第483話 こちらも、お悩みです

***


雨妹ユイメイが早めの寝落ちをしてしまった頃。

 立勇リーヨンミンの近衛二人はどうしているかというと、友仁ユレンが休む部屋の隣室にて、バクラヴァをつまみにして軽い酒を飲んでいた。

 立勇が台所を訪ねて、バクラヴァに合う酒をポルカに聞いてみたところ、ちょうど合う品を渡してくれた。

 お役目があるので酩酊してしまうまで飲むわけにはいかないが、寝付きが良くなる程度に飲むならばいいだろう、ということでの酒盛りとなったのだ。

 ちなみに胡安はあまり酒を好まないとのことで、胡霜と二人でお茶をお供に楽しんだようだ。


「ふむ、美味いな。うちの婆が好きそうだ」


明がバクラヴァをひとつ口に放り込み、酒をちびりとやってから、しみじみと呟く。

 確かに明家の家人の老女は、訪ねた際にいつも手土産を楽しみにしている印象がある。


「不思議な食感で、癖になります。

 恐らくは雨妹あたりが、作り方を聞いてくるでしょう」


立勇も同じようにバクラヴァと酒を楽しみつつ、そのように述べる。

 そして想像するに雨妹はきっと、仲の良い台所番にこれを作ってもらおうと画策しているだろう。

 バクラヴァには黄油をたっぷりと使っているようだが、下っ端宮女の手に入るものではないので、その代替材料もしっかり考えている気がする。

 こうしてしばし、立勇と明はボソボソと会話をしながら食べていたのだが。


「なんだ、浮かない顔をしているな。悩みでもあるのか?」


明が立勇に指摘してきた。


「悩み、といいますか……」


立勇は眉をひそめて言葉を濁す。

 どうやら心の内が、顔に現れていたようだ。

 それを言い当てられたのは立勇の未熟故か、明の年の功故か、果たしてどちらだろう?

 しかし明が親切にも水を向けてくれたことは察したので、立勇は悩みを口にしてみることにした。


「雨妹が頼りになる娘であるのはわかるのですが、それでもシェン殿下のお考えは不可解に過ぎます」


皇子の意見にみだりに否を唱えては不敬を疑われるため、立勇としても言動は慎重にならなければいけない。

 しかしそれでも、言いたくなるのだ。


 ――この件は、雨妹を頼らなければならないのか?


 あの沈の手腕だけで、なんとでもできるのではないかと、そう疑ってしまう。

 その上気になるのは、あのリフィと雨妹の身の上に類似が見られることだ。

 いや、辺境という過酷な場所に赤子の頃から追いやられた雨妹と比べれば、リフィの身の上はまだぬるま湯であろう。

 しかしその身を軽んじられた王の娘という点において、辺境へ放逐された公主である雨妹と重なるものがあるのは否めない。


 ――この件を追及していると、雨妹の古傷を抉ることになりはしないだろうか?


 それを懸念している立勇は一度だけ、雨妹の涙を見たことがある。

 あれは、皇帝が「雨妹」という名前の意味を語った時であったか。

 あのような元気の塊のような娘であっても、やはり親を恋しがる気持ちがあったのだ。

 どれだけ大人顔負けにしっかりしているように見えても、雨妹はまだ十代の小娘なのだ。

 あの年頃であった己を振り返って考えても、まだまだ子ども心を捨てきれないだろう。


 ――まあ、食い意地への執着は子どもそのものか。


 そんなまだ子どもの雨妹に、沈は無理矢理手柄をたてさせるような真似をして、一体なにがしたいのだろう?

 その目的が雨妹の公主としての身分の復活などだとしたら、当人は欠片でも望んでいるとは思えない。

 このように悩む立勇であるが、どこに耳があるかもわからない場で雨妹について迂闊なことを言えず、「不可解だ」という曖昧な表現に頼るしかない。


「ふむ、沈殿下に振り回されているな。

 それではあちらの思惑通りだろうよ」


明はそう言って杯の中身を空けると、手酌で酒を注ぎ足す。


「あの殿下はややこしい風に行動することを好む。

 生真面目に考え過ぎると、泥沼に嵌るぞ?

 あちらが一石二鳥を狙うものだから、狙われた方は相手の思惑を読み違える」

「一石二鳥、ですか?」


怪訝な顔になる立勇に、明は渋い顔をしてみせる。


「この揚州が抱える問題と、沈殿下個人の事情を混同するから大事に考えてしまう。

 国の大事に直面しているのは、まあ事実ではあるが。

 あのお人の本心は、そんな高尚なことで動いてはおらぬ……雨妹に拘る沈殿下の狙いは、政治的な思惑などではない」


明が最後をやけに自信たっぷりに断言したことに、立勇は驚く。

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