第75話 船酔いしました
雨妹たちが乗っているのは漁のための舟、つまりは大きなものではない。
そんな足場の少ない舟の上を、立勇はまるで舞うように動く。
漁船に集ろうとしていた連中は水飛沫を上げて海へ逆戻りし、立勇の刃をくらった者からは血が流れているのが見て取れる。
「なんだ、強ぇぞコイツ!?」
海へ落とされた男が、もがきながらそう漏らす。
「今、港にはろくな戦力がいないんじゃあなかったのかよ!?」
また別の男がそう喚く。
――うん?
なんだか連中が聞き捨てならないことを言っている気がするのだが。
雨妹が立勇をちらりと見れば、あちらも厳しい視線を海に突き落とした賊たちへ向けている。
「余裕があれば捕らえたいが……」
立勇がそう呟きながら、舟を見る。
引き揚げた人たちで満員なので、残念ながら賊を確保する隙間はない。
「まあいい、目的は救助だ。多くを望むべきではないな」
立勇はすぐに意識を切り替えて、舟の主にこの海域から脱出するように伝え、自らも船の櫂を手に取る。
こうして雨妹たちを乗せた舟がゆっくり港に向かっていると、逆に港から出た大きな船が襲われた商船へ近づいている。
「お、利民様の船だ!
これで連中も引くだろうぜ」
舟の主が嬉しそうにそう言う。
利民は雨妹たちと同じくらいに港に着いたはず。
小さな舟と違ってああいう大きな船が動き出すには、当然時間がかかるだろう。
それを考えると、早く現場に到着した方だと言えるだろう。
「これから荒れるぞ、早く港へ戻った方がいい」
「おぉ、そうだな」
立勇の言葉に、舟の主が頷いて力強く櫂を漕ぐ。
雨妹が商船の方を見ると、海賊の船は利民の船を見たとたんに退却を始めている。
ずいぶんあっさりと逃げる様子に首を傾げつつ、雨妹は自身に起きた異変を察知する。
「……酔った」
「あれだけ揺れれば、そうだろうな」
青い顔をする雨妹に、立勇が冷静に告げた。
こうして怪我人と船酔いの雨妹を乗せた舟は、無事港へ到着した。
――うぅ、世界がぐるぐる回ってるぅ……。
怪我人と一緒に引き上げられた雨妹が、ぐったりとしていると。
「飲め、船酔いにいいらしいぞ」
誰かと会話をしていた立勇が、そう言って飲み物の入った器を差し出してきた。
「どうも、ありがとうございますぅ……」
雨妹はヨロヨロとその器を受け取る。
生姜湯に蜂蜜を混ぜたもののようで、その香りでちょっと気分がよくなる気がする。
そしてチビチビと舐めるように飲むと、生姜のすっきりとした風味がムカムカを流し、さらに蜂蜜の甘味が雨妹に元気を注入してくれる。
「美味しいぃ」
弱った身体に甘味が嬉しい。
ちょっと涙ぐみながら生姜湯を飲む雨妹に、立勇がホッとした顔をする。
「それが飲めるなら、大丈夫だな。
自分が揺れに強い質だから、あまり気分がわからなくてな」
立勇が困ったように話すのに、雨妹はそういう人っているなと納得する。
生まれついて揺れに強かったり弱かったりは、体質なので仕方がないだろう。
「私だって、舟に酔う質だって初めて知りました。
都までの旅では、なんともなかったんですけどねぇ」
雨妹は実は、前世でも船と縁がなかった。
移動はもっぱら電車か飛行機で、これらの乗り物では酔わなかったのだ。
船の揺れはそれらとはまた別次元だと、初めて知ったのだった。
「車と舟は、揺れ方が違うからな。
私も川の舟しか乗ったことがなかったが、存外揺れるので驚いた」
驚いたが酔わなかったのだから、立勇は相当に三半規管が強いのだろう。
そういえば近衛は馬に乗るのだから、あれこそ激しく揺れる乗り物だ。
乗馬で揺れに強くなったのかもしれない。
ともあれ、こうして生姜湯のおかげで復活した雨妹は、すぐに怪我人の手当てに取り掛かる。
すると「利民様が戻られたぞ!」という声が港に響いた。
――戻るのが早くない?
雨妹が首を捻りつつ海の方を見ると、襲われた商船と利民の船が港に接岸しようとしている。
隣で立勇が同じように、目を凝らして二隻の船を眺めていた。
「遠目だが、商船自体には被害がないようだな」
立勇がそんな感想を言う。
「そう言えばそうですね、特に壊れているように見えません」
海賊被害というと、船も乗組員も大打撃を受けるとばかり思っていたのだが。
そう不思議にしていると。
「そりゃあ、当たり前さぁ」
近くにいた漁師らしき男が、そう口を挟んだ。
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