第52話 葛藤

「シヴァ神・・・様・・・。」


「でも、キミにはシュナンって呼んで欲しいな。ロザリオから貰ったものは全て宝物だから。」


 どういうことなのだろう。

 頭の中には疑問符しか出てこない。

 父とジン様は先の大戦でやむを得ずセラフィエル様の身体に敵対する魔王ルシファーを封印したと言った。

 封印が破られそうになったセラフィエル様が自身の身体に記憶喪失と声を失う呪いをかけた、というのが私達の見解だった。

 でも今、私の目の前にいるのは記憶を取り戻したシヴァ神様だ。夢の中で、神々の前でも臆することなく対等に渡り合っていた紛れもない神様。

 ベットから体を起こす。


「さっきのは夢じゃない?」


「さぁ?」


 私の呟きにシュナンは肩を竦めた。ビションフリーゼを優しく撫でる指の先までが綺麗。


「ねぇ、ロザリオ。

 ボクとキャルロットの身体を切り離してよ。」


 思わず見惚れていた私の顔にアメジストの瞳が近づく。


「切り離す?」


「そう。」


 シュナンが立ち上がり、自分の体を値踏みするように見回している。


「この体も嫌いじゃないんだけど、状況が変わってやることができたからさ。

 元の体じゃないと不利なんだよね。

 ・・・喋れないし。」


「切り離すってどうやって?」


「簡単だよ。

 この首輪を外してくれればいい。

 着けた人間にしか外せない魔法がかかってて、自分で外せないんだよね。」


 大神宮である私の父から貰った黒くてゴツい首輪にシュナンが手をかけた。


「だって、そんなことをしたらが、出てきちゃうよ?」


って?

 ああ、魔王のこと?」


 押し黙った私にシュナンが微笑んだ。

 開いた窓から柔らかな風が入ってカーテンを揺らしている。


「ロザリオ。

 大丈夫。恐くないよ。」


 ビションフリーゼの嘴から何の感情もない無機質な言葉が綴られる。


「ボクが、魔王ルシファーなんだから。」


 言葉が出ない。

 シュナンを見つめることしかできなかった。


「理解できないって顔だね。

 分かりやすく言うと魔王ルシファーをボクが演じてるってことになるのかな?

 人間てさ、平和過ぎると堕落しちゃうでしょ?

 ソマリで『魔王ごっこ』やったら色々と興味深くて面白い結果が出たから、他でも実験してるんだ。」


 ソマリはラグドール皇国から南の海を渡った古代の国の名前だ。二千年前に邪神に滅ぼされた伝承がある。


「あなたの『ごっこ遊び』でたくさんの人が死んだの?」


 ラグドール皇国の先の大戦でも多くの兵士や神官、罪のない国民が魔王軍に殺され、町を焼き払われた。


「怒ってるの?ロザリオ。」


 シュナンが私の傍らに腰を掛けて、私の髪に触れた。無邪気な子供のような顔で私を見つめている。


「でもね、ボクの『魔王ごっこ』って、他の神は誰も止めないよ?

 神様はピンチの時に少し力を貸してあげるだけで、とてもありがたがられるからね。

 キャルロットだって魔王がいなかったら、英雄にはならなかったよね?」


もう、シュナンのアメジストの瞳から目を離すことができなくなっていた。淡々と語る言葉を理解できない。


 「どう?・・・ボクのごっこ遊びも結構役に立ってると思うけど。」


 目の前の美しい顔で、そしてビションフリーゼの嘴でてらいもなく語る。


「ロザリオ。

 ボクの身体を返して?

 そうしてくれないとボク、キャルロットの体をどうするか自分でもわかんないよ?」


 まるで人質だ。

 シュナンはベットの脇に置いてある私の長剣を手にして、そのままゆっくりと抜刀する。曇りの無い銀色の細身の刃が光った。


「ボクは神だから死なないけど、キャルロットは死ねるんだよね。」


 私が首輪を外す?

 でも、外せばあの黒い翼の魔王がセラフィエル様の身体を突き破って出てくるだろう。

 でも、このまま外さなければセラフィエル様が殺されるかもしれない。


 シュナンが自分の首元に刃を当てた。

 白い首筋から血が滲む。


「・・・ああ、泣いた顔も素敵だね。」


 残酷で妖艶な微笑みを見つめながら、自分の頬を伝う涙に気づく。

 この涙は誰の為?


 ゆっくりと刃が引かれる度に長剣が深く刺さり、流れる赤い血の一筋が二つに分かれた。

 笑みを浮かべながらも時折、苦痛に歪む整った眉。また、アメジストの瞳から目が離せなくなっていた。

 余りにも妖しく美しい光景に息をするのも忘れて見つめることしかできない。


「ロザリオ!!?」


 シュナンの膝の上に抱かれていたビションフリーゼが、大きく目を見開いて叫んだ。


「何?ナニ!?

 シュナンちゃん!!何してんの!?」


 私はシュナンの手から長剣を奪い鞘に納めた。

 意を決してシュナンの首に手を回し黒い首輪を外す。勝ち誇ったように微笑むシュナンの顔を無視して。


「ちょっとロザリオ!!

 何してんの!?」


 ガチャリ。


 雑作もなく首輪が外れた。

 外れた首輪を手にしたまま、茫然とその後に起きる様子をただ見ているしかなかった。


 シュナンは神官の制服を脱いで裸になっていた。こちらに背中を向けていたけど、少女の様な小さな胸の膨らみが見えたので、本当に女性になっていたことがわかる。陶器のように白い背中。


 荒い吐息とミシミシと軋む音。

 想像を絶する痛みからシュナンの身体が悶える様にベットにうずくまった。

 瞬間、バックリと割れた背中から黒い翼が羽を広げた。這い出す翼のついた人影。

 吹き出す血飛沫に、慌ててセラフィエル様の背中に治癒の魔法をかけた。

 細身だけど筋肉質な男の人の背中だ。

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