第306話 逆風

 ――私、最初から受け入れられていた気がするんだけど?


 言われた内容と自身の経験との齟齬に、雨妹ユイメイは首を捻る。

 これに、立勇リーヨンが語るには。


「雨妹、お前が受け入れられた理由はジャン貴妃への無私の行いもあるが、背後にどの家の思惑もなかった、という点が最も大きい」


ということらしい。

 けれど、確かに雨妹が太子宮の太子の所へなにかの拍子にお邪魔する時には、いつも立彬リビン秀玲シォウリンの姿しか見えず、他の人を見たことがない気がする。


 ――近くに置く人を選ぶ、っていうのはあるのかも。


 けれどいつも穏やかに笑っている印象の太子が、孤独を好む人だったとは驚きだ。

 そう思う雨妹に、立勇は話を続ける。


明賢メイシェン様が立太子なされてこれまで、大きく情勢が動くことは表立ってなかった。

 悪い言い方をすれば、太子の椅子に座っているだけでも許されていたのだ。

 しかし、仮想敵国が仮想ではなくなってくると、そうはいかなくなる。

 ここのところ、武門派閥の強硬意見が強くなってきているという。

 『やはり皇帝は腕っぷしが強くあるべきで、武に長けた者が皇帝となるべきだ』とな」


なんと、物騒な話になってきた。


「えぇ~? 『戦争やろうよ!』っていう人が皇帝になるの、私嫌なんですけど。

 世の中、平和が一番ですって」


雨妹の文句に、「私に言うな」と立勇が眉をひそめる。


「私とて正直同様に思うが、武門派閥は戦があってこそ栄光が得られるのだから、いつだって戦がしたいものだ」


立勇が尤もな事を述べた。


 ――ふへぇ、脳筋集団め!


 しかめっ面でかろうじてそんな文句を飲み込む雨妹に、立勇は深刻な表情を見せる。


「それに現状、戦時となれば後ろ盾となる青州の援護が少々弱いところは否めない。

 そのあたりをどう補うのか、明賢様の手腕が問われているのだろう……なまじ、今代陛下の戦強さが際立っているものだから、明賢様には苦しい意見が多いのだ」


なんとも、難しい話を聞いてしまったものだ。


 ――むぅ、『皆で仲良くやろう!』っていうわけにはいかないのかぁ。


 雨妹は政治なんていうものだと、華流ドラマの考察というものであれば好きだが、現実はもっと複雑であるらしい。

 雨妹のような下っ端だと、権力とは万能なものだと思ってしまうが、どうやらそうでもなさそうである。


「太子殿下に対して、なかなかに逆風なんですねぇ、今って」


雨妹がボソリとそう零すのに、けれど立勇から「お前が落ち込んでどうする」と言われてしまう。


「明賢様は決して弱い方ではない。

 きっと己の道を見つけ出されることだろう」


そう言って目を細める立勇は、なんだか優しい慈愛の顔をしていた。

 それがなんだか――


「立勇様って、雛の旅立ちを見守る親鳥みたいです」


思わずそう零した雨妹に、立勇が眉を上げる。


「それは、褒められているのか、それとも貶されているのか?」

「褒めているんですよ、もちろん! 愛情深いなぁって!」


こぶしを握って力説する雨妹に、立勇は疑わしい様子であったが。


「そうだ、会えた時に渡そうと思っていたところであった」


そう述べた立勇が、懐から手のひら程度の長さの細い包みを取り出した。


「お前のことだ、今年も用意をしていないのではないか?」


そう言いながら、立勇が明けた包みの中身はというと。


「あ、簪!」


赤い花飾りの簪である。

 確か去年もこうやって貰ったのであったと、雨妹は思い出す。

 その簪はちゃんと大事に仕舞ってあるのだけれど。

 貰ったのは立勇ではなく立彬の方である点は、今は省いておこう。


「あの、去年いただいたものもありますよ?」


雨妹は去年のものよりも花飾りが大きな簪をしげしげと見ながら、立勇に問う。

 すると立勇が少々顔をしかめてから言うには。


「……あれは、少々悪い思い出がついたものだ。

 なので気分を新たにしたいかと思ってな」


立勇とは、なんという気遣いの男であろうか。


「ふへへっ、ありがとうございます!」

「年頃の娘が、妙な笑い方をするものではない」


簪を大事に握る雨妹を、立勇が小突いてくるのだった。

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