第37話 簪の意味

「釣りはいらん、貰っておけ」


「ありがとうございます」


そのまま支払いが完了してしまい、しかも「釣りはいらない」などと金持ち発言が飛び出す始末。


「立彬(リビン)様、飴玉で私を買収する気でも?」


ジトリとした視線を送る雨妹(ユイメイ)に、立彬が軽く息を吐く。


「ずいぶんと安い買収金額だな。

 第一お前を買収してどうなるものでもないだろうに」


確かにどこかの上級妃嬪付きでもない、掃除係の宮女を買収しても、あまりうま味はないだろう。

 どうやらなにかの交換条件ではないようだ。

 ということは、純粋に立彬に飴を買ってもらったということで。


「じゃあ、買ってくださりありがとうございます、美味しく食べます」


雨妹は自分のものとなった飴が入った瓶を抱えて、ホクホク顔で礼を言う。


 いつまでも露店の前に立っているのも邪魔なので、雨妹は立彬とその場を離れると、改めて飴の瓶を眺める。


「うふふ、綺麗だなぁ」


中の飴が色とりどりなため、部屋に置いておくと飾りにもなるだろう。

 鑑賞できて美味しく食べられるなんて、最高ではないか。

 そんなことを考えてニマニマする雨妹を見た立彬が言った。


「買い物なら他にも、装飾品を選べばいいだろう」


そして視線を装飾品が並ぶ場所にいる他の宮女たちへ向ける。

 彼女たちは余り物であっても少しでもマシなものを買おうと、目を凝らして一つ一つの品物を見ているのだが。


 ――私にアレに混じれってか。


 立淋は親切心からの助言だろうが、生憎雨妹にそんなものを買う気はない。


「興味ないですもん、掃除の邪魔になって普段使いもできないですし」


そうバッサリと言い切る雨妹に、立彬が眉をひそめる。


「全く、殿下が心配した通りだな」


そう告げてため息を吐いた立彬が、懐から布の包を取り出した。

 掌くらいの長さの細い包で、それをこちらに差し出す。


「なんですか?」


「やるから、開けてみろ」


訝しがる雨妹に、立彬は包みを強引に押し付ける。


 ――なんか、詐欺っぽく見えるんだけど。


 後で高額な支払いを請求されまいか、という考えが脳裏を過ぎったが。


「早くしろ」


急かす立彬の視線の圧に負けた雨妹は、飴の入った瓶を地面に置くと、渋々包みを開けた。

 すると、中にあったのは。


「……簪?」


そう、小ぶりな赤い花の飾りが可愛らしい、若い女向けの意匠の簪だった。


 ――何故に簪?


 雨妹は立彬から簪を手渡される意味が分からない。


「なんですかこれ?」


雨妹は心底不思議そうに立彬を見上げると、ため息が降って来た。


「女だったら普通、ここは喜ぶべきだろう」


立彬はそうぼやくが、喜べないのはくれた相手の態度にもよると思うのだが。

 雨妹だって普通男が女に贈り物をすることの意味くらい、ちゃんと知っている。

 装飾品を渡して告白するのは、前世のドラマでもよく使われていたのだから。

 しかし、今目の前にいる渋い顔をしている男が、そういった用途で簪を差し出しているかと言えば、答えは否だろう。

 告白をしてくるような会話ではなかったし、そう言った雰囲気も見られず。立彬が照れ隠しをしているようにも全く見えない。


 ――私が鈍いみたいな言い方、やめて欲しいんだけど。


 釈然としない気持ちな雨妹に、立彬が真面目な顔で言った。


「もうじき花の宴だろう。

 簪の一つでもつけていないと困ったことになるぞ」


花の宴と簪の有無に、一体どんな関係があるというのか。

 というか、花の宴は全員参加なのか。


「私は正直、外から来る皇子なんてどうでもいいんですが」


雨妹は当日どこかでご馳走の残りでも手に入れて、隅っこでまったりしていようと思っていたのだが。

 この目論見に対して、しかし立彬は首を横に振る。


「大々的な宴だからな、サボりなんぞ許可されるはずがないだろう。

 そして華やかな場所では、その頭巾をしておくわけにはいくまい」


立彬曰く花の宴とは、宮女も含めた後宮の女全てで盛り上げなければいけない催しらしい。

 宮女たちも花見の花の役割を負っているのかもしれない。

 だから末端の宮女であっても、それなりの格好をしていろということだろう。


 ――面倒くさいな、後宮の花見って!?


 勝手に酒を飲んで酔っ払っていればいいのに。

 雨妹がそんな風に思っていると、さらに問題点を追加する。


「誰かに聞いているだろうが、花の宴は招待された公主や皇子なども出席される。

 簪の一つもつけていない宮女はそうした外部の者、特に皇子に目をつけられ易い」


「それって要するに、皇子とかにお持ち帰りされちゃうってことですか?」


だとすると、皇子たちの目に留まろうと懸命になっている宮女たちの買い物が、全くの無駄ということになるのだが。

 雨妹の疑問に、立彬が眉を寄せる。


「妙な言い回しをする奴だな。

 簪を贈る者もおらず、買う金もないのだから、なにをしても揉み消すのが容易だと思われるということだ」


 ――なるほど、悪戯対象に選ばれやすいのか。


 できれば避けたい目の付けられ方である。

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