第240話 やって来た男

 ――来たな!


 雨妹ユイメイはその声がそのうちに姿を現すだろうと思っていた人物のものだけに、心の中で構えつつ、顔はにこやかな笑顔を作る。


立彬リビン様、こんなところまでどうしたんですか?」


そう、声の主は立彬であった。

 手になにかの包みをもって、雨妹たちがいる回廊の向こうに立っている。

 雨妹の近況に変化があれば、何故かそれを嗅ぎつけてやってくるのが、彼なのだ。


「お前を探してのことに決まっているだろう」


立彬は雨妹にそう返すと、こちらに寄ってくる。


「一人だけ時期から外れて来た新入りを、お前が指導するという噂を聞いたのでな、どんなものかと様子見に来たまでだ」


「それはそれは、耳が早いですねぇ」


思った通りの理由だったので、雨妹は「この男も結構な野次馬ではないか」と言いたくなる。

 いや、立彬の場合、彼自身の考えで動いているわけではなく、上司の意向だろうから、野次馬なのは太子の方だろうか?

 立彬の登場に、掃除でくたびれてヘタっていたジンが雨妹の後ろに隠れるようにする。

 静は掃除中に他の宮女や女官、宦官が通りかかってもこんな態度をとらなかったのだが、もしかして武人としての立彬の気配を感じ取っているのかもしれない。


 ――立彬様って、近衛としての自分のことを上手く隠しているようで、微妙に隠せていないもんねぇ。


 雨妹はそんな風に考えながら、とりあえず立彬と静の間を取り持つ。


「立彬様、この娘が来たばっかりの新入りです。

 静静、この方はワン立彬様というちょっとした知り合いで、太子殿下のお付きの方だよ、ご挨拶してね」


「……太子殿下の、お付きか」


雨妹に説明されて、静が小声でそう独り言のように呟いて立ち上がる。

 しかしその表情が少々、いやかなり堅い。


何静ホー・ジン、です」


そしてぶっきらぼうとも聞こえる調子で名乗る。


 ――もしかして、昨日の李将軍や楊おばさんとの話を気にしているのかな?


 あの時の会話に口を挟まなかった静だったが、「太子のお付きの立彬に注意する」ということだけを覚えていたのだろうか?

 一方の立彬も、「何静」と聞いてかすかに眉をひそめる。


「何……?

 いや、他にも聞く姓ではあるか」


こちらもまた独り言のような立彬の呟きを、雨妹は「なんの事だかわかりません」という顔で聞き流す。


 ――やっぱり、真っ先に苑州の何家を思い浮かべたんだろうなぁ。


 時期が時期だけに、すぐにあちらを連想するのは仕方ないだろう。

 そしてこの宮城にも「何さん」は多くいるだろうし、彼らにとって昨今の情勢は迷惑なことだ。

 そんな緊張感が漂う両者の間で、雨妹は朗らかな態度で立彬に話す。


「静静はですね、すっごい田舎から出て来て山越えの道が悪かったから、春節前に来た新入りの集団に合流できなかったんですって。

 私としては、田舎ってことに親近感がありますよねぇ」


「なるほど。

 年末には山手で大雪が降った地域が多かったらしいので、そういうこともあるだろうな」


雨妹の言葉に、立彬は特に疑いを持たなかったらしく、こう言って頷く。

 静が山越えしてきたのは嘘ではないので、立彬から本人に対して追及されてもボロが出ないだろう。


「それにしても、お前も世話役に出世したわけか。

 目出度いな、おめでとう」


静のことから話が逸れて、立彬が雨妹にお祝いを告げた。


「ありがとうございます!

 けど出世は程々がいいと思っていますので、ぜひ妙に推薦しようとか考えないでくださいね!」


しかし、雨妹はお礼を言いつつも、大事なところに釘をさす。

 これで変に「出世の手伝いをしてやろう」なんて親切心を抱かれては困るのだ。

 この雨妹からの注意に、立彬が呆れ顔になる。


「お前は……。

 普通人脈を得たら、出世に利用しようと考えるものだぞ?」


そんな一般論を言われても、雨妹としても困るのだが。

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