第184話 彼女の疑惑
彼女の才能が開花したのならば喜ばしいことだ。
しかし
何故なら、彼女の琵琶は他の琵琶師のものと比べて綺麗だったからだ。
「琵琶っていうのは、使えば使うほど傷が増えるものさ。
最初は頻繁に弦を切るのを繰り返し、どのくらいの力加減なら上手く鳴ってくれるのかを確かめ、ついた傷を補修しながらやっていく」
そう述べる徐によると、腕の良い琵琶師の琵琶は、傷の補修のために磨きを重ねて色合いが変わっているらしい。
しかし彼女の琵琶は、その段階に至っているような見た目をしていないのだそうだ。
未だに弦が切れないように上手く弾くのが苦手な彼女に、果たしてあのような音が奏でられるのか? と不思議に思ったという。
「へぇ、そんなものなんですね、楽器って」
思えば楽器を弾く宮妓にとって楽器は己を証明するものだ。
楽器によって自身の未来が決まるのだから、手入れも念入りになろうというもの。
その点、彼女はまだ「お嬢様の習い事」の感覚が抜けてなかったということかもしれない。
それでもお膳立てがあったとしても、独奏を任せられるほどの才能があったのだろう。
しかしその腕を生かすも殺すも、本人次第なのだ。
そんな習い事の琵琶を持っている彼女が突然熟練の琵琶弾きのような音を出せば、怪しむのも無理はない。
「けれど、その疑問をアタシは一旦飲み込んだ。
他人の才能を疑うなんてあってはいけない、それは堕ちていくきっかけになる」
そう告げる徐は、宮妓になってから幾人もそうした者を見てきたという。
――まあ楽師としての腕が一流なのと、心が強いのは別問題だものね。
誰かが病気や怪我で楽師の頂点から脱落したら、その頂点に他者が代わりに上ることになる。
楽師の腕が身を立てる唯一の手段である宮妓に、他者の不幸を望まない気持ちを持ち続けることは、おそらくは大変な苦労を伴うに違いない。
そして徐がその不幸の泥沼に堕ちなかったのは、徐の目的が宮妓としての出世ではなく、あくまで恋人の戻りを待つことだったからなのかもしれない。
そんな徐の気持ちをよそに、彼女はやがてその琵琶の音で、再び独奏を任される琵琶師になった。
しかし徐と同じような疑問を抱いた他の宮妓から、彼女に対しての不満が出てくる。
それは「なにかズルをしているのではないか?」ということだけではなかった。
「あの子の琵琶が上達しただけなら、そこまで問題なかったんだよ。
けど、その頃から妙に気持ちが不安定っていうか、おかしな言動をすることが増えたものでねぇ」
一体どうしたのか、急に練習をし過ぎておかしくなったのか?
アレが独奏を任される琵琶師の頂点だなんて、教坊の恥ではないか、などと噂が飛び交う中、徐は気になる話を聞いたという。
「あの娘と部屋が近い娘から聞いたんだけど、最近見慣れない商人が頻繁に顔を見せていたそうなんだ」
徐が告げた話に、男が「なに?」と声を上げる。
「教坊の出入り商なら、決まった店しか許可されていないはずだが」
「そうなんですか?」
男の言った内容に雨妹が問うのに、徐からの解説が入る。
曰く、宮妓は楽器の手入れ道具やら、歌手であれば喉を守るためのアレコレやら、宴に出る際の衣装やら、それなりに金をかける必要がある。
もちろんこれらは教坊から経費として出るもので、つまり商人からすると宮妓とは取り損ねのない客なのだ。
そして当然、一流の大店ばかりが出入りを許されていた。
しかしある時から聞き慣れない店の商人が混じるようになり、その商人を彼女が懇意にしているのだという。
「聞こえた話によると、どこかの宮から紹介された商人みたいだけど、どこの店から来たのかアタシには聞き覚えがないんだ」
かつては大店の娘であった徐であるので、宮城に出入りする店のことは当然全て知っていた。
なのにその商人が名乗る店に聞き覚えがない。
そして耳を澄ませて話を集めた結果、どうやらその商人はどこぞの大店に頼んで、よその店の者が紛れ込んだらしいとわかったという。
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