第五章 海の見える街

第49話 お呼びがかかりまして

花の宴が過ぎれば、季節はだんだん暖かくなってくる。

 暖かくなると、ツルンとしたのどごしの食べ物が恋しくなるもので。

 雨妹(ユイメイ)は外の座るのに手ごろな石に腰掛け、美娜(メイナ)に貰った豆花(トウファ)をウマウマと食べていた。

 豆花とは大豆から作ったプリンのようなものである。

 甘い煮豆や果物を盛ったり、蜜をかけて食べるのだが、一方で辛く味付けしておかずにしたりもできるという万能な食品だ。

 今食べているのは甘い豆花で、糖蜜をたっぷりかけてもらった。


「美味しい~」


雨妹はプルンとした豆花を口に入れて悶える。

 本日はいい感じに快晴で、しかもお休みの日。

 だらだらしながら食べる豆花は一段と美味しい。

 こうして文字通り幸せを噛みしめている雨妹だが、花の宴の後で環境が変わったかと言えば、全くそんなことはなく。

 太子に己の素性が知られているのかと思うものの、あれ以来そんな話をされたこともない。

 たまに立淋(リビン)と遭遇するが、世間話をするくらいで、いたって平和な毎日である。


 ――まあ、平和が一番だけどねぇ。


 雨妹は現在の生活に不満があるわけではないので、なにも言われないのはむしろありがたいと思っていた。

 今だって、そのおかげで美味しいおやつにありつけているわけなのだから。


「う~ん、甘くて幸せ」


雨妹が豆花の美味しさにとろけそうになっていると。


「小妹(シャオメイ)、いいものを食べているねぇ」


楊(ヤン)おばさんの声がしたので、慌てて石から立ち上がる。

 休みなのでだらけていても問題ないのだろうが、上司の前となると条件反射でこうなってしまう。


「どうせ美娜だろう? どれ、後で強請りに行こうかね」


普段、雨妹が饅頭を食べていても欲しがらない楊おばさんが、豆花に目を細める。どうやら甘い豆花が好物のようだ。

 けど、豆花目当てに雨妹に声をかけたわけではあるまい。


「あの、私になにか御用でしたか?」


「ああ、それを食べてでいいからついて来な」


尋ねるとそんなことを言われるが、ここで「あ、そうですか」とのんびり食べるわけにもいくまい。

 豆花を急いで口の中にかき込む。


 ――あぁ、もっと味わって食べたかった……。


 また今度美娜に作ってもらおうと心に決めつつ、器を台所へ返して戻って来る。


「じゃあ行くよ、こっちだ」


そう言われるがままに楊おばさんについて行き、回廊を歩いてとある小部屋に入ると、中には先客がいた。


「あれ、立彬様?」


何故ここにいるのかと目を瞬かせる雨妹に、立彬が告げた。


「俺がお前を呼んでもらったのだ」


「……そうなんですか」


ならば一体何用で呼ばれたというのか。

 立彬と会った時は、いつもなにかが起きるのだ。

 思わず身構える雨妹に、楊おばさんが言った。


「太子殿下が外出されるお供として、小妹(シャオメイ)を連れて行きたいそうだよ」


「……はい?」


雨妹はきょとんとした顔をする。


 ――外出のお供?


 後宮に暮らす女たちは基本的に、外には出られない。

 しかし例外があって、皇帝や太子の外出へ付き添う形だと、後宮の外へ出ることができる。

 だがそのようなことになるのは、当然皇帝や太子に近しい女たちに限られる。

 まったくもって近しくない、下級宮女である雨妹に巡って来るような幸運ではないだろう。


「なんでですか?」


外出のお供くらい、太子宮にも連れて行く人はそれなりにいるだろうに。

 わざわざ立彬をよこして雨妹を指名する意味がわからない。

 疑問を呈す雨妹に、立彬がため息を吐いた。


「お前は、普通ここは喜びはしゃぐ場面だろうが」


「そんなこと言われても困ります」


雨妹としては、そうおかしな反応をしたつもりはない。

 だいたい雨妹はそんな機会など巡って来ないと思っていたし、後宮は広いため、息苦しさもあまり感じない。

 都で不自由なく育った者は違う意見だろうが、少なくとも不自由だらけな辺境に比べれば、足りている生活だ。


 ――欲を言い出せばキリがないし、外へ出ても日本みたいに便利なものが手に入るわけでもないし。


 ゆえに、外への憧れというものがさほど強くないのである。

 このように現状をすっぱりと割り切っている雨妹だったが、立彬や楊おばさんにとっては奇異に見えるらしい。


「変わった娘だねぇ」


「全く同意します」


楊おばさんの少し失礼な言葉に、立彬が深く頷いている。


 ――変わってないし、個性的なだけだし!


 ともあれ、雨妹が太子のお供をするのは決定事項らしい。


「これを着て来い」


みすぼらしい格好で連れて行くわけにはいかないということで、外出用の服を手渡された。


「さあ、太子殿下をお待たせしないように、さっさと着替えな」


それから言われた通り一旦部屋へ帰り、与えられた服装に着替える。

 貰った服は木綿の生地だが、お仕着せに比べるとちょっとお洒落な意匠である。


 ――おお、可愛いんじゃない?


 雨妹だってお洒落な服を着れば多少は心が浮き立つというもので。

 貰った服に着替えた雨妹は、周囲の視線を集めつつ、約束の時間に後宮と外朝との境へ行く。

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