第1章 3話:川流れと濡れ鼠
私にはちょっとした趣味がある。
学校帰りに川岸に体育座りしてただ水の流れをながめるという、とても風流な趣味だ。いとお菓子食べたし。
行きつけの川は結構大きな川で、土手向こうの河川敷をさらに一段降りたところが、砂地の川岸になっている。そこに体を丸めるように座って川を見つめる。
こんな趣味を5歳のときに覚えたんだから、末は歌人か俳人かと自分で自分に期待をかけていたんだけど、今もこうして何も変わらずぼんやり川面を見つめている。私にはがっかりだよ。
まあ本当は、川に入ったら死ねるとテレビドラマにそそのかされて来てみたけどやっぱり怖くなって座り込んでいたいたのが始まりという、別に雅でもなんでもない話なんだけど。
あ、入水自殺なんて発想は、どっちかっていうと小説家向きだったかなー。進むべき道を間違えたかもしれないなー。
なんて、そもそも進んでもいない道を振り返る、意識だけ高い系女子を心の中から川に突き落として、私は大きく伸びをした。
水面がにわかに騒がしくなったのはそのときだった。
遠くでパシャパシャと水の跳ねる音が聞こえる。上流の方だ。
私は立ち上がって視線をやってみる。水しぶきがこっちに向かって流れてきている。いや、違う。水しぶきを上げながら、何かが流れてきている。
――溺れてる?
大きさからして人ではない。いや、赤ちゃんなら可能性はあるかもしれないけど……多分何かしらの動物。犬か猫か、最近はうさぎを飼う家も多いとか。変わり種ではカピバラなんていうのも聞いたことがあるけど、さすがにカピバラの川流れはないんじゃないかと……とか言ってる場合じゃなくて。
幸い流れているのは私のいる岸に近く、それほど深くなっていないところだ。膝上くらいまで浸かって手を伸ばせばなんとか届きそうだ。
私は慌てて靴と靴下を脱ぎ、スカートを折って丈を少し短くしてから川に足を踏み入れた。
冷たい。めちゃくちゃ冷たい。今日季節外れの寒さだったの忘れてた……。
ええい、だからってここまで来て退けるか。毒をくらわば皿まで、川に入らば脚まで、風呂に入らば肩まで!
冷たさでハイになった私はわけのわからないことを頭の中で叫びながら念願の入水を果たした。これで私も小説家になれる……! 自殺じゃないけど……!
溺れる何かは目と鼻の先まで迫ってきていた。
「ん……まだ遠いかな……」
スカートが濡れない程度の深さじゃまだ届かなそうだ。仕方ない。体操着もあるし全身浸かる気で行こう。
そうして実際に腰まで川に沈んで気がついた。濡れた衣類が肌にこすれる、少し気持ち悪い感覚で気がついてしまった。
――替えの下着……ないじゃん。
私は絶望しながら流れてきた小さな生き物を両手でキャッチした。
そしてとりあえず何も考えないようにしながら岸へ戻る。重くなったスカートとか諸々が現実を目の前に突きつけてくるし、風が吹くと結構寒いしもう散々……。
大きなため息とともに岸辺に座り込む。私の両手には黒猫がおとなしく収まっていた。見たところそれほど衰弱している様子もない。よかった。
……猫ねぇ。
嫌でも昼間の猫王子のことが思い出される。
まったく、本当に失礼な人だ。私はかわいそうなやつなんかじゃないし。私は今の私で十分幸せなんです。余計なお世話ですー。
「はあ、着替えよ」
ブラウスもスカートの中に入れていた裾の部分が完全に濡れてしまっているから、上下とも着替えないといけない。パンツはもうしょうがない。さすがに外で脱ぐわけにもいかないし、履いて帰るしかない。
猫を地面に降ろした私は、鞄から体操着のズボンを取りだすと陰鬱な気持ちでホックを外し、下に落ちないよう身長にスカートを脱いだ。そしてズボンを手にとったそのとき――。
「――大丈夫ですか!?」
段差の上からどこかで聞いたような声がした。
反射的に振り返ると、そこにはつい先程内心で悪態をついた相手が慌てた様子で立っていた。
「げ、甲斐先輩」
私は絶句した。
「あ、お前……」
甲斐先輩も絶句した。そして困惑気味に続ける。
「なんでこんな……って!」
複雑な表情で私を見下ろしていた甲斐先輩が、突然勢いよくあさっての方角を向いた。つられて視線をやってみたけどそこにはUFOもスーパーマンも飛んでいない。
突如謎の磁場に顔が引っ張られる怪奇現象か何かだろうか。どこかの雑誌に売れるかな。
「先輩? どうしました?」
「どうしました、じゃない! 服着ろ、服!」
「え?」
そういえばさっきからなんか下半身が妙にスースーするなぁ……と見下ろしてみて思い出した。……まだズボン履いてない。
「――へ、変態!」
「それはお前の方だ!」
わかってる。わかってるよ。平然としゃべっちゃってどう見ても露出狂です、私。
幸いブラウスの裾でほとんど隠れてるけど、ちょっと動いたり屈んだりしようものならまる見えになってしまう。
「き、着替えるのであっち向いててくださいね!?」
「向いてるから早くしろ!」
先輩の言う通りにするのは癪なのでゆっくり着替えてやろうかとでも思ったけど、さすがに恥ずかしさに負け、私はその場でせかせかと着替えを始めた。
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