第324話 ちょっと休憩

「はぁ~」


外に出た雨妹ユイメイは、思わずそう息を吐く。

 皿を落とさないように、少しの傷もつけないようにと神経を尖らせていたせいか、一時の解放にドッと疲れが出たのだ。

 それはジンも同様だったらしい。


「なんか、疲れた……」


静はそう言うと、くたびれた様子でその場にしゃがみ込んでしまった。

 失敗しないようにと気を張っていたのが、ぷつりと緩んだのだろう。

 その静の様子に、雨妹も「わかる、わかる」と頷く。


「あれでしょ、体力よりも気持ちが疲れるの。

 そういうの、気疲れっていうんだよ」

「気疲れ、そうかも、気疲れしたんだ」


雨妹の説明がしっくり来たらしく、静が何度も「気疲れ」を繰り返していた。

 ところでこの静は今の所、目の前に積まれた皿を気にするのに精いっぱいで、花の宴を全く楽しめていない。

 花の宴は確かに疲れるけれど、楽しいこともある催しなのだから、静にももっと楽しんでもらいたい。


「静静、せっかくの花の宴だし、美味しい物をちょっとつまみに行こうか」


雨妹がそう提案すると、静が驚いた顔になる。


「え、私たちが食べるものがあるの?」


静はどうやら用意されている飲食物は、全て偉い人たちのものだと思っていたようだ。

 確かに雨妹たちが皿を運んだ卓はそうなのだが、雨妹たちのような下っ端のために用意された料理だって、ちゃんとあるのだ。

 しかし、宴の終盤にならないと、ほとんど手が付けられることはない。

 その理由はというと。


「私たち下っ端はたくさん飲み食いしたくてもね、洗手間という大きな問題があるのよ」


そう、皆は洗手間――すなわちトイレに行くのが面倒なため、できるだけ飲み食いしないようにしているのである。

 なにせ後宮の全員が動員される宴である。

 飲食をしたら当然洗手間に行きたくなるのが自然の摂理というものだが、後宮の全員を受け入れる洗手間が庭園の近くにあるとは限らない。

 というか、あるはずもない。

 その上洗手間を使う順番とて、当然身分差が適用される。

 つまり下っ端宮女が洗手間を使うには、なかなか条件が過酷なのだ。

 それ故に去年の雨妹は遠くの洗手間に行くしかなくて、その道中で例の皇子に捕まったわけだが。

 そんなわけで、洗手間からあぶれた者は、我慢がきかないならば最悪、近くの草むらで用を足すことになる。

 けれどここで問題になってくるのが、後宮は全て皇帝の所有物であるということだ。

 皇帝の所有物を糞尿で汚すことは、当然罪となる。


 ――まあ我慢するか、事前におむつを穿くっていうことになるよね。


 しかしおむつを穿いたとて、排泄物の臭いという問題も同時に発生するため、完全な問題解決とはならない。

 それゆえ下っ端は洗手間に行かずに済むように飲食を制限するのだが、去年の雨妹はその飲食の制限に失敗した例と言えようか。

 そして花の宴の終わり頃になると下っ端はその卓へ殺到し、これまでの分を取り戻すかのように飲み食いするのだ。

 しかし今年、雨妹はこうやってつかの間の自由時間を手に入れた。

 これを楽しまずして、どうするというのか?

 それに皿洗いの手伝いに任命されたおかげで、去年よりも洗手間に行きやすくなった。

 なにしろ皿洗い場が洗手間と近い上に、こちらは作業場になるので偉い人たちは入ってこない。

 つまり空いている洗手間なのだ。


 ――最高じゃん、皿洗い仕事って!


 一人勝ち誇る雨妹の一方で。


「ふぅん、なんか大変だね」


洗手間の過酷さを力説された静はそう呟くだけで、雨妹の熱がいまいち伝わっていないようにも見えた。

 洗手間に間に合わないかもしれないという危機感は、その状況に直面しないと理解できないものかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る