第58話 検査結果

「では始めます」

早速検査を開始する雨妹(ユイメイ)が用意してもらったものとは、四つの味の溶液である。

 並べられた小皿には、甘い・塩辛い・酸っぱい・苦いの四つの味を、濃度の薄いものから濃いものまでを揃えてもらった。

 これらの溶液を潘(パン)公主の舌の所定位置に置いて、四つの味のどれに該当するかを答えてもらうのだ。


「潘公主、何も感じない時には『味がしない』と、何か感じるが区別できない時には『わからないけどなにか味がする』とお答えください」


そう説明した雨妹は、四つの味の溶液を一種類ごとに匙でちょっとずつ取ると、潘公主の舌の上に乗せていく。


「どうですか?」


「……なにも」


薄い味から始めたのだが、雨妹が尋ねても潘公主の反応は芳しくなく。

 次第にかなり濃い味になってきたのに、まだ首を横に振るばかりだ。


「あ、これはどの味かしら?」


そしてようやくそんな反応が出たのは、どの味もかなり濃いものだった。

 もはや、これで決定的だろう。


「やはり潘公主は味覚障害です、それもかなり重篤の」


雨妹はそう結果を告げると、潘公主が少し味を感じた塩の溶液を、他の三人にも匙を勧めて舐めてもらう。

 すると全員が口に含んだ途端にしかめ面をした。


「これで、少しなのかい?

 塩辛くてたまったものではない」


太子がそう感想を言うと、他二人も同意する。


「え? そんなはずは……」


皆の反応を見て戸惑いを見せる潘公主に、雨妹はさらに告げる。


「風味障害も少しありますね。

 濃くなると味がしなくても匂いでわかるのですが」


「確かに、酸っぱい液体は匂いだけでもわかるな」


雨妹の話に利民(リミン)も頷く。

 そう、潘公主がようやく反応を示した溶液らは、少量であっても強烈な匂いを発していた。

 塩なんて普段あまり匂いを感じない調味料なのに、塩辛い香りがするくらいだ。


「これでは、潘公主が食欲をなくすのも当然でしょう。

 味も匂いもしないのでは、どんなに美味しい料理であっても、砂や石を食べているようなものですから。

 味というのは舌だけで感じていると思われるかもしれませんが、実は匂いや見た目、音、舌触りといった他の感覚も大事なのです」


昨日太子にも話した内容の説明に、利民も納得の表情をする。


「それはわかる。

 出来立ての料理の音は食欲をそそるものだし、美味しい匂いを嗅ぐだけで唾液が出る」


「そういうことです」


しみじみと言う利民に、雨妹も頷く。

 そしてそれが損なわれた潘公主にとって、砂や石を食むような食事と言う時間が、さぞ苦行だったことだろう。

 けれど生きるためには、食事は食べねばならないわけで。


「潘公主は、できる限り味を感じない食事を楽に終えたいと、粥などの食事が早く済むものばかりを召し上がっていたのではないですか?」


「それは……」


顔を伏せて黙る潘公主に代わって、利民が「その通りだ」と教えてくれた。

 どうやら雨妹を信頼できると思ってくれたようだ。

 味がしない料理を食べるのに意欲が湧かない、潘公主の気持ちはわかる。

 けれど食事というのは、ただ食物を飲み込めばいいものではない。

 しっかり噛むことも大事であり、それが噛まずにただ飲み込むばかりとなっては顎が弱るし、胃腸によくないのだ。


 ――でもなぁ……


 潘公主の症状が分かったものの思うところのある雨妹に、利民が肝心な質問をしてきた。


「玉殿は治るのか!?」


真剣な表情の利民に、雨妹は「もちろんです」と答える。

 けれどここまで重症化したことに、そもそも疑問があるのだ。


「風邪の後遺症としての味覚障害は、それほど長引かないものなのです。

 ですが潘公主がお風邪を召されたのは、冬の終わりなのですよね?」


そう、潘公主が症状を引きずるのが、少々長すぎる気がするのだ。

 これが雨妹が引っかかっている点だった。

 通常よりも重症化したということは、通常とは違う点が潘公主にあったと考えるのが自然だろう。


「そこでまたお尋ねしたいのですが。潘公主は風邪になる以前、食事はなんでもきちんと召し上がっておられましたか?」


「……」


雨妹の質問にまたしても沈黙する潘公主に代わって、利民が口を開く。


「実は冬の前から玉殿は小食で、肉や魚をあまり好まずに野菜ばかり食べていた」


すると予想した通りの答えが返って来たことに、雨妹は眉をひそめる。


「後遺症を悪化させているのはそれですね。

 元々味を感じる機能が衰えていたのでしょう。

 味覚の発達に必要な栄養は亜鉛で、特に多く含む食品は肉や魚介ですから」


「そんな……」


雨妹の指摘に、潘公主が驚愕の表情を浮かべる。

 食べないのは良くないとわかっていても、食事がそこまで必要なものとは思い至らなかったのだろう。


「でも、肉や魚は食べたくなくて」


言い訳めいた潘公主の言い分を聞いた雨妹は、しかしまた別のことを尋ねた。


「それと潘公主、普段水分をきちんと取っていらっしゃいますか?」


「……あまり、飲みたくないわ」


これまた拒否する発言に、雨妹はしかめ面をしそうになるのをぐっと堪える。


「潘公主、それはいけません。

 現在食事からの水分が減っているのであれば、余計に飲まなければ。

 味覚障害は、唾液が少なくなって口の中が渇くことも原因となるのです」


「なんてことだ、私がもっと玉殿に強く飲食を勧めていれば、こんなことには」


潘公主がこうなった原因を知った利民が、がっくりとうなだれている。

 そしてその様子を、潘公主が唇をかみしめて見つめていた。

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