幸せな猫

ポージィ

幸せな猫

飼い猫のニャン吉が死んだのはもう10年以上も前の事で、何故今になってあいつが夢に出てきたのか、今も解らない。


ニャン吉とは小学校に上がる前からの付き合いで、それこそ私が社会人になるまで、長い時を一緒に過ごした家族だった。小さい頃はあのキンタマをニャン吉に気付かれずにそっと触るのが好きで、さわさわと触った後に「おい触るな!」という叱責を受けるまでの一連のやり取りがちょっとした挨拶みたいになっていた。


夢に出てきたニャン吉は同じニャン吉なのだが転生した三代目のニャン吉だった。見た目がそっくりの猫をそのままニャン吉に置き換えて飼ってただけだろ!というツッコミが生じなかったのは夢の中だからなのだろう。そこでは私も家族も何の疑問もなく、ニャン吉はまだ生きているのだから、まだあと何年かは大丈夫だろうという曖昧な認識で、見た目だけはニャン吉そっくりの猫を可愛がっていたのである。


しかし、このニャン吉は見た目こそ瓜二つでも別のニャン吉だ。初代のニャン吉が死んだ後に現れた二代目のニャン吉は、母親が「きっと生まれ変わって家に帰ってきて来てくれたのよ。」などと、なんとなくそれっぽい言葉を発して、家族一同がそれに異論を唱えなかった。そして二代目のニャン吉も死んでしまった時も、きっとまた同じ事がきっと起こると信じて疑わなかったし、そして実際に同じような事が起こった。


だがこれは全て今朝見た夢の中での出来事であって、あれから自分の実家にニャン吉そっくりの猫が現れた事実はない。ニャン吉はもう死んでいて、現実にはもう存在しないのだ。


「ニャン吉、何で今頃・・・。」


洗面所にて大分草臥れた顔を洗いながら、私は思わずそんな事を口にしていた。


夢は吉兆を知らせるお告げともいうし、その使者としてニャン吉が選ばれたという解釈もできるだろう。だがこの何もない日常は、これからもきっと何もないまま継続していくに違いない。ならば何故、あいつは今頃私の夢の中に現れたのだろう?


そう考えた時に、私はふと死期の近かったニャン吉の顔を思い出した。


晩年のニャン吉は老いてヨボヨボになっていて、自分では歩けなくなるほどに衰弱していた。タオルに包まれてスポイドでミルクを飲まされている姿は、入院中の祖母の姿と重なった。


「幸せだったのかな・・・。」


ニャン吉の死後、幾度となくその事を考えた。

だが・・・考えれば考える程、分からなくなってくるのである。


大体、長く生きさえすれば幸せだというのは人間のエゴではないか。

家族に見守られながら死んだとはいえ、ニャン吉がその死に至る道のりは酷く苦しく、本当に長い道のりだった。自分も家族として、苦痛を和らげるための最大限の努力はしてきたつもりだが、最後の方にあいつが自分に見せた表情は、若かりし日に毎日キンタマを触られていた時の表情とは似ても似つかぬ、鬼気迫るような表情だった。それはまるで息をするのすらも苦しそうで、魂を肉体に繋ぎ止める事に必死になっている―――そんな顔をしていた。


その時、鏡を見ていた自分の頬には一筋の涙が伝って降りた。


「ごめんね・・・ニャン吉、ごめん・・・。」


思わず口に出た謝罪の言葉。


・・・この感覚は何?


罪悪感にも似た、酷く苦しい感覚。


ニャン吉の表情が忘れられない。

それを思い出す度に、私は心臓を握りつぶされるような思いがした。


彼の夢は心の棘となり、痛みを伴って―――

私の瞳からは絶え間なく涙が溢れ続けた。


洗面所に立ち尽くした私の涙が止まるまで、随分と長い時間を要した。




ニャン吉は本当に幸せな猫だったのだろうか。



ごめんね、ニャン吉。


キンタマばっかり触ってたこと、許してほしい。

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