飴と傘-side-s
虹色
第1話
雨が降っている。
さらさらと優しく。傘をさすほどでもない、小雨。
けれど、私は傘をさしている。いや、正しくはさしてもらっている。
「大丈夫? 濡れてない」
彼の問いに、私は頷くことで『平気だよ』と答える。現在、私の口の中を飴玉(梅味)が占拠しているため、会話をすることができないのである。私の家では、食べ物を口に含みながらの会話が禁止されている。マナー違反だから、とのことである。そのため、食事は家族みんなで食べるが、誰も何も喋らない。沈黙の晩餐が毎日である。いつか家庭を持つことになったら、そんな寂しいルールはブレイクしたいと常日頃思っている。しかし今は親に養ってもらっている身、義理堅い私は大人しく従うのだ。家族と一緒のときも、そうでないときも、そのルールとやらに。
そんなことを考えながら、私は歩く。彼の歩幅は狭い(きっと私に合わせてくれているのだろう)から、ぼーっとしてても特に問題はなかった。
ふと、彼の体が傘からはみ出ているのに気がついた。彼は小柄な私に相反して、体が大きい。それは決して、太っているという意味ではなく、『マッチョ』という意味である。ただ『マッチョ』ではあるが『細マッチョ』ではない、だが『ゴリマッチョ』でもないのだ。つまりは、程よい筋肉の持ち主である。
「どうしたの?」
彼が私の視線に気がついた。そして、すぐに納得したように自身の右肩を確認した。
「大丈夫、俺、雨に強いから」
柔らかく微笑む彼。そして、視線を私から外し、歩みを始める。
てくてくと、のんびりと。
その間、彼も私も何も喋らなかった。
彼は話すのがあまり得意ではないらしい。だから、会話の口火を切るのはいつも私。ただ、例外的に私のことを気遣ってくれる時は、彼が口火を切る。
『大丈夫?』
『お腹すいてない?』
『眠くない?』
基本、全て疑問形だ。いつだったか、前に聞いたことがある。どうして、疑問形でしか話しかけてくれないの、と。なんて質問だろうと、私も思う。多分、暇だったとか、特に喋ることがなかったから、私の中のbotが勝手に作り出した心無い質問。だけど、彼は優しく答えてくれた。疑問形だと、絶対相手が反応してくれるから、と。
なるほど、彼は体はかっちりしているのに、他者の反応を気にしてしまう小心者だったのか、と私は自身の中で勝手に納得した。私に対する優しさも、優しさというよりは寧ろ、自身の不安を打ち消したいという衝動だったのだろうとも思った。
けれど、別にどうだって良かった。会話の内容も、彼の行動玄理も。
私は彼のことが好きだ。それは性格とか見た目とかそういう要素がどうという話ではない。彼という存在そのものが好きなのだ。だから、仮に彼が交通事故で全身ぐちゃぐちゃになっても、彼への愛が消えることはないし、宝くじで一億当てて成金になったとしても気にならない、女の好きの浮気者になっても、彼への思いは冷めないと思う。
それくらい、彼のことが好きなのだ。
不意に、彼が歩みを止めた。
そして、私の顔をじっと見つめる。傘をさす手は固定したまま、私に相対する。
「あのさ、急だけど、俺たち、もう終わりにしないか」
終わりは突然に、というが突然だった。
私は答えない。
「好きな人ができたんだ」
聞きたくない。
「だから、俺とーー」
雨が強くなる。
ざあざあと、鴉が喚くように。
けれどーー
「別れてくれないか」
聞きたくない言葉、かき消してくれない。
口の中の飴玉は、とっくに溶けてなくなったけど、私は口を開かない。
『私のどこが足りない?』
『直して欲しいところがあったら直すから!』
『私のこと嫌いになったの?』
『二番目でもいいから!』
声にならない思いが心の中を渦巻く。ぐるぐると。ぐるぐると。
私は彼のことがまだ好きだけど、彼は私のことを好きじゃないらしい。
私より、大事な人ができたらしい。
ーーこんなに彼のことを思っている、私よりも。
梅味は、私にとっての失恋の味になった。
もう二度と、こんな飴なんてなめてやらないと誓った。
飴と傘-side-s 虹色 @nococox
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