。喜んで」


 ぱぁっと彼の顔が輝く。私も、ちゃんと気持ちを伝えなきゃ。


「私も、蒼真のことがずっと好きでした。私を蒼真の彼女にしてください」


「はい!」


 心なしか、蒼真の顔も赤い。


「……顔、赤いよ? 」


 照れ隠しでからかってみる。


「夕焼けのせいだよ」


 真っ赤に染まった海に目をやって、彼が答える。


「きれいだね」


「唯もね」


 さらっと言われてしまった。


「……なんで、そーゆー恥ずかしいこと言えるかな」


「唯のことが好きだから」


「私だって蒼真のこと好きだよ」


 意地になって私も言い返す。


「俺のほうが好きだよ」


「私のほうが好きだし! 」


 ふふ、とどちらからともなく笑いがこぼれる。


「帰ろっか」


「うん」


 もと来た道を、二人並んで帰る。





 夕陽が、二人の恋路をどこまでも照らしていた。




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夕陽の中で 灯花 @Amamiya490

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