第82話 便利なもの

というわけで、雨妹は三輪車の試乗のため、場所を移して近くの少し広い道へとやってきた。

 周囲から「なんだなんだ」と声が上がるが、胡を見ると「ああ、アイツか」といった声が聞こえてくる。

 どうやらこの胡は、変人と思われているようだ。ともあれ三輪車を走らせてみようと、雨妹は箱に跨る。


 ――うーん、安定感がイマイチだなぁ。


 これは三輪車というより、一輪車に余計な車輪が後ろにくっついていて、辛うじて後ろに倒れないように支えられている感じだろうか。

 しかもハンドルのような握り手がないため、体勢を安定させにくい。


 ――まあ、一輪車も乗れるからいいけどね。


 前世での子供の頃、一輪車の大流行があり、友人と競うように乗ったものだ。

 そんなことを思い出しつつ、雨妹は安定感の悪い三輪車の踏み板に足の力をこめると、多少ヨロヨロしながらも走らせる。


「おぉ!? 動くじゃねぇか!」


雨妹の走らせる三輪車に、胡が興奮した様子でついてくる。


「ほぅ」


立勇も感心したように眺めている。

 一方の雨妹はというと。


 ――お尻が、お尻が痛い!


 なにせ雨妹が座っているのはただの木箱で、衝撃を吸収するものが一切ない。

なので地面がむき出しの道を走らせると、その衝撃が直にお尻に響く。そしてやはり走り辛い。

 お尻が限界になり、雨妹は三輪車を止めて降りる。


「すげぇなおめえ!」


そこに興奮した胡が駆け寄ってきて、雨妹の背中をバンバンと叩く。


 ――やめて、今はお尻に響くから!


 雨妹はお尻を守るために慌てて胡から離れると、立勇の背後に隠れる。


「動くのはわかったが、しかしこれがなんの役に立つ?

 走った方が早いぞ」


雨妹に隠れる壁代わりにされた立勇は、三輪車を見てなおも懐疑的である。


「速度は、これからの改良次第だと思いますけど」


雨妹の意見に、しかし立勇の顔は渋い。


「それでも、馬に敵うわけもあるまいに」


この言葉に、胡が「わかってねぇなぁ」とぼやく。


「これにゃあ、馬にない利点があるんだぜ?

 なにせ馬代や餌代が要らないんだからな」


「はぁ……」


胡の話に、しかし立勇は首を捻っている。


 ――まあ、これで「馬が要らない」って言われてもね。


 到底馬と張り合えない完成度なので、ピンと来ないのもわかる。

 しかし日本の自転車を知っている雨妹としては、この三輪車が大いなる一歩に見えるのだ。

 そして、今まさに求めているモノでもあるのだから。


「胡さん、これを使って作ってほしいものがあります」


「そう言やぁ、利民に言われて来たんだったか。

 なにを作れってんだ?」


「あのですね」


三輪車効果なのか食いつきのいい胡に対し、雨妹はにんまりと笑って詳しい話を始める。


「ふぅん、なるほどなぁ。

 分かるような分からんような」


雨妹の説明に胡は首を傾げながらも、作る約束をしてくれる。

 そして雨妹はついでなので、「乗ってみた感想」という体で、この三輪車モドキについての改良点を述べてみた。


「この前輪の上に、持ち手をこんな感じで付けてくれたら、乗りやすいかなと。

 そして座る所をもう少し後ろにずらしてですね……」


そう話しながら雨妹が地面に指で絵を描いて見せたのは、まさしく日本の三輪車の図だった。


「なるほど、この持ち手で方向を変えるのが簡単になるってわけか」


胡はブツブツ言いながらも、雨妹が描いた図にじっと見入っている。


 ――うんうん、その調子で頑張って作ってね!


 後輪を動かす日本の自転車と違って、これは子供用三輪車のように前輪を動かす作りだ。後輪を動かす自転車を作ろうとすると、チェーン回りを開発しなければならなくなる。

 けれどそんなものでなくても、今の時点ではこれで十分ではなかろうか。

 そして完成した暁には、雨妹も一台欲しいものだ。

 三輪車があれば後宮内での移動が楽になるのは間違いない。

 ついでに荷台をつけてもらえれば、掃除道具だって持ち運びが簡単だ。


「これが、そんなにいいものか?」


一人納得できていない立勇だが、軍人でお坊ちゃまな生まれであろう彼なので、庶民よりも馬が身近な人間だ。

 ゆえにこの新しい技術が、馬に勝ると考えられないのだろう。

 そんな約一名を置いてけぼりにして、それから数日が過ぎた。

 今日は、再び胡の元を訪れる日である。


「どんなのが出来てますかねぇ?」


立勇をお供にした雨妹はワクワク顔で、胡の家に向かっていた。


「どんなもんなのか、いまいちわからん」


その後ろでそう言って首を捻っているのは、利民である。

 どうやら雨妹がなにを注文したのか気になって仕方がないようで、自ら見に来たのだ。

 黄家の若様という身分なのに、腰の軽い事である。


「おぉーい、胡さぁん」


雨妹が相変わらずボロい家に向かって呼び掛けると、中から「おう」と返事があった。

 そして戸を開けて出て来た胡は、ちょっと得意気な顔をしている。


「注文の品、出来てるぜ」


胡がそう言って指差した先にあるのは、車輪が一つだけついていて、あとはそれを動かないように固定する台があるだけのものだった。

 持ち手が身体を支えるようについていて、座る部分はむき出しの箱ではなくて綿が詰められてる革張りの座席となっている。


 ――うんうん、だいぶ近いんじゃないの!?


 雨妹が胡に頼んだものとは、ずばりエアロバイクであった。

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