第73話 話は両方から聞くべし

悪びれない利民の様子に、雨妹は眉をひそめる。


「潘公主は黄家に乞われたから来たのでしょうに」


「知らねぇよ、それこそジジィが勝手に呼んじまったんだよ」


どうやら潘公主から聞いた話と、利民の意見は違うらしい。

 薄情な気がするが、だがそもそも政略結婚なんてこんなものなのかもしれない。

 それに口は悪いものの、潘公主に対する積極的な悪意は見られない。

 雨妹がそう考えていると、立勇がさらに問いかける。


「では、潘公主がお身体を壊されたのは、知っていてああなるまでに放置していたのか?」


この追求に、しかし利民が目を剥く。


「いやいや、俺も驚いたんだって!

 最近ちぃっと海が立て込んでいてな、様子を見に戻れていなかった。

 それでも『なにも問題ない』って知らせを、屋敷の連中から受け取っていてな。

 それで安心していて、ようやく顔を見た時には、既に『ああ』だったんだ」


なるほど、留守をしている間に事態が悪化していたのか。

 立勇はこの意見に特に何も言わず、さらに追及を続ける。


「あの屋敷は、元々利民殿が住んでいたのか?」


これに利民は首を横に振る。


「元は親父のモンでな、俺は船や定宿で寝泊りだったんだ。

 それを『結婚を決めたから家を持て』ってんで、あそこを押し付けられたのはつい最近ってわけだ」


「屋敷の古い使用人は、その御父上の頃からいた者なのか?」


「いんや? 慣れた連中は自分の屋敷へ連れて行ったさ。

 だから残ったのは下っ端ばっかで、だから慌てて補充したんだ」


なるほど、利民自身もあの屋敷に慣れていなかったということか。

 屋敷住まいをしていなかったのなら、使用人の教育が出来ていないのも無理はないと思えて来た。

 利民はとりあえず仕事が出来る人達を呼び寄せ、これで屋敷の管理が回るだろうと考えたのだろう。

 けれど、人間関係というのは補充して終わりではなく。

 彼らをうまく馴染ませられる人間が、屋敷に残っていなかったのだ。

 ここまで話していたところで、店の者が機会を見計らっていたようにお茶を運んできた。

 雨妹たちは一旦追及を休止し、そのお茶で喉を潤す。


「しっかしよぉ、俺がせっかくお上品に取り繕っていたってのに、テメェらにはすっかりお見通しだったってか。

 公主サマには通じたんだけどなぁ」


利民が椅子の背もたれに仰け反るように座り、そう零すが。


「……そうですかね?」


これに雨妹は疑問の声をあげる。


「あぁん?」


すると利民がジロリと睨んできた。


「なんだよ、公主サマを庇う立場だってんだろうが、あの女がそんなに目端が利くわけないだろう。

 ちょっととろくさいしな」


そう話しながら柄の悪い笑みを浮かべる利民に、雨妹はじっとりとした目を向ける。


「利民様は、公主という人の立場をわかっていないようですね。

 後宮に生きる女には、相手の本音や思惑を察知する能力は必須です。

 それが公主という、後宮の女たちの中でも上位にあるお人に、備わっていないはずがないでしょうに」


雨妹の意見に、立勇も頷く。


「まあ、確かに。

 潘公主はそのあたりの立ち回りが上手なお方であった」


「……」


雨妹と立勇の二人して否定された利民は、むっつりと黙り込む。

 潘公主はおそらく、知ったうえで黙って見守っていたのだ。

 それが後宮で生きる上で、最良の方法だったから。

 そしてそうして我慢を重ねたせいで、身体を壊してしまったとも言える。


 ――この夫婦、決定的に意思疎通不足な気がするわ。


 特に嫌いあっているわけではないのに、お互いに遠慮してしまってすれ違うというわけだ。


「とにかく。潘公主は今お体を元に戻そうと努力していらっしゃるのですから。

 利民様もその様子をちゃんと見守って、お話をなさってください。

 お屋敷の中があのままだと、潘公主はまたお身体を壊してしまわれますよ」


雨妹の忠告に、利民は眉をひそめた後。


「あー、陸は面倒が多いなぁ。

 しゃーねぇ、帰るか」


そう言ってお茶をグイっと飲み干した時。


 バタバタバタ……


 個室の外から慌ただしい足音がしたかと思ったら。


「兄貴、てぇへんだ!」


そう言って飛び込んできたのは、若い男だった。

 船乗りの格好をしているので、利民の部下なのだろうか。


「客人の前でうるせぇぞ!」


叱りつける利民に、男は「てぇへんなんだ!」と台詞を繰り返してから告げた。


「沖で商船が狙われて、交戦中だ!

 港から何隻か応援に出したが、分が悪い!」


 ――商船? 交戦中?


 突然もたらされた物騒な話に、利民が険しい顔になる。


「……俺の鼻先で、舐めた真似してくれるじゃねぇか。

 すまねぇ、帰るのは無しになった。悪ぃな」


そしてそう言い置いた利民は雨妹たちを見ることなく、急ぎ足で部屋から出ていった。

 やがて、静かになった室内で雨妹は呟く。


「ここのお会計は?」


あの様子で果たして、支払いを済ませて出ていっただろうか?

 この疑問に、立勇が冷静に言う。


「馴染みの店みたいだし、ツケが利くのだろうが。

 太子の使者が無銭飲食をするわけにいかんので、こちらで払っておくか」


こうしてお茶代と個室の使用代を合わせて少々多めの金を立勇が払い、店を出たのだが。

 雨妹も立勇も、自然と足が向くのは港である。

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