第65話 厨房にて

 それはともかくとして、なんの話だったか。


「使用人を御せていないって、潘(パン)公主のことですか?」


雨妹(ユイメイ)の疑問に、娘たちが去って無人となった廊下で、立勇(リーヨン)が立ち止まった。


「いや、そうではない。

 今はこの話よりも、厨房で料理長と話をする方が先だろう」


「まあ、それはそうですね」


早くしないと、夕食の仕込みが始まってしまう。雨妹はこの話が気になるものの、とりあえず目的である厨房へたどり着いた。


「すみません、少々よろしいでしょうか」


厨房近くにある井戸のあたりで野菜を洗っている、若い料理人の男に声をかけると。


「こんな所まで我が物顔で来るなんて、都育ちはずいぶん図々しいな」


そう言ってジロリと睨んでくる料理人に、雨妹は気にせず話を続ける。


「仕事の話をしたくて来たのですが、料理長はおられますか?」


「料理長はお忙しいんだ、フラフラと遊んでいる都育ちの相手をしていられるか」


けんもほろろな対応に、雨妹は「またこれか」と思ってため息をつく。

 この料理人に因縁をつけられるのは、実は二度目なのである。

 先だって宴の際に、欠席する潘公主の夕食をどうするのかを聞きに来たのだが。

 その際も、余所者は歓迎しないとばかりに追いやられそうになったのだ。

 第一辺境育ちの雨妹に、都育ちのが云々を語られても困る。

 それに宮女はむしろ都育ち以外の娘の方が多いはずだ。

 しかし屋敷に残った公主の客人に文句を言いたいだけのこの料理人にとって、そんな事実誤認は些細なことなのだろう。

 前回はそれでもなんとか料理長と話をすることができたのだが、さて今回はどうするか。

 雨妹が頭を悩ませていると、立勇が一歩前に出た。


「ほう、黄家の厨房は客人に来られると困る事でもしているのか」


そう告げた立勇に、その料理人が立ち上がる。


「なんだお前」


しかし料理人が凄んだところで、立勇が恐れるはずもなく。


「ずいぶん熱心に俺たちを追い返そうとしているが、この厨房には客人に知られては困るようなやましい事でもあるのか?

 そのような信用のおけない所で作られた料理を、利民殿や公主殿下に召し上がっていただくのはいかがなものか。

 早速利民殿に進言して来ようか」


そう言って今にも踵を返そうとする立勇に、料理人がギョッとする。


「誰もそんなことは言っていないだろう!

 余所者が偉そうにうろつくなというだけの話だ!」


「ほう、公主自らが留めた太子の供を、余所者呼ばわりか。

 利民殿の配下への教育が問われ、大公に叱責されかねんな」


「なっ、どうしてそんな話になる!?

 だいたいお前たちの話が、大公様の御耳に入るわけないだろうが!」


「なにを言うか、我々は太子の代理人である立場だぞ。

 当然、黄大公にお言葉を届けるくらいのことはできる」


雨妹を差し置いての二人の口撃合戦は、どうやら立勇に分があるようだ。

 立勇にやり込められる料理人は、気に入らない都からの客人へのただの難癖のつもりだったのであろう。

 けれどそれが利民の信用問題話に発展するとあって、顔色を悪くしている。

 皇族を見下すお土地柄とはいえ、それでこの料理人が皇族よりも偉くなれるわけではないのだから。

 誰彼構わず噛みつくからこうなるのだ。


 ――ちょっと利民様、一体どんな人選をしているんですか?


 雨妹がこの事態に頭痛がしそうになっていると。


「うるせぇぞ、静かにしろ!」


奥から怒鳴り声が響いたかと思ったら、厨房からずんぐりとした体格の男が出て来た。

 この男がこの屋敷の料理長である。

 前回厨房を訪れた際も、粘る雨妹に焦れた料理人が手を出しそうになったところで、料理長が出張って来たのだったか。

 曰く、『料理人が料理以外で手を出すんじゃない』とか。

 そして今日も叱られそうな予感に、料理人が慌てて言い訳をする。


「ですが料理長、この余所者が騒ぐから……」


「料理の話をするのに、余所も内もねぇ!」


しかし料理長はそうぴしゃりと言う。


「おめぇはここで料理人をしたければ、口じゃなくて手を動かせ!

 お喋り雀共の仲間なんざいらねぇんだよ!

 それにやたら時間がかかっているが、野菜は洗い終わったのか!?」


そう尋ねる料理長に睨まれ、料理人は一瞬しかめ面をする。


「これだから余所者は……」


そしてそんな言葉を漏らすと、洗い終わった野菜の入った籠を抱えて急ぎ足で厨房へと入っていく。

 その場に残された雨妹と立勇に、料理長が軽く頭を下げる。


「済まねぇなアンタたち。

 どうも太子殿下がいらしてから、浮足立つ連中が多くて敵わん」


「なんか、大変ですね……」


雨妹は料理長に心底同情する。

 だがそんな話はさて置き、当初の目的の話をしなければならない。

 なので厨房に入り、食材を見ながらの話となった。

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