第343話 認めざるを得ない

ダジャがユウに命じられるまま都に向かったのは、皇帝に会えさえすれば己の身分の正しさを理解してもらえるのではと、そういう打算もあった。

 ボゥや宇が個人的に王子だと認識するのでは足りない、ちゃんと公的な身分としての王子である己を取り戻したかったのだ。

 その一方で、「このまま変わらないまま、昔を懐かしんでばかりいていいのか?」とささやく己もいるのも、また事実である。

 今更、把国の王子として身の証を立ててなんになる?

 把国はもう、ダジャが戻れる国ではない。

 けれど、これまで「王子として認められたい」と願い続けてきた思いを、今更捨てられないのだ。

 結果、静と合流したダジャは梗の都へたどり着き、供を連れた将軍に出会った。

 そこから上手く運命が転がり、思ったよりも早くに崔国皇帝と会うことも叶う。


 ――これが乱世を治めて国を手に入れた、英雄皇帝……!


 国主という存在でまず思い浮かぶのは、己の父王である。

 その父王と比べて、英雄皇帝のなんと覇気の強いことだろう。

 皇帝の心証を気にしたダジャは、通訳を介しての会話であることを利用して、出来る限り美談に聞こえるような言葉を選んだ自覚はある。

 それでも、皇帝はダジャを「王子として扱う」と言ってくれた。

 これでダジャの悲願が叶い、喜ぶべき瞬間であった。

 にもかかわらず、ダジャは何故か喜べずにいる。

 その理由は皇帝のあの目、宇が向けてくるものと似通っているように思える、あの視線だ。


 ――何故私はあのような目で見られるのだ?


 さらに、皇帝は去り際にダジャに囁いて行った。


「ただ国の駒となるべく育てられし者の末路に、そなたも陥るか」


『国の駒』という言葉が、妙にダジャの頭の中で鳴り響く。

 ダジャは国王となるために、そう言い聞かされて生きてきたはずだった。


「国王となる者は、さような事を考えてはなりませぬ」

「国王となる者は、細事に口を挟むべきではありませぬ」

「国王となる者は……」


思えば、幼少の頃にそればかり言われて育ったのだ。

 そうだ、難しい事は考えず、ただ頷くのが良い国王だと、教えられたのは要するにそういう事だった。

 これまで考えもしなかったダジャであるのに、ふいにわかってしまった。

 気になるのは、これだけではない。

 この崔国とて東国からの侵略の予兆があったのだと、ダジャは聞かされた。

 であれば、ダジャの故国と同じ条件ではないか? けれど都はこうして、未だに東国軍に侵略されることなく栄えている。

 把国と崔国、この両国の辿る運命を分けたのは、一体なんであったのか?

 それを知りたいと考えたダジャが引き合わされたのは、あの将軍の供をしていた娘であった。

 娘の強い目が、どこかあの東国の姫を思い出させる。

 そしてあの場にいる誰もが、娘に敬意を払う行動をしており、ダジャよりもあの娘の方が丁重に扱われていた。

 そう、また女だ。

 女がいつもダジャの周りをかき乱す。

 ダジャの心がドロリと澱んでいく――


『女人差別者』


けれど脳裏に響いた宇の言葉で、ダジャはハッと我に返る。

 己の過去に引き戻されていた心が、現実に意識が引き戻された。

 ダジャは気が付けばジンの手紙を見つめたまま、思考を迷わせ時間を経ていたらしい。


 ――また、やってしまった。


 ダジャはここしばらく、己の奥底にある心の闇と、光を欲してもがく心との狭間を、行ったり来たりと繰り返していた。

 そうしていると、いつの間にやら時間の感覚がなくなってしまうのだ。

 なにしろ今ここでダジャは一人で、命の危機はない一方で、考える時間は山ほどある。


『どうせいずれ滅びゆく国でしょう?』


また、あの東国の姫の言葉が思い出される。

 けれど今度は、己の心の澱みに引きずられることなく、言葉の意味を考えてみる。

 あれは「東国が把国を滅ぼす」という意味なのだとばかり、ダジャは考えていた。

 だがひょっとして、この考えは違うのだろうか?

 次いであの娘が言っていたことが、頭の中でぐるぐると渦巻く。


『近親婚を繰り返すと、問題のある子が生まれてくる』


これは冗談でも紛い事でもなく、崔国の歴史に刻まれた厳然たる事実であるという。

 「濃い王家の血を残す」のが最上の使命だと言い聞かされていたダジャは、これを否定したい。

 だが、告げられた近親婚の弊害というものは、どれも聞いたことがある――己の身に当てはまることでもあった。

 もしや東国の姫は、近親婚について知っていたのか?

 それだけではない、ダジャを責めた先代王妃もダジャの妃である従妹も、同様に勘付いていたのか?

 ひょっとして父王も。

 だからこそ、王妃が生んだ男児を王子として受け入れ、東国の姫を妃に受け入れたのか?

 あれは第二王子を格下として扱うためではなく、王家の血を残すための策であったのか?

 知らないのは、ダジャだけであったというのか?


『アンタは赤ん坊かなにかなの?』


疑問ばかりが浮かぶダジャの心に、宇の言葉が今更ながらに刺さる。

 本当に、己はなにも考えていなかったのだ。

 そしてダジャは今でも、こうして未だに兵舎の一角に見張り付きで押し込められている。

 時折明が語る静の様子の方が、よほど自由で大事にされていた。

 宇が言っていた通り、崔国にとっては静の方が重要人物であるというのは、本当だったということだ。

 ダジャのことは、むしろ転がり込んできた厄介事の種であるというのが、接してくる者の態度でも知れた。

 逆にダジャが把国の次期国王として、さして国交のない国から来た男と出会い「自分は王子だ、話を聞いてくれ」と言ってきたところで、果たしてまともに話を聞いただろうか?


 ――いや、話を聞いてくれて、こうして安全な暮らしを与えてもらえただけでも、幸運だったのだ。


 これまでだって、おそらくは同じように安息を得られる場所はあっただろう。

 けれどダジャは安息よりも、「王子であること」の方が重要だった――そう思い込んでいたのだ。

 この事に気付くまで、なんと時間がかかったことだろう。

 己の愚かさにダジャがため息を吐いた、その時。


 ガタン!


 ダジャの部屋の戸の向こうで、物音がした。


「……なんだ?」


今日は百花宮という皇帝の住まう宮の方で、大きな宴があるという。

 だからこちらには誰も訪ねて来ないと、そう言われていたのに。

 それでも戸の前には護衛というか見張りがいるので、完全にダジャ一人きりというわけではない。


「どうかしたのか?」


戸越に外の見張りに声をかけてみると、その戸がガラリと開く。


『お前は!?』


そして戸の向こうに見えた存在に、ダジャは思わず把国語が出てしまう。


***

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る