第四章 花の宴

第35話 気になる宮女

友仁(ユレン)皇子の一件で、食物過敏症についての話が瞬く間に広まった。

 子良(ジリャン)の元には多くの妃嬪(ヒヒン)たちから「体質を調べて欲しい」という話が舞い込むようになり、今てんてこ舞いをしている。

 一方でこの流れが気に入らないのが、皇太后だ。

 自分の下した結論を皇帝に覆されたのだから、面子が丸つぶれであろう。

 おかげで皇太后の宮では、興奮した女性の金切り声が頻繁に聞かれるそうである。


 こうして後宮内が荒れ模様の中。

 皇帝はある日、仕事の合間を使って王(ワン)美人の屋敷を訪れていた。


「まあ陛下、ようこそお越しくださいました」


たまたま外に出ていた王美人は、近くにいた女官にお茶の用意をするように言いつけると、皇帝を部屋へと案内する。


「今、なにをしていたのだ?」


「暖かくなってきたので、庭で花を愛でておりました」


そんな他愛のない話をしながら部屋へ向かい、しばらくするとお茶や菓子が運ばれてきた。


「では、私はこれで」


それらをテーブルに並べた女官はそう告げて一礼してすぐに下がり、皇帝のお付きの宦官たちも人払いをされている。

 ゆえに室内は皇帝と王美人の二人だけになった。


「……」


皇帝はなにを話すでもなく、無言でお茶を飲み始める。

 こうした時、王美人は皇帝に対して特に話を振ったりということをしない。

 自らもただ静かにお茶を飲むだけである。

 皇帝が自分の元を訪れるのは、静かな場所で安らぎたいのだとわかっているからだ。

 しばし茶器の音と、外で風が木の葉を揺らす音が響いていた中、皇帝がポツリと言った。


「いつだったか、ここで掃除をしていた宮女がいただろう」


突然の皇帝の言葉に、王美人は目を瞬かせる。

 掃除をしていた宮女というと、王美人が脳裏に浮かべるのはあの娘しかいない。


「ああ、雨妹(ユイメイ)のことでしょうか?」


「……雨妹だと?」


王美人が笑顔で告げると、皇帝は一瞬目を見張って小さく呟く。

 この反応に王美人は「おや?」と思う。


 ――雨妹という名の娘が、誰か他にもいたかしら?


 雨妹という名は言ってはなんだがありふれたというか、他にいてもおかしくない名前だ。

 なので同名の娘は国中にいるだろうが、皇帝の周辺でいただろうか。

 王美人は疑問を抱いたものの、それを顔には出さずに話を続ける。


「元気で愛らしい娘でしょう?

 おやつをあげると、嬉しそうに食べてくれて。

 それがまた小動物のようで可愛いので、掃除のお礼にいつも用意しているんです」


王美人が饅頭を頬張る雨妹を思い浮かべながら笑みを浮かべると、皇帝は顎を撫でて考えるような仕草をした。


「そうなのだな。

 ここでもそのような様子だったので、てっきり掃除係の宮女だとばかり思っていたのに、

 医官の助手だったのだなと思ってな」


この言葉に、王美人は首を傾げる。


「いいえ、雨妹は掃除係だと楊(ヤン)さんに聞きましたけど?

 でも確かに色々なことを知っている博識な娘なので、助手であってもおかしくないですね」


「……なるほど」


王美人の答えに、皇帝は思案顔をする。


 それから皇帝は王美人とのお茶を楽しんだ後、長逗留をせずにすぐに帰って行った。

 ――雨妹の話を聞くためだけにいらしたのかしら?

 後宮で皇帝に興味を示されるということは、妃嬪候補に挙がるという意味合いを持つのだが。

 皇帝の今の様子では、そう言ったこととは少し違う気がする。


「ねえ、雨妹って誰か知ってる?」


王美人は茶器を片付ける女官に、先程抱いた疑問をぶつけてみた。


「いつもの掃除係の宮女でございましょう」


すると、女官からはそんな答えが返って来る。


「その雨妹ではなくて、他にいたかしらと思って」


「いいえ? 思い当たりませんが」


王美人がさらに尋ねると、女官は怪訝そうな顔をしつつも首を横に振った。自分より年配の女官も、他に「雨妹」という名を知らないらしい。


「雨妹、ねぇ……」


王美人は記憶を辿るも、やはり心当たりはない。

 もしかすると大したことではないのかもしれないが、妙に気になる。

 そしてしばらくして王美人がふと思い出したのは、自分の前にこの屋敷に住んでいた張(チャン)美人のことだ。

 皇帝の寵愛を受けて下級宮女が一気に美人にまで位を上げた、宮女内でも噂だった人。

 その頃の王美人は、後宮に入りたての新人宮女だったため、詳しくは知らない。

 だが彼女は確か姿を消す前に、娘を出産していたのではなかったか。

 しかしその娘の名は知られていない。

 皇太后が皇帝の子ではないと宣言したため、禁忌の存在となったためだ。

 知っているとしたらごく一部、例えば当時お産を助けるために出産に立ち会ったはずの、楊(ヤン)などであろう。


 ――本来ならば公主として華やかな生活していたはずの、憐れな赤ん坊ね。


 もし生きているとすれば、雨妹くらいの年頃だろうか。

 そう考える王美人は、初めて雨妹に会った時に思いを巡らせる。

 雨妹のあの頭巾の下には、美しい青みを帯びた不思議な髪をしていたのを覚えている。

 しかしある時からきっちりと被った頭巾を取らなくなったので、残念に感じていたのだが。


 ――そういえばあの張美人も、不思議に美しい髪だったとか。


 会ったことがない人なので、具体的にどのような色味であったかはわからない。

 しかしこの共通点は、王美人の心の片隅に引っかかるのだった。

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