第134話 弾けない

女の言葉に、雨妹ユイメイは眉をひそめる。


「琵琶を弾けないのですか?」


雨妹が確認のように尋ねたのに、「ああそうさ」と女は頷く。


「アンタだって昨日見ただろう? アタシの醜く腫れた手を。

 こんな手で、琵琶を弾いたところでお偉方を不快にするだけさ」


そう言って女は、袖に隠していた手を露わにしてみせた。


 ――ふむ……。


 雨妹は先日、一瞬だけしか見れなかったその手を観察する。

 女はその手を醜いと評したが、雨妹が見たところだと、腫れてはいるがまだ軽度な方だろうか? という気がする。

 楽師や職人のような手に繊細な動きが要求される人たちならばともかく、そうでなければ、多少手が痛んで不便だという程度かと推測された。

 まあこの多少の不便が積み重なって心労に繋がっていくので、決して軽んじてはいけないのだが。

 つまりなにを言いたいのかというと、女は今治療すれば治るかもしれないのだ。


「その手は、お医者様にかかって治療をしているのですか?」


雨妹の質問に、女はしかし馬鹿にするような顔になる。


「妓女ごときに、医者を呼ぶ馬鹿がどこにいるっていうんだい?」


自身を「宮妓」ではなく「妓女」と称した女の言葉に、雨妹は驚く。


「そんな! 女官であっても宮女であっても宮妓であっても、医者にかかっていいはずです!」


雨妹の意見を聞いて、女が「フン」と鼻を鳴らす。


「そりゃあ綺麗事さね。

 アタシらは所詮、妓女の中でも代わりなんざいくらでもいる楽師なんだから」


「……!」


雨妹は女の自らに対する言い草に、言葉にならない。

 楽師が代えがきくだなんて、そんなことがあるわけがないだろうに。

 上等の楽師であればなおのことである。

 しかも女は自らを「妓女」と言った。つまりここ百花宮では、宮妓であってもそういう扱いを周囲から受けているということだろう。

 それに実際の話、宮妓たちの皇帝や太子に対する閨仕事は禁じられているが、それ以外の人々との閨仕事であればさほど騒がれることもない。

 そして男であるなら百花宮には大勢の宦官がいて、閨事とは子作りの行為だけを指すものではないのだから、やりようは色々あるのだ。

 そうした役目を求められれば、宮妓側から断るのは難しいのだろう。

 この国でのこうした彼らの身分の低さが、女にこんなことを言わせてしまっているのだろうか。


 ――役に立たない宮妓に、食べさせるご飯はないってか!?


 雨妹はそう憤慨する一方で。

 身分云々とはまた別に、女の園だからこその嫉妬というのもあるだろう、とも冷静に考えもする。

 楽師、特に優れた楽師はその技術で人々を魅了するものだ。

 その力は、技術を持ちえない他の人々からは嫉妬の要因となり得るのである。

 これが、特に優れているわけでもない平凡な腕の楽師であるなら、おそらくは宴席の背景程度の認識で気にも留められないだろう。

 つまり、女はその楽師としての腕の確かさで皇帝をも魅了したことから、他の百花宮の女たちから脅威と見なされ、病で調子を崩したこの隙に排除されそうになっているのだろう。


 ――そんなに凄いのかなぁ、この人の琵琶って。


 雨妹としては是非に聞いてみたいところだ。

 そしてこの状況が皇帝に届いているかは謎だが、難しいことはわかる。

 なにせ百花宮にいる女の数は膨大で、それらの中で特に気にかけている女の数もそこそこ多いはず。

 その全員の現状を把握するだなんてことは、前世のコンピューターで情報管理されている世の中であるならばともかく、情報伝達手段が人の口しかないこの国では無理難題なことは理解できる。

 それに、「気に入りの楽師」という立場の優先順位が、他に比べて低いことも否めないだろう。

 これが愛妾であるならばともかく、普通に楽師として呼ぶなら、接する機会は宴でしかない。

 そこで「あの者は体調が悪い」と言われれば「そうか」となるのも当然の流れで、やってせいぜい見舞いの品を送るくらいか。


 ――む~ん、難しいぞ女の園!


 雨妹は改めて百花宮で目立つことの危険性を認識したところで。

 今考えるのはこの女をどうすれば治療させられるか? ということだ。

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