第53話 悪魔退散

 治癒の魔法をかける私とセラフィエル様の傍で、血に塗れた黒い翼がうずくまっている。


「ロザ・・・ロザっ

 ロザリオ?この黒い翼って・・・。」


 ビションフリーゼが震える声を絞り出すように言った。

 禍々しい黒い闇のオーラ。ビリビリと震える空気にずっと鳥肌が立ちっ放しだ。


 黒い翼がゆっくりと開く。翼の持ち主が立ち上がり、深く息を吐いた。


「・・・うん。

 ・・・やっぱり自分の身体はいいね。」


 感覚を確かめるように、掌を見つめて開いたり握ったりしている。

 その眼差しが私に向けられた。浅黒い肌に映えるエメラルドの様な深い緑色の瞳。瞳の色は違うけれど、間違いなくシュナンの瞳だった。

 肩まで伸びた銀色の髪と端正な顔立ちに、シンプルな金の装飾が良く似合う。薄い衣を纏っただけの引き締まった体躯は、そこにいるだけでエキゾチックな色香を漂わせている。


「リオ!!」


 部屋の扉が勢いよく開いた。

 兄とセイヴァル様が部屋の入り口に立っている。ジンさんも一緒だ。血に塗れた黒い翼を広げたシュナンに気づき一瞬怯む。

 シュナンは3人を一瞥して、またこちらを見下ろした。


「キャルロット?」


 倒れているセラフィエル様の身体の容態を確認する為に警戒を緩めることなく兄が近づいてきた。セイヴァル様とジンさんは其々、魔王に向けて剣を構えている。


「魔王ごっこは暫くお休み。

 別件が片付いたらまた遊んであげるからね。」


 シュナンがセイヴァル様とジンさんに冷酷な視線を向けた。二人の体が硬直して動けなくなっているのが、戸惑いの様子からわかる。

 私の隣にいた兄がシュナンに向けて右手を翳した。


「殺しちゃったらごめんね。

 まだ体に慣れてなくて手加減できないかも。」


「待って。」


 魔法を放とうとする兄に向かって同じように右手を翳すシュナン。私は二人の間に立ち塞がった。


「ロザリオ。少しの間、お別れだね。」


 先程とは異なり、愛おしい宝物を見るかの様なシュナンの瞳。エメラルドの魅力に惑わされそうになって思わず目を背けた。


「・・・そうね。シュナン。」


「すぐ迎えに来るよ。」


「・・・わかった。」


 シュナンは満足そうに微笑んで私の右手を取った。皮手袋を外してそのまま手の甲に口付けする。


「あー、そうそう。」


 まだ意識の戻らないセラフィエル様にシュナンが近づいて、膝間付きその額に手を触れる。それに対して兄がピクリと僅かな動きを見せたのを緑色の瞳は視線だけで硬直させた。


「お返し。」


「何を?」


「記憶喪失の呪術。

 結構、楽しかったからキャルロットにも味わってもらわなきゃね。」


 無邪気な顔で笑うシュナン。


「やっぱり男だとキツいな。この匂い。」


 そう言い残して、シュナンは黒い翼を広げ、窓から飛び立って行った。


「・・・シュナン・・・。」


「ルシファー様♡♡♡」


 窓の外を見つめる私とビションフリーゼ。

 振り返るとセラフィエル様と同様に、兄とセイヴァル様、ジンさんが横たわっている。


「お兄様!?」


 慌てて兄に駆け寄った。

 ん?良く見たら鼻を押さえている。他の二人も、セラフィエル様までもが、鼻を摘まんでいた。


「リオ。この匂いなんとかならない?」


「・・・流石、『悪魔から身を守る聖なる香水』です。

 現にたった今、魔王を追い払いましたね。

 今すぐにでも、お父様に報告したいくらいです。」


 私の感嘆の言葉を聞きながら、息も絶え絶えな兄。


「報告は聞かなきゃならないが、その匂い何とかしてくれ。服も血塗れだぞ。」


 兄に言われて自分が血塗れなことに気がついた。必死だったから気がつかなかった。

 セイヴァル様とジンさんは早々に退散したらしく、もう部屋にはいない。


「じゃ、着替えたら大神官室で。」


 セラフィエル様の足を持ち、ズルズルと引摺りながら、部屋の出入口で兄が振り返った。怪我人なんだから、もっと優しく運んであげればいいのに・・・。

 扉が閉められたので内側から鍵をかけた。


「ロザリオ。確認するけど、シュナンちゃんはルシファー様だったっていうこと?」


「そうみたい。」


 私は肩にいるビションフリーゼに答えた。


「理由はわからないし、どの段階で入れ替わったのかわからないけど、私達が知っているシュナンは記憶喪失の呪術にかけられた『魔王』だったってこと。」


「そりゃ、皇女様に会ってもセイヴァル様に会ってもピンと来るわけないワね。」


 魔王はセラフィエル様の身体を乗っ取ろうとしていた様だから、もしかしたら完全にセラフィエル様の身体は魔王の物になっていたのかも。そして、セラフィエル様は乗っ取られる直前に自分の身体に記憶喪失の呪術と声を失う呪術をかけた。

 でも、何故か術者しか解けない筈の呪術が時間が経つに連れて、徐々に薄れていったみたいだ。


「もう、シュナンはいないんだね・・・。」


 慰める様にビションフリーゼが私の頬に擦り寄ってきた。もふもふ。

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