第195話 とても痛いモノ

辣椒ラージャオとは、前世で言うところの唐辛子だ。

 催涙スプレーに使われるくらいの刺激物なので、細かい粉にしたものをかけられたら、それは酷いことになるのは必至である。

 チェン雨妹ユイメイに指摘され、フンフンと香りを嗅ぐ。


「確かになにかの香がするか。

 それにしても辣椒とは? 聞き慣れん名前だな」


陳はどうやら辣椒を知らないようで、薬としても入ってこない代物なのだろう。

 この陳の疑問に答えたのは、立彬リビンだった。


「辣椒とは、非常に高価な食材です。

 花椒に似たピリッとした風味のもので、東方の国からの捧げものとしてしか手に入らず、明賢メイシェン様のお食事でも滅多に使われることはありません」


立彬の説明によって、雨妹もこの国での辣椒の扱いを知れた。

 立彬の方が辣椒について情報があったとは、さすが太子ともなると珍しい食材を見る機会が多いようだ。

 中秋節のお月見でドゥが香辛料のきいた月餅を持ち込んだが、やはりあれも相当貴重なものであったらしい。

 つまり陳と立彬の話だと、辣椒は一般人が持つことなんてできない代物で、ましてやそれが刑部に収容されていた人物が持っていたということである。


 ――事件の臭いがプンプンするな!?


 雨妹は揉め事の気配のドキドキと、華流ドラマオタクとして考察したい気持ちからのドキドキで、心臓を忙しくさせる。

 そんな雨妹をよそに、立彬が男に問いかけている。


「その粉とやらは、もしや建青ヂィエン・チィンが使用したのか?」


これに男は眉間に皺を寄せて、一瞬間を置いてから答えた。


「……隠し立てしても無駄か、そういうことだ」


男が肯定したことで、やはりあの時建の背後で起きていた騒ぎは、この患者のことだったのだ。

 おそらくは建のもっとも間近にいて、まともに辣椒をかけられてしまったのだろう。

 建は太子でも滅多に見ない辣椒を持っていて、それはケシ汁所持の状況と似ている気がする。

 しかしその謎を追求するのは別の人の仕事であり、今の雨妹は陳の手伝いだ。


「花椒であっても、吸い込んだり目に入ったりするとそりゃあ痛いもんだ」


「それが辣椒であれば、花椒の何倍も痛いはずです。

 目についたものや、鼻や喉から吸い込んだものが炎症を起こして痛いんでしょう」


陳の言葉に、雨妹は補足する。

 辣椒の香りが残っているということは、辣椒の粉を払った程度で、洗い流すなどはしていないのだろう。

 それではいつまでも痛むはずだ。


「となると、かかった粉を洗い流すしかないな」


「それしか対処方法はないですね。

 洗うのはお湯ではなく、水浴びをするようにしてください。

 温かいお湯で洗うと、余計に痛くなったり影響が長引くことになりかねませんから。

 喉の痛みは水でうがいをしてください」


陳が出した答えに続くように、雨妹もそう話す。


「なるほど、ならば沐浴場を開けさせよう」


男は陳と雨妹の話を聞いて、即座に沐浴場の使用の指示を出した。

 大量の水を使って洗える場所であるので、お湯ではなく水浴びでもそれがいいだろう。

 もうこの時期だと水浴びでは寒いだろうが、そこは我慢してもらうしかない。

 雨妹はさらに注意事項を述べる。


「洗う際に、辣椒で痛む患部をこすらないように注意してください。

 肌にすり込まれて痛みがひどくなりますから。

 洗い流せば、長くても一日で痛みは収まるはずです。

 あと、粉をかけられた際に一緒にいた方や、この患者さんに触れた方も、手に辣椒がついているかもしれませんから、安易に目などに触れないようにして、やはり水浴びしてくださいね」


「なるほど、わかった。

 その場にいたものや関係者を集めろ」


この雨妹の指摘を聞いて、男がすぐさまそう周囲に言う。


「辣椒とは、このような大事をもたらすものだったのか」


立彬が後始末の面倒さを目にして、青い顔をしてこう漏らす。


「ピリッとして美味しいんですけどね、そのピリッと感が刺激成分でもあるんです。

 台所の人はおそらくはこのあたりのことを教えられているんでしょうけど、取り扱い注意の食材には違いありません」


雨妹は立彬にそう解説する。

 前世でも、雨妹は知り合った唐辛子を作っているという農家の人から、唐辛子を粉にする作業では手袋と目を保護するゴーグルやマスクなどが必要だと教えられたことがある。

 彼らのように扱うのに慣れていても、注意が必要な食材なのだ。

 その後、そこそこの人数が急遽沐浴場で水浴びすることになった。

 おかげで沐浴場は満員だったようだが、辣椒をかけられた人たちは無事に粉を洗い流すことができたという。

 それにしても辣椒粉爆弾を持ち出すとは、ケシ汁騒動を引き起こした相手は、雨妹の想像以上にやっかいな存在なのかもしれない。

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